第十六話:招かれざる夜の客
夜も更け、もうそろそろ寝ようか、という時に、ルセリはふと気になった事を口にする。
「……そういえば、なんだけど」
「お? どした?」
「いえ、火を焚いたり、お肉を焼いたりで、結構目立つ事してるのに、獣が全然来ないなって」
「ああ、その事か」
彼女が気にしていた事は、ツムギにとって今更な事だった。
「やっぱり火を怖がってるのかしら?」
「何処の知識だ、そりゃ。
火を見せたぐらいで追い払える獣なんざ、この辺りにはいねぇよ」
「じゃあ、何で?」
小首を傾げるルセリに、彼は得意気に笑いかける。
「そりゃ、あれだ。
俺がさっきから威嚇飛ばしてるからな。
よっぽどの猛獣か、根性の入った魔物じゃねぇと、ビビって近付きゃしねぇよ」
ここに強い奴がいるぞ、と大声で示していたのだ。
その危険信号を無視するのは、彼の言う通り鈍感な阿呆か、命知らずな馬鹿だけだろう。
「あら、そうなの?
全然、気付かなかったわ。
器用な事ができるのね」
素直に感心するルセリである。
過去にも、気迫や威圧などの研究は進められており、それらを利用した兵器も幾らか造られていた記憶がある。
とはいえ、そういったものの制御は難しいらしく、敵味方関係なく、無差別に攻撃するような欠陥兵器だった筈だ。
今、ルセリはツムギから何の圧力も感じない。
つまり、彼が威嚇する相手を選んでいるという事だ。
機械制御の出来ない芸当を、生身で実現しているのだから、彼女が感心するのも当然だろう。
「なら、安心して眠れるわね」
「応。警戒は俺に任せて、ぐっすりと眠るが良い」
「でも、何処かの変態が良からぬ事をしないように、ちゃんとセンサーは起動させておかないとね」
「ふっ、その必要はないぞ?
不埒な輩を近付かせたりはしないさ」
「あらやだ。
まさか自覚がないのかしら?」
うふふあはは、と爽やかに見えない攻防の火花を散らす二人であった。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、良い夢を」
~~~~~
更に夜が深くなった頃。
ツムギはふと目を開けると、ゆっくりと起き上がった。
ルセリの隣からは非常に離れ難かったが、そうも言っていられない用事が出来たのだ。
「全く。
いつか来るとは思っていたが、もう来たのか。
働き者というか、何というか」
呆れたような、逆に感心したような、微妙な声音で呟くと、彼はルセリを起こしてしまわないように静かに立ち上がる。
「すぅ…………、すぅ…………」
マントを毛布代わりにして、身体を丸めて白い芋虫となりながら、呑気な寝息を立てているルセリ。
彼女を見て、ツムギは微苦笑した。
「狸か。
まぁ、それなら良いさ」
呟いた後、ルセリから視線を外して森の一方向へと向ける。
その時には、彼の目は優しくも嫌らしい物から、狩人のそれへと変貌していた。
「では、行ってくるよ、ルセリ」
音も立てず、ぬるりとした動きで、ツムギは夜の森の中へと姿を消した。
その背後で、パチリと何かが弾ける様な音が、小さく鳴った。
~~~~~
迷わぬ足取りで森の中を駆け抜けたツムギは、僅かに開けた場所に出て立ち止まる。
「夜分遅くに呼び立ててしまい、申し訳ありません」
停止した彼の頭上から、抑揚のない平坦な女性の声で謝罪が降ってくる。
視線を上げれば、一番に目に付いたのは、白の色。
輝いて見えるほどの純白の色をした、大きな翼だ。
頭の上には光の輪が浮かんでおり、神々しさを増している。
天使である。
天使の集団が武装を整えて、そこに浮遊していた。
空からツムギを見下ろしながら、最前に並んでいる女性天使が口を開く。
「お初にお目にかかります。
私は、第八位階天使、名をレインと申します。
征罰衆、黒槍隊を率いさせて頂いております」
「……第八位階、下っ端かよ」
聞こえないような小声で、ぼそりと呟く。
白に近い金の髪を、腰の長さまで真っ直ぐに伸ばしており、肌は染み一つない美しさをしている。
神の使いというだけあり、その容貌は神々しささえ感じられる程に端整であり、肉体も非常にバランス良く凹凸に富んでいる。
純白の衣の上から、漆黒の鎧を纏い、手には同じく黒の槍を携えている姿は、まさに天罰を与えに来た戦乙女そのものだ。
単純な造形美を比べるならば、レインと名乗った彼女の方が、ルセリよりも遥かに上だろう。
誰もが、そう言うに違いない。
だが、ツムギは、彼女の美貌を見てもぴくりとも反応していなかった。
彼にとって、神に連なる者というだけで、対象外となるのだ。
「ご丁寧に、どーも。
俺の自己紹介は必要か?」
「いえ、結構」
あまりに平坦で、感情を一切感じさせない声音で、彼女は即答する。
レインの瞳には、好意的な色が全く浮かんでいない。
むしろ、汚物を見るような、そんな嫌悪の色合いである。
それもそうだろうな、とツムギは思う。
彼自身が大変によく理解しているし、むしろ好意的に見られていたら、その天使の正気を疑う所だ。
なにせ、ツムギという男は、反逆の罪で、神殿から直に指名手配されているのだから。
故あって、積極的な討伐は行われていないものの、罪人には違いなく、それを不満に思っている者がいる事は当たり前と言える。
「そんで?
