13-4
地下から接近し、その足場となる大地を黒竜──レオンハルトの力で崩落させて魔毒の巨兵の足を止めて。
体勢を崩した魔宮の巨人へとディアス達は強襲する。
崩れ落ちる大地の隙間を潜り抜けると、周囲には宵に散りばめられた無数の光。
星明かりにも見えたそれには、しかし敵意が宿って。
次いで光は流星とは違う蠢くような軌跡を描いた。
ディアス達はそれが自分達に向けられた大小無数の魔物の眼差しだと気付く。
辺りを囲むおびただしい数の魔物はそのどれもがAランク以上の猛者が使役する強力な魔物。
だがディアス達の駆る黒竜は過去の世界においてその頂点に君臨した最強の個だ。
向かい来る多勢を羽ばたき1つで消し飛ばし、その爪を振るえば眼前のあらゆる障壁が肉片と変わる。
黒竜はその羽を大きく広げ。
艶めく漆黒の鱗に縁取られた皮膜が弧を描き、それは対の黒き三日月にも見えて。
次いで黒竜は力を蓄えた羽で強く空を掻いた。
ヒュン、と黒い閃き。
レオンハルトは流星となって疾駆し、その軌跡を追うように遅れて魔物の血飛沫が咲き乱れては散っていく。
「このまま行っちゃえ! お兄ちゃん!」
黒竜の首にしがみついたフェリシアが言った。
その細い指先をまっすぐ魔毒の巨兵に向ける。
────だが、光。
瞬間。
視界が回った。
とっさに身をよじった黒竜。
そしてフェリシアが何か光った、と思ったときには。
すでに一条の鋭い瞬きが空を走り抜けていた。
空気を焦がす臭いと共に光の粒子の帯が尾を引いている。
それは高密度の魔力の矢。
回避して掠めてすらいないその一撃は、しかし余波だけで黒竜の羽の先を赤熱させた。
レオンハルトにダメージはない。
だが黒竜の身体なら無傷でも。
生身のフェリシアやアーシュは元より、魔人であるディアス、エミリア、ハク、そして魔物となっているクレトもその余波に焼かれるだけでダメージを負うのは必至。
当然、直撃はなんとしても避けなければならず。
そしてエミリアとクレトはその一撃を知っていた。
ディアスにも覚えがある。
ディアスの永久魔宮化の際、逃走するエミリアとクレトを襲った攻撃だ。
「ギルベルト様の────」
矢を放った瞬間には不意打ちが不発に終わると即座に判断。
恰幅の良い冒険者はすぐにまた大弓に魔力をつがえて。
「邪魔は、させないっ!」
再び魔力の矢を射る。
回った視界が、さらに歪んだ。
同時に焦点の合わないぶれた景色を埋め尽くすまばゆい光。
恰幅の良い冒険者は、先ほどの速度と威力に特化した単発のものから切り替えていて。
拡散する魔力の矢が雨のように降り注ぐ。
急降下。
急旋回。
急浮上。
文字通り矢継ぎ早に放たれる広範囲攻撃をレオンハルトはかわすが、かわした先にはさらに攻撃が置かれていた。
レオンハルトの軌道を読んでいる。
否、回避の方向を意図的に操っている。
誘導されていると気付いた時にはもう遅い。
さらにディアス達は、後手へと回る。
「ギルベルト!」
男の声。
その声に応えるように魔宮の巨人はその巨体の一部を切り分けられて。
幹と枝葉でできた立方体のブロックが射出され、ディアス達の背後に瞬く間に積み上がって巨大な樹の魔宮が現れた。
その大樹も、ディアス達は知っている。
「っ!」
どこから来る、と。
ディアスは素早く視線を切った。
敵は速い。
分かっていたのに。
だがそれよりも早く。
魔宮のブロックの陰に紛れて迫っていた木の葉が──刃の魔物の群れが彼を飲み込んだ。
そのまま黒竜とすれ違い様にディアスを連れ去る。
「ディアス!」
エミリアが叫んだ。
その声に、遅れてアーシュも振り返る。
見るとあっという間に遠ざかっていくディアスと魔物。
ディアスは黒竜と完全に引き離された。
「くそ」
ディアスは取り付いた魔物を睨んだ。
薄い二枚の甲殻の隙間から覗くひし形の頭部。
