第九話:ふぁいやー! いや、それはおかしい
「あっ、帰って来たわね」
「ぬ。待たせてしまったようだな。悪い」
「大丈夫よ。時間前だから」
にこり、と笑みを見せるルセリに癒されながら、ツムギは獲物を降ろす。
マーダーベアの巨体に、雑な器をそのまま千切り取って運んできた蜜。
適当な草で編んだ籠には、パンの実と帰路で採取した食用にできる草花が詰め込まれている。
「随分とたくさん取って来たわね~」
「ふっ、俺にかかればこんな物よ。
そういうルセリも、中々立派な成果ではないか」
「でしょう?
ふっふっふっ、形の良い物を選別したからね」
自慢げにドヤ顔を作る彼女の側には、木々を組み合わせて作った櫓が鎮座していた。
高さにして十メートルはあるだろうか。
良い形の物を選んだと言うだけあり、即席の物にしては非常に立派な印象を見る者に与えてくる。
「じゃあ、まずは火を付けましょうか」
「そうだな。料理するにしても、火は必要だもんな」
言って、何らかの道具を取り出そうとするルセリに先んじて、ツムギは息を吸って火を吐いた。
豪、と勢いよく櫓の根元へと吐きかけられた火は、上へ上へと登っていく。
よほどの火力なのだろう。
組まれている物は生木にもかかわらず、何の問題もなく火を付けてしまう。
あまりにも予想外な手法に、ルセリは目を丸くして唖然としてしまった。
それに気づいたツムギは、振り返りながら訊ねる。
「ん? どうした?」
かけられた声に我に返った彼女は、珍生物を見るかのような目でツムギを見ながら、言う。
「……あなた、今、火を吹いたわね?」
「おう。まぁな」
「なに? あなた、燃料袋でも付いてるの?」
「馬鹿な事を言うなよ。
人間にそんなの付いてる訳ないだろ?
身体を油を絞り出して、体温で火を付けただけだよ」
当たり前のように不自然な事をのたまうツムギに、頭痛がするように眉間を抑えるルセリ。
「……発火温度を越えるような生物なんてこの世にはいないし、油を絞り出すってのも意味が分かんないわ」
「そんな事を言われてもな。
ほら、寒いと身体が震えるだろ?
あれをちょっと激しくしただけだし、油だってこう、ぎゅっ、と筋肉を締め上げる感じで、ぎゅっ、と出してるだけだしな」
説明になっていない説明に、ルセリは虚空を眺めたり頭を抱えたりして、暫し百面相をした後、手を叩いて爽やかな笑顔を形作った。
「うん。あなたが変人って事でオールOKね!」
諦めただけだった。
気を取り直した彼女は、いつか隙を見て解剖しよう、と心に留めて、夜空に向かって立ち上る火柱を見上げる。
「わぁー! あははっ、きれーい!」
「ふっ、明かりを照り返す君の瞳の方がもっと綺麗さ」
「キャンプファイヤーって良いわよね!
生で見るのは初めてだわ!
ふふっ、こんな贅沢な事、出来なかったもの!」
「ふっふっ、華麗に無視ですね」
感動故に、まるで聞いていなかっただけなのだが、口説き文句をスルーされたツムギは膝から崩れ落ちる。
ひとしきり堪能した所で、ようやく転がっているツムギに気付いたルセリは、冷たい視線で文句を言った。
「なに寝てんのよ。
ほら、早くご飯の準備をしましょう」
「……はーい。仰せのままに」
のろのろと起き上がった彼は、獲得物の山へと向かう。
一番目立ち、ついでに最も処理の必要なマーダーベアを持ち上げて示しながら、ツムギは訊ねる。
「ところで、ルセリお嬢さん、解体のスキルはお持ちで?」
ルセリは、視線をそっと逸らして答えた。
「……んー、知識はあるけど、実践経験は……。
お願いできるかしら?」
「はいはい、プリンセス。
喜んで。
じゃあ、こっちの山菜の方を頼みますわ。
毒のある様なものは取ってきてないから、適当に串にでも刺して炙れば良いよ」
「OK、任せてちょうだい」
山菜を詰め込んだ籠を渡し、ツムギは熊肉へと手を付ける。
人差し指を突き込むような動作を、空中に向かってすれば、収納されていたものが伸びるように、彼の爪が鋭く伸長する。
「……猫みたいな身体ね」
じぃっと背後から観察する視線を感じた。
振り返れば、興味をそそられたらしいルセリが見ていた。
「お勉強か?」
「ええ。食肉の解体現場なんて、そうそう見られる物じゃないから」
「昔は……そうだったらしいな。
今じゃ、珍しくもないぞ」
旧文明時代は、合成食材が主流だったと聞いている。
肉類ですら人工的に合成した物を供され、天然物はほとんど出回っていなかったそうだ。
だが、今の時代は逆だ。
文明が一度完膚なきまで破壊されている為、そうした技術はほとんど失われている。
だから、天然物しかなく、人工的に食材を造るなんて事は出来ない。
今はこんな原生林の中にいるが、人里に降りて適当な肉屋か冒険者ギルドにでも入れば、獣の解体現場なんて幾らでも見る事が出来る。
「そうなんでしょうけど、やっぱり私にとっては初めての物だもの。
興味深いわ」
「まっ、構わんがね。
その内、自分でも経験してみるか?」
雑談を交わしながらも、ツムギの手は素早く動いている。
首筋を一閃し、太い血管を傷つけると、熊を逆さにして適当な木の枝から吊るす。
麻痺しているだけでまだ生きていた熊は、心臓の鼓動に合わせて大量の血をドバドバと吐き出し始めた。
全ての血が抜け切る事を待つ事無く、彼は毛皮へと手を付ける。
綺麗に毛皮と皮膚を剥いていく。
中身を入れて組み立てれば、きっと生前の威容を持たせる事が出来るだろう程に、丁寧な皮剥ぎだった。
「こいつの剥製はそれなりに高値で売れるんだが、かさばるから捨てるしかないな」
剥ぎ終わる頃には、出血も収まってきた。
それを確認して、本体の肉へと手を付ける。
腹を裂いて内臓を取り出し、肉は部位ごとに小分けにして解体していく。
「心臓と肝臓、膵臓に胆のう、この辺りは薬剤の素材になる。
まぁ、マザー大先生からすれば大して貴重な物でもないが、何もないよりはマシだろ。
土産にしよう」
「アポなし突撃だし、ご機嫌取りの手土産は必要よね」
「そういうこった」
見る見る間に、巨大な獣が食肉へと変わっていく様は、職人技という物を感じさせる光景だった。
感心したような視線を向けるルセリに、ツムギはやや照れたような笑みを見せる。
「本業じゃないからな。俺の場合はこんなもんさ」
「充分に素晴らしい手際だったと思うけど……本業はもっと凄いの?」
「ああ。極みに入ってる解体者は、マジで意味が分からんレベルだぞ。
見ていても理解できん。
何でそうなるんだよ! って何度ツッコミを入れた事か」
その時の事を思い出したのか、クックッ、と押し殺した笑みを浮かべる。
「神の御業、ってのは下らんものだが、極めている連中は面白い奴らさ。
知り合っていて損はない」
呟くツムギの言葉に、ルセリはやや沈鬱そうな表情を見せた。
「……神。そう、やっぱり神がいるのね」
「…………」
憂いを帯びた呟きは、夜の森に溶けて消えた。