そんな天使様が何の用事ですかねー?」
とはいえ、理由が分かるからと言って、丁重に接してあげる訳ではない。
そもそもツムギは、基本的に天使が嫌いなのだ。
だから、思いっきり馬鹿にしながら問いかける。
「っ、神殿において、要対処人物を観測しました。
処理が必要と判断しましたが、あなたの存在を発見した為、穏便な話し合いの為に召喚させていただきました。
罪人ツムギよ、手を引きなさい」
ツムギの態度に、苛立ちを覚えて顔を歪めるレインだが、激昂する事なく、すぐに取り繕って淡々と要求する。
求められた事に対して、彼は深く溜息を吐いた。
「だろうなー。
そうだろうと思ってたよ」
ルセリは、彼らの定めた基準からドストライクで逸脱している。
ただでさえ、神の寵愛を否定する無能者であるというのに、それだけでなく過去の忌むべき文明の継承者なのだ。
技術的な意味でも、思想的な意味でも。
かつて、酷く痛い目を見た神々が、即座に反応してしまうのも無理はないだろう。
(……連中の法典に示し合わせれば、推奨される対処は神殿の下で厳重管理。
不可能な場合は、無力化、だったか)
このまま要求に従った場合、彼女がどうなるのか。
それを思い出して確認したツムギは、はっきりと明言する。
「嫌だね」
これが、行きずりの適当な相手だったならば、どうでもいいと言っただろう。
面倒に関わりたくないと、さっさと退散していた可能性は大いにあった。
だが、ルセリは駄目だ。
ツムギは、彼女を諦める事が出来ない。
ツムギの答えを聞いたレインは、説得するような事はなかった。
即座に黒槍を構えて戦闘態勢を取る。
「無駄な時間を過ごしました。
ならば、諸共に滅びなさい」
世界最強の武装組織、征罰衆。
末端とはいえ、その看板に恥じぬだけの覇気が、レインを代表として全員から放たれていた。
「ククッ、クックックッ……」
それを全身で受け止めたツムギは、嗤う。
彼は、敵を前にして、臨戦態勢を取った。
「カミ様の便所紙如きが。
喧嘩売る相手、ぜってぇ間違ってんだろ」
《修羅》ツムギ。
彼が神殿から処分保留にされている理由は、滅ぼす為に必要とされる労力が、あまりにも割に合わないと認められたからである。
※簡易位階表
・第一位階:ザ・天辺。神話の中心となる主神クラスの神霊。太陽神とか創造神とか、そういうレベル。
・第二位階:上位神。大抵の人間に聞き覚えがあり、数多の神殿で祀られている神話の代表的存在。
・第三位階:中位神。それなり程度の知名度を持つ、力ある神々。
・第四位階:下位神。有象無象。ほぼ無名であり、特定地域でのみ信仰される土着神レベル。
~~~神と天使の壁~~~
・第五位階:最上位天使。下界を管理する為に、神々から大きく権限を与えられている。法典を逸脱しない範囲ならば、自由裁量での判断も許される。ぶっちゃけ、下位神よりも希少。
・第六位階:上位天使。征罰衆の中でも大部隊を取り纏める有力な天使。
・第七位階:中位天使。比較的、常識的な存在。人間が生身で勝ち得る限界点に位置する。但し、一部、例外的人間は除く。
・第八位階:下位天使。それなりに有力だが、充分に人間でも勝ち目のある存在。英雄級ならば、単独でも勝ち得る。
・第九位階:木端天使。自意識もなく、ただ命令に従って動くだけの人形天使。それでも一流の戦士並には戦える上に、数だけはやたらと多い為、人海戦術で英雄級でも落とせる事もある。




