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「じゃあー、鍵あけますねー」
マールはゆったりとした動作で立ち上がった。
ディアスの収容されている魔人封じの檻まで行くと、躊躇いなく鍵を開ける。
カイル、エドガーが身構えた。
フリードは鋭い眼光でディアスの挙動に目を光らせて。
エレオノーラはとんがり帽子を被ると、幅広のつばの陰からディアスを窺う。
開け放たれた檻の扉。
ディアスは檻から身を乗り出した。
その赤の瞳がキッと見据えて。
発酵菓子のケーキを。
「どぉぞー」
マールは切り分けられた菓子を数枚小皿によそうと、ディアスに差し出した。
ディアスは受け取った発酵菓子を頬張ると顔をほころばせる。
「お前、甘いもん好きなのか?」
フリードが訊いた。
「いや、そんな事は」
ディアスはまた発酵菓子を口に入れた。
もぐもぐと咀嚼しながら。
「ないぞ」
もぐもぐ。
ごっくん。
「魔人相手への」
ディアスは発酵菓子を再び口に運んで。
「申し出だ」
もぐもぐ。
「その配慮を思えば」
もぐもぐ。
ごっくん。
「頂かないわけにはいかないさ」
「おかわりぃ、いりますー?」
マールが訊いた。
「頂こう」
ディアスは大きくうなずいた。
「味、感じんのか?」
エドガーが呟いた。
「魔人堕ちになっても味覚はそのままだ。渇きも飢えも食べたところで全く消えはしないがな」
ディアスはマールからおかわりの発酵菓子を受け取ると、それをまた口に運んだ。
さらにマールから紅茶の入ったカップを受け取ると、それを飲む。
「…………で、行かないのか?」
ディアスが訊いた。
マールを除く4人が半眼でディアスを見る。
ディアスは空になった小皿とティーカップを置いた。
次いで壁に立て掛けられた自身の剣を横目見て。
「手にとっても?」
「ああ」
フリードが答えた。
ディアスは剣を手に取ると鞘を腰と背中のベルトに次々と留めて。
真白ノ刃匣を肩に担ぐ。
「フリードさん、首輪はどうします?」
カイルが訊ねるとフリードは首を左右に振って。
「いや、いらねぇよ。こっちから誠意を見せなきゃ、誠意は返ってこないもんだ」
フリードは周りの仲間に順に視線を向けて。
「よし、準備しろ。発つぞ!」
フリードが声をあげる。
「───ケケケ、やっとエミリアが動いたぜ?」
その時、アムドゥスの声が響いた。
「やっとか。お前がもうそろだって言ってから、わりと時間がかかったな」
「あと少しの距離で休憩にでも入ったんだろうぜ。ケケケケケ」
「誰と喋ってるんだ?」
カイルが呟いた。
フリード一向はディアスを警戒し、各々の武器に手をかける。
「ブラザー?」
「ああ。いいぞ、アムドゥス」
ディアスの言葉を受けて、アムドゥスはその姿を見せた。
ディアスの欠損箇所を補ったまま。
背中の片側から真っ黒い3枚の羽が現れると、それぞれの羽に大きな瞳が現れる。
「ケケケケ、自己紹介がまだだったなぁ。俺様の名はアムドゥス様だ。覚えておきな! ケケケケケ!」
その声は部屋にいる全員に届いた。
「悪いな、【赤の勇者】フリード。お前の誠意、無駄にした」
「正気か? この状態で俺達に勝てるとでも?」
フリードの鋭い眼光がディアスを捉える。
「戦うつもりはない。勝ち目がないしな」
「はっ。じゃあどうする。逃げられるつもりか?」
エドガーは腰に下げた大きな手甲をはめ、拳を構える。
ディアスはエドガーを横目見ると、フリードに視線を戻して。
「誠意には応えられないが、せめて詫びを1つ」
ディアスは懐から透明な結晶の欠片を取り出すと、フリードに放った。
フリードはそれをキャッチすると、首をかしげる。
「おそらく赤蕀の魔王の魔宮進行にも関与する、新種の魔物のものだ。魔王の蕀に覆われてその痕跡が発見できるかは分からないから、せめてもの置き土産だ」
「置き土産ねぇ。だがどうやって逃げるつもりだ?」
フリードが訊いた。
ディアスの正面にはフリード。
右にはエドガー。
左にはカイル、マール、エレオノーラが構えている。
囲まれたディアス。
その背には大きな窓があるが、フリードの抜剣を阻む要素がない。
背中を向ければ抜くぞ、とフリードは目で訴えている。
ディアスはそれぞれに視線を向けた。
絶対絶命ともとれるこの状況下で、ディアスは落ち着いた声音で言う。
「今、俺のアムドゥスはエミリアと契約している。そしてそれと同化している俺は────」
ディアスはにやりと笑って。
「一定以上の距離を離れられない」
フリードが剣の柄に手を伸ばそうと。
だがフリードが抜剣を構えるより早く、ディアスの姿が忽然と消えた。
「『神秘を紐解く眼』!」
カイルはすかさず目に意識を集中させ、部屋を見渡して。
「ダメです、フリードさん! 隠密や気配遮断の類いじゃない。実際に消えました!」
「ハハ、やられたな」
フリード鋭い歯牙を剥いて笑って。
だがその目には明らかな怒気が滲んでいた。
視線だけで相手を射殺せるのではと思うほどの鋭い眼差し。
「強制転移の類いのように見えたの。あやつの言葉が正しければ今頃、魔人の嬢ちゃんのとこじゃろうな」
エレオノーラが言った。
「間に合うとは思いませんが、すぐに伝令を飛ばします」
カイルが言った。
「…………にしても、こいつ」
フリードはディアスが投げ渡した結晶を顔に近づけた。
その臭いを嗅ぐと再び首をかしげて。
他の仲間に聞き取れないような小さな声で呟く。
「やっぱりこの臭い、覚えがあるな。こりゃ確か」
フリードは舌打ちを漏らして。
「ギルドの最高議会員の奴らか」




