第二十一話:《統括官》ルナリア
セレスティアル大神殿。
創造神セレスティアルを祀った総本山であり、征罰衆の本隊が拠点を置いている、世界最大の神殿である。
その深奥に、帰還したレインは通された。
その部屋は、ただ一人の為の寝所だった。
安眠だけを望む彼女の為の、聖なる鳥籠である。
巨大な寝台を中心に置き、天井から垂れて部屋の四方へと巡らされている透き通ったヴェールは、オーロラのように不思議な色合いに輝いて見える。
柔らかなシーツの海に埋もれているのは、一柱の天使。
一番に目に付くのは、身の丈を越える大きさの八枚にも及ぶ純白の翼だ。
巨大で大変に目立つそれが、ベッドの上に広がっている。
その根元には、持ち主である天使が一柱。
蒼銀の髪を足元近くまで長く伸ばしている。肌は新雪のように白く、透き通るようである。
奇跡のように整った顔立ちは背筋が凍るほどに美しく、蒼穹を思わせる青い瞳は吸い込まれてしまいそうなほどの魅力を放っていた。
女性的な凹凸に富んだ肢体は、一糸を纏わず、生まれたままの姿で横たわっている。
一見して儚げで、男の庇護欲を誘う彼女こそ、征罰衆の頂点にして、天下無双の最強天使。
第五位階天使、《統括官》ルナリアである。
「……ただいま戻りました、ルナリア様」
平伏して口を開くレインに、言葉は返ってこなかった。
彼女はただそのままの姿勢で、ひたすらに待つ。
やがて、もぞりと翼が動く。
ようやく目覚めたらしく、ゆっくりとした動きでルナリアが上体を起こした。
「……ああ、おかえりなさい。
報告は……聞いています。
背信者は……抹消、出来ましたか?」
気の抜けた様な、独特な間の開いた喋りをする上官に、レインは正直に言う。
「申し訳ありません。
対処は失敗しました」
「そう……ですか。
問題、ですね……?」
首を傾げながら、疑問形で言う。
「大問題です!
より上位戦力の派遣を具申します!」
いまいち響いていない様子の上官に、レインは声を荒らげて訴える。
だが、そんな彼女の圧を受けても、ルナリアはどこ吹く風で、マイペースに話をする。
「声を……張り上げないで、下さい。
頭が、痛い……です……」
両方のこめかみを指で揉み解しながら、彼女は続ける。
「どうして、失敗したの……でしょうか?
理由を……聞かせて、下さい」
問いかけに、レインは苦い顔をする。
恥ずべき事を晒すのだ。
そんな表情にもなる。
「…………罪人ツムギの手によって、任務を阻害されました。
また、処理対象の戦力も想定以上でありました」
出された名前に、ぴくりとルナリアは反応する。
暴れに暴れて、最終的に彼女が出るか、神が降臨するか、という事態にまで発展した案件だ。
ルナリアの記憶にも深く刻み込まれている。
近年の人間にしては、中々の気骨を持つ人物だった、と。
「……ツムギ。
そう……彼、ですか……。
彼が、その者を、守った……の、ですか?」
「手を引く様に交渉しましたが、拒否されました」
「それほどに、執着している、と……。
……ふむぅ」
どうするべきか、とルナリアは思考する。
彼がいるとなれば、征罰衆のどの部隊をどれだけ派遣しても、返り討ちに遭うだけだろう。
となれば、彼女自身が動かねばならないのだが、正直、面倒臭い。
ツムギが執着するほどの人物。
興味が沸かない事も無いが、眠りを中断してまで解消するほどの物でもないのだ。
「……ルナリア様。
実は、罪人ツムギより貴女様に伝言を言付かっております」
「……彼、から……?」
「はい。
〝近い内に、挨拶に行く〟、と」
「そう……。そう、ですか。
彼の方から、来て、くれますか……」
うむ、と頷いた彼女は、話は終わったとばかりにシーツの中に再び潜り込む。
「ならば、待っていましょう……」
動く必要が無いのならば、それで良い。
「それでッ!」
そう言うルナリアに、レインは噛みつく。
「それで良いと言うのですかッ!?
神の御威光をッ、知らしめる事こそが我らの使命でしょう!?」
怒声を張り上げる彼女に返ってきたものは、殺意だった。
レインは、死を幻視する。
ツムギの威圧とは違う。
もっと冷たく、もっと絶対的な、死の予感。
自らが千々に引き裂かれて、無数の肉片へと変わる、そんな幻だ。
否。
それは幻ではない。
彼女がその気になれば、間違いなく訪れる確定した未来だった。
「きっ、きゃああああああああああ…………!?」
恥も外聞もなく、叫び、一瞬で涙を溢れさせて、部屋の端まで後退した。
「手間を、かけさせないで……。
私は、神とか、どうでもいいの……です」
神に対する敬愛も、忠義も持たない、異端の天使は言う。
「ただ、静かに眠れれば……それで、良いのです」
「――ッ、ッ」
「返事、は……?」
「ッ~~~、分かり、ましたッ……!」
嗚咽交じりの、苦渋の返事を残し、レインは逃げるように寝所を退出した。
一人になったルナリアは、嫌悪を滲ませながら呟く。
「神とか……全員、揃ってくたばれば、良いのに……」
かつて、悲恋戦姫と呼ばれた元〝人間〟は、幸福でいられる自分の世界へと逃げ込んだ。