今もディアスの身体を構成する自食の刃を火花を散らしながら削っているのは甲殻の縁から伸びた鋸刃のような爪。
それがディアスに食い込んで離さない。
そのまま木の葉に擬態する蟲の魔物は、その巣である大樹へとディアスを誘う。
「顕現しろ────」
ディアスは千剣魔宮による刃の展開と『その刃、熾烈なる旋風の如く』で魔物の群れから逃れようと。
だがその必要はなかった。
気付くとすでにそこは巨木の魔宮の中心。
白い花が咲き乱れ、澄んだ水が湧き出して流れ落ちる円形の広間でディアスは解放されて。
つむじ風に吹かれるように、渦を描いて魔物が頭上へと舞い上がって距離を取る。
広間の中心に残されたのはディアスと、彼を待ち構えていた赤茶色の髪を結わえたいかつい風貌の魔人。
魔人──ドミニクは両端が鋭くよじれた樹槍を携え、にやにやと楽しそうに笑っていた。
その目から滾るように赤の光が噴き出している。
青鏡の魔王と対峙し、その討伐に成功したあとに見ると魔人としての格はどうしても劣って見えた。
実際、他のギルベルト陣営を含めた多対一の戦闘でも永久魔宮化するまで拮抗できていた。
それが今は1人。
さらにディアスはもう魔力のリソース源を隠すつもりもない。
先のような魔力切れで永久魔宮化を起こし、実質的な敗北を喫するということはない、とディアスは考える。
しかし油断もできないと感じていた。
ドミニクからは数々の死線を潜り抜けた手練れの気配。
そしてどこか狂気を孕んで爛々と輝く瞳からは男の本質が垣間見えた。
そのタガは外れたように見える。
「元勇者の魔人堕ち。お前の戦い方は2度見た。本当はタイマンでやりたかったが。1度目はお前らを逃がすために。2度目はお前が永久魔宮化しちまって。……だが3度目の正直。ようやくこうしてお前と、本気で、戦える……!」
「あいにくと時間稼ぎに付き合ってる暇はない」
ディアスは刀剣蟲を生み出し、自食の刃を纏わせて。
4つの遠隔の腕を形作るとその腕で刀剣蟲を握った。
四肢の中ほどから剥き出しとなった刃も構える。
「時間稼ぎ? そんなつまらねぇことするかよ。それに、必要ねぇ────」
ドミニクが言ったのと同時。
ディアスの背後で、轟音が響いた。
「こいつは俺の最後のわがまま────」
ディアスはドミニクを警戒しつつ背後を肩越しに横目見る。
「別にお前らまとめて叩き潰せるからな」
見えたのは上体を城や要塞にも似た形を変えた魔毒の巨兵と、黒煙の尾を引きながら空を翔る傷だらけの黒竜の姿。
魔宮の巨人の側面に無数に形成された長大な砲身から様々な魔宮生成物や魔物を利用した砲弾が絶え間なく放たれ、レオンハルトが攻撃でそれらを相殺すると再び大気を震わせる衝撃が拡がった。
拳闘の構えにも似た両腕による防御と咆哮でその首に跨がるフェリシアやエミリア、アーシュとクレトを守っているが、鱗の一部は剥がれ落ちて流血している。
レオンハルトが隙を見て反撃に転じても、そびえ立つ魔宮の砦はその攻撃を複数の魔宮の特性と魔物の力でいなした。
この魔宮の大地を打ち崩すほどの力を持つ最強の個の1つが、ギルベルトの操る魔宮の巨人に攻めあぐねている。
「あれも最強の1つ」
ドミニクは黒竜を見て言った。
次いで小さくため息を漏らして。
「だがしょせん個の強さよ。俺も個としての強さの高みを追及する身だから口惜しいが、ギルベルトは個を凌駕する結束の強さを持つ。星も、魔王も、勇者も……あらゆる障害を排除して理想を達成するためにあいつが築き上げた無敵の力だ」
「…………」
理想のための結束。
だが多くの人と魔人に支持されてそれを力に変えた男が最後に果たすのが他者を排した個の世界とは、と。
一瞬ディアスの脳裏を皮肉めいたものが過って。
次いでディアスはドミニクに向き直った。
ディアスに視線を返してドミニクが言う。
