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「…………あわよくばと思ったが、やはり硬いな」

　ラーヴァガルドの操作可能な最大本数全てによる攻撃を受けても、規格外の大きさを誇る白竜には目に見えたダメージは与えられていなかった。

沈んだ巨体が剣をはね除《の》けて再び持ち上がり、その顔をラーヴァガルドに向ける。

　全容は未だ掴めず。

見えるのはワニの顔を押し潰したような三角形の頭と、そこから伸びる山の頂《いただき》と見紛うほどの巨大な角。

その顔に眼はなく、眼孔《がんこう》を思わせる窪みがわずかにあるだけだった。

ヒレにも似た4つの腕が翼のように広がって空を覆っている。

『────────』

　再び低くたなびく竜の唸《うな》り。

それに連ね、重なり、無数の旋律。

　白竜の身体を覆う鱗の1枚1枚が体を起こした。

それらは竜となってラーヴァガルドに狙いを定めて。

首筋まで引き裂ける口。

喉奥から膨れ上がる熱と輝き。

城のように大きな体躯が、人間1人を狙う砲台と化す。

「…………放て」

　その声に続いて閃光。

次《つ》いで空を走ったのは夜空の星全てを叩き落として見せたかのような、灼熱に燃える数多《あまた》の流星。

白く燃える閃光が空気を焼き焦がし、視界を陽炎《かげろう》のように揺らめかせながらラーヴァガルド目掛けて飛来する。

　ラーヴァガルドは万の剣に意識を向けた。

剣を手繰《たぐ》り、渦巻く刃を編み上げる。

　擦《こす》れ合った刃から火花。

それが大粒の雫《しずく》となって鈍色の剣身《けんしん》を跳ね、雲を走る雷光のように。

次《つ》いで雷雲を思わせる刃の防壁へ、流れ落ちる弾幕が炸裂した。

降りしきる流星がことごとく弾け、光の雨となって大地に飛散する。

　ラーヴァガルドは防壁を解除。

再び攻勢に、出ようと。

　ゆら、り。

　だがその視界の先にはその身を反転させる巨竜。

まるでゆっくりと振り向くような。

あまりに緩慢なその動きは。

しかしそれはその巨躯ゆえの錯覚《さっかく》で。

　ブン、と本物の雲を破って現れたのは白竜の尻尾。

入道雲が白く鋭い尾を引いて、途方もない質量が横薙ぎに迫る。

　それを見てラーヴァガルドの瞳からギラギラとした輝きが失《う》せた。

優しい光を宿した瞳が横目見たのは孤児達のいる方向。

「……っ！」

　再びその瞳に鋭い光。

低く、くぐもった呻《うめ》き声を漏らしながらラーヴァガルドは万の剣を射出する。

　次々と飛翔する刃は急加速と共に音速を超えて。

耳をつんざく風切りと雲を生んだ。

　雲の尾を引いて空を翔《かけ》た剣は白竜の尾へと衝突。

　だが膨大な質量。

あまりの威力に。

今にも容易く弾かれてしまいそうなその切っ先は、次《つ》いでギュルギュルと高速で回転を始めた。

堅牢な白い甲殻に取り付き、なんとか攻撃を止めようとする。

　それでもなお、止まらない。

「止まれい……っ！」

　剣の操作をしながら思わずラーヴァガルドが吼《ほ》えた。

最大の力を込めて剣を押し込む。

　なのにみるみる山脈のような尾が迫り来る。

空気を震わせ、空を揺らして。

全てを薙《な》ぎ払わんとする白が視界全てを、覆っていく。

　白竜の尾は日の光を遮り、ラーヴァガルドに影を落とした。

その影はみるみる暗く。

　────ゆえに。

迸《ほとばし》る輝きはあまりに、眩《まぶ》しい。

「魔王と戦え……それも見るに相手は白竜の魔王じゃない。ふ、無茶を言うわね」

　その身から滾《たぎ》る膨大な魔力を一条の刃に変えながら。

桃色の髪の美女はつい先刻、記憶を失う自分自身に宛《あ》てたメモを読むと思わず笑ってしまった。

それが無謀な内容で可笑《おか》しくて。

そしてこれが最期と、分かっているから。

「『その刃、我(ソード・)が魔力を贄に(フォース)』」

