第八話:ハント!
「さて、良い感じな獲物ちゃんよ。出ておいで」
ツムギの耳と鼻には、丁度良い獲物の当てが引っかかっていた。
その感覚に従って、山の一角に開いた横穴へとやってきている。
ただでさえ日が暮れているというのに、洞窟となっている事で更に星明りも月明かりも届かなくなっている暗いそこに、彼は躊躇なく足を踏み入れる。
複数種類の血の混じった獣臭が充満する洞窟。
間違いなく、凶暴な肉食の獣がいる。
『ギュルアアアアァァァァァァ……!』
「おっ、いたぁ」
不躾に己の寝床へと入ってきた侵入者に、怒りの咆哮を上げた獲物がツムギへと襲い掛かってくる。
体長は約4メートル強ほど。
血が混じって赤く染まった体毛は、非常に頑丈で鎧のようになっている。
腕が異常に発達しており、太い筋肉に覆われているだけでなく、身長と同じくらいの長さをしており、それが主要武器である事を伺わせる。
頭には短く小さいものの、尖った角もあり、下手に突進を受ければ痛い目を見るだろう。
名称は、マーダーベア。
縄張りの主となる事もあるほどの、強力な熊の魔物である。
ちなみに、肉は肉食獣にしては柔らかく、少しの手間で中々の美食となる。
また熊らしく蜜を収集する生態をしている為、生体の巣穴にはそれなりに纏まった量の良質な蜜が保管されており、これを肉にかけると更なる美味となる。
ちなみに、薬剤の素材にもなる為、所有者の強さと合わさって、人間社会ではかなりの高級品だ。
両腕を振り上げて掴みかかってきた熊を、ツムギは腰を落として手を組み合わせるようにして受け止める。
「うむ! 良い筋力だ!」
『グアッ!?』
まるで足が大地に深く突き刺さっているかのように、一切後退する事なく受け切ったツムギに、熊は戸惑いの声を上げる。
その隙に、両腕を外側へと払いのけたツムギは瞬発する。
「ショック!」
指を立てて、首の根元を突く。
更に続けて、熊の全身に何度も指を突き立てた。
気功法《鍛針》。
自身の気血を針のようにして打ち込む技である。
しっかりと急所に打ち込まねば、あまり殺傷能力のあるとは言えない技であるが、ショック・ハントを極めているツムギならば、必殺となり得る。
『ガッ! ガッ!?』
全身が麻痺したように動きを止め、やがて重力に引かれて倒れ伏してしまうマーダーベア。
今回は食べる事が目的である為、そこそこ強めに打ち込んである。
外側から解いてやらねば、麻痺が自然に消える事はないだろう。
「これも弱肉強食の定めよ。
美味しく食ってやるから、恨んでくれるなよ」
手を合わせて軽く黙祷を捧げたツムギは、倒れた巨体を一時放置して、巣穴の奥へと向かう。
食べ残しの獣骨を踏みしめていった先には、木や土などで雑に作られた器があり、そこには琥珀色をした美しい蜜が溜められていた。
「うむ。流石に人里離れた場所にいた個体よ。
長く生きていただけあり、中々の量であるな」
一抱え程もある器には、溢れんばかりの蜜が溜められている。
これならば、マーダーベアの肉に贅沢に振りかけても猶、余るだろう。
「となれば、デザートに甘味でも用意するかな。
女性は須らく甘い物が好きだというし、点数稼ぎになるだろう」
洞窟から外に出たツムギは、鼻を鳴らして周囲の匂いを嗅ぎ取る。
「これだけの森なら、あっても良いと思うのだが……」
複雑に絡み合った森の匂いを分別し、目的の物を探し出す。
やがて思惑通りに見つけた彼は、軽く駆ける。
そこらの獣では目にも映らぬほどの俊足で駆け抜けたツムギは、山一つ越えた場所に降り立つ。
「やはり天然のパンの木があったな。
まぁ、質はあまり良くないようだが、天然物では仕方ないな」
パンの様な味と触感を持った実を付ける木がある。
その名もずばり、パンの木。
魔樹の一種だが、攻撃性はなく、種を生で食べなければ人体に危険はない。
それなりに発達した森ならば何本か程度に生えており、旅人には重宝される樹木だ。
残念ながら、天然物だとあまり美味しくない所が欠点であり、鳥獣に喰われて見た目が崩れている事もある為、好んで採取する者はあまりいないが。
生っている実の中から、なるべく質の良い物を選んで幾つか千切り取ったツムギは、満足げに頷くと空を見上げる。
月の位置から時間を推し量った彼は、そろそろ約束の時間だと見て取り、帰路へと着くのだった。