「ギルベルトの思惑通りになっても何らかのミラクルで阻止されても、もう俺が望むような他者と競い高みを目指すような戦いはできねぇ。だからギルベルトに頼んだんだ。最後にお前と闘いたいってなぁ」
強く槍を握るドミニクの目からは今も赤が絶え間なく迸っていた。
目が言っている。
笑みが物語る。
ドミニクの本質が、闘争であるということを。
逃げられない。
倒さなければ倒される。
そのためディアスは一気に勝負に出ようと、刀剣蟲の魔力を解き放つ。
辺りに咲いている白い花によるデバフや毒をディアスは警戒して。
すでに肺も刃に飲まれ、魔力によって代謝するその身体に呼吸は不要。
短く言葉は紡いだが、ディアスは吐くばかりで息を吸ってはいなかった。
あとは直接的な攻撃によるデバフや毒に注意を払えば、すでに魔人として格下のドミニクに負ける道理はない。
構造的にここがボス部屋であるのもほぼ間違いないが、ボスが出現を終えるよりも早くドミニクを狩ると。
ディアスは四肢の刃を操作して飛翔。
ドミニクへと躍りかかった。
同時に遠隔の腕を振るって。
ソードアーツによって光を放つ刃が四方からドミニクへと振り下ろされる。
ドミニクは先の戦闘の経験から四方からの同時攻撃を捌くだけの速度と技量を得ていて。
だが自壊と引き換えに底上げされ、高ランクの魔剣に匹敵する威力を誇るソードアーツが相手では一撃防ぐのもやっと。
だが。
それでも。
ディアスの刃はドミニクに届かない。
「っ?!」
甲高い音と共にディアスの放ったソードアーツはことごとく弾かれた。
見るとディアスの眼前には赤褐色の塊。
硬質な素材が幾重にも折り重なったそれは繭にも見えて。
それがみるみる肥大化し、人の身の丈の数倍にも膨れ上がる。
ボスの出現を疑うディアス。
だが即座に別な答えに思い当たった。
これはただのボスの出現ではない。
攻撃の際、対峙した魔人そのものが変質したように見えて。
そして魔人そのものが変容して魔物へと変わるのをディアスは見たことがある。
戦ったことがある。
不死身の魔人と称された自身の複製を生み出す魔人の女。
その魔人は複製である自身の身体を魔宮のボスへと変え、ディアスに襲いかかったのだ。
内部からぼこぼこと揺れる繭。
そこから鋭い切っ先がディアス目掛けて突き出された。
すかさずディアスは身をよじり、魔力を失って切っ先から崩れていく刀剣蟲を別なものへと持ち替え。
飛びすさって回避しながら追撃を見舞う。
同時に鋭い風切り。
距離を取っていた木の葉のような魔物が数体、繭から伸びる切っ先へと向かった。
切っ先に取り付くと折り畳まれた2枚の甲殻を展開して。
次いで魔力の尾を引いた、いくつもの斬撃。
ディアスのソードアーツを上回る刃が彼の刀剣蟲を打ち砕く。
「コレガ1度キリノ、俺ノ奥ノ手」
羽音を凝縮したような微細に震える野太い声。
その声の主は魔人から魔宮のボスへと完全に変態を遂げると姿を現した。
細く筋ばった外骨格の、虫のような緑色の身体。
側面からは細長い腕が6本伸び、2つの長く鋭い爪を束ねて手首から先が1本の槍のように。
大腿部は身体に対して不釣り合いに太く、逆間接になっている膝下はまた異様に細い。
足先も反らした指が束ねられて槍のようで、今も崩れていく木の葉の魔物がそれぞれの槍の先に同化してハルバードのよう。
肩からは魔人の胴体の名残を残した首が伸び、その胴体だった胸元には縦に裂けた口。
両腕は左右に開く黒く鋭い牙に。
頭部は魔人だった頃の肩に埋もれて甲殻に覆われ、感覚器官の類いは見られない。
魔宮のボスとなり、異形となったドミニクは崩壊した斧刃を新たな魔物へと取り替えた。
自壊と引き換えにした魔物の刃の威力の底上げと交換。
その戦闘スタイルはディアスから学んで。
擬似的なソードアーツによって今までその能力を十全に引き出せなかったドミニクの刀剣蟲がついに、その真価を発揮する。