　次《つ》いで振り上げた黄金《こがね》色の刃は音もなく竜の尾をなぞった。

　白竜本体が振り向く速度に変わりはない。

だが迫り来る尾の速度はそれとはズレが生まれていて。

徐々にそのズレが大きく。

そしてついにその理由をラーヴァガルドは視覚でも捉える。

　それは、断面だった。

そびえるように巨大な尾の側面に一直線に凹凸《おうとつ》が生まれ、それが瞬く間に大きくなって。

尾に残った慣性は緩やかに力の方向を下へと移動。

ラーヴァガルドの剣に押し止《とど》められ、ついにその動きを止める。

　すると同時に空が裂けた。

斬撃の余波を受けて崩れ落ちた空の欠片が青から緋色、黒へと移り変わりながら白竜の尻尾と共に落下する。

　ラーヴァガルドは目の前を横切る尾の断面から視線を移した。

彼を見上げる女性に気付く。

　規格外な竜の尾を、空ごと斬り裂く長大な斬撃。

その圧倒的な絶技から彼女に与えられた称号は【空断ち】。

今の体躯には似つかわしくない魔女のような三角帽子を投げ捨てて。

魔宮生成物による効果で全盛期の肉体へと若返ったエレオノーラは魔力で足場を作った。

1歩踏み出すごとに足場を生んでは消し、ラーヴァガルドのもとへ風のような速さでほぼ垂直に駆け上がっていく。

　ラーヴァガルドは向かってくる戦友の姿を見ると頼もしく思って。

同時に微かに唇を震わせ、顔を歪めた。

次《つ》いで小さく息をつくと、その表情を隠すように口を真一文字に引き結んだ。

眉根を寄せて険しい面持ちになる。

「ギルド本部で会って以来じゃな、エレちゃん」

　隣に並び立ったエレオノーラにラーヴァガルドが言った。

「ラーヴァ、老いたわね。そして……私も同じだけ老いている」

　エレオノーラは深くシワの刻まれたラーヴァガルドの顔を見て続ける。

「自分の身体だから分かる。戦闘の勝敗に関わらずこれが私の最期になる。魂も度重なる急激な老いで磨耗してるし、肉体ももう次の老化に耐えられない。もう私の生涯を振り返る時間もなさそうだし」

　そう言って胸元の日記の表紙を撫でて。

「私の人生、ラーヴァから見てどうだったかしら」

「少なくとも私《わし》と付き合ったのは人生最大の汚点らしいぞ」

「やっぱりね！　そうなると思ってたわ！」

　エレオノーラは手を叩いて笑う。

「…………ラーヴァ、あなた子供は？」

「かわいい娘が。あと娘似の孫が１人」

「私との子？」

「……違う」

「そ。それは良かった！」

　大きくうなずくエレオノーラ。

その顔は白竜へと向けられた。

笑顔を作り、敵の動向に注意を向ける。

「なら私は生涯現役よね」

「ああ。……私《わし》は戦いを退いた。仲間も散り散りになった。じゃがエレちゃんは子もなさず、新しい仲間に恵まれ、ついこの間まで彼らと魔宮の攻略をしていたんだ。私《わし》らにも劣らぬ自慢の仲間と、そうエレちゃんは何度も語っておった。エレちゃんの人生はきっと、エレちゃんの満足のいくものだったはずじゃ」

「みんなに負けない仲間、か。会ってみたかったわね」

「会えるさ、向こうで」

　ああ、その仲間達も死ぬのか。

あるいはすでに死んだのか、と。

エレオノーラはそう思うと瞳の陰りを深くした。

そっとラーヴァガルドの指に自分の指を絡ませる。

「そうね」

「私《わし》も一緒だ」

「奥さんは」

「すでに先に逝《い》っとる」

「紹介しなさいよ」

「ああ」

　ラーヴァガルドがうなずいた。

エレオノーラは寂しげな笑みを浮かべたまま、絡めた指を離す。

　彼女の意識と記憶も、肉体が全盛期へと若返った時へと巻き戻される。

後に人生最大の汚点と自ら形容しようと、今抱いている気持ちを否定はできなくて。

『────────』

　再び低い地鳴りのような咆哮《ほうこう》。

白竜は旋回し、再びラーヴァガルドと、そしてエレオノーラを正面に捉えた。

　ラーヴァガルドとエレオノーラは目配せすると、白竜へと向かっていく。