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その身を委ねて。
エミリアの瞳がゆっくりと、静かに閉じられる。
その視界と意識が闇へと沈むその、刹那に。
光。
エミリアの目に強く焼き付いたのは光だった。
通路の遥か先から屈折して現れたいくつもの光。
その眩しさが意識を浮上させる。
エミリアは反射的に身構えようと。
だがその光はシャルロッテを捉えると、その輝きを白から青へと変えた。
その光を浴びたシャルロッテの身体が小刻みに震えて。
次いでその意思とは無関係にエミリアから距離をとらされる。
シャルロッテは奪われた肉体のコントロールを取り戻そうとするが、どれだけ足掻いてもその権限は掌握されたまま。
魔物の支配に特化したその能力を前にして、耐性を持たないシャルロッテに逃れる術はない。
おかしな挙動と共に震えるシャルロッテの姿に警戒するエミリア。
次いで光の現れた方向に振り返ると、そこには小さな人影があった。
「なに、やってるわけ」
声に怒気を孕ませて。
エミリアのもとに駆けつけたクレトが鋭い眼差しを向けている。
「クレト」
エミリアは構えていたハルバードをおろした。
力なくおろされた刃が床を打って金属音を響かせる。
「…………」
クレトは無言で足早にエミリアに迫ると、その胸ぐらを掴み上げた。
その攻撃的な態度に、エミリアはその手を払い除けようと。
だがクレトの顔に浮かぶ表情が怒りでも敵意でもない事に気付く。
その顔は、あまりにも────
「クレト……? どうして」
「どうしてはこっちのセリフだ!」
クレトの面持ちに困惑するエミリアを、クレトは激しく揺さぶった。
「お前はホントに身勝手だな! 必要以上にボクに馴れ馴れしくして。勝手にお姉ちゃん面なんかしてさ。お前の大好きなディアスやアーくんやアムドゥスを守るんじゃなかったか。なのに今やろうとしてたことはなんだ?! この、バカエミリア!!」
「あたし、は…………」
エミリアは口ごもるとクレトから目を逸らした。
「答えろよ、エミリア」
「クレトに、あたしの苦しみは分からない」
「それ、答えになってないんじゃないの」
「クレトは人を喰うのに躊躇いのない魔人だったから分からない。クレトは悪い魔人だったから分からないんだよ」
「子供かよ」
クレトはため息混じりに呟いた。
その言葉にエミリアに下唇をきゅっと噛んで。
「子供だよ。あたしはただ助けたかった。それだけだった。でも理由なんて関係ない。魔人のあたしの死をみんな願ってる。あたしの気持ちなんて関係ない。生きるためには、人を……喰わなきゃいけない」
震える声で言った。
それにクレトは。
聞きたいのはそこじゃない。
自分が話したいのはそこじゃないんだと、頭を振って。
「ボクにエミリアの気持ちは分からないって? なら、エミリアはボクの気持ちが分かるわけ。どうしてボクがこんな顔してるか分かる?」
エミリアは伏せ目がちにクレトに視線を戻した。
クレトは弱々しい赤の光が揺れるエミリアの瞳を見つめて続ける。
「ママは人間のために力を使ってた。命を奪うことはせず、口にするのは屍肉だけ。ボクにはママしかいなかった。でもママは人間の裏切りで永久魔宮になった。残されたボクはひとりぼっちだ」
母親を永久魔宮化から救い出そうと奮闘し続けた長い歳月をクレトは思い出す。
物語を記録する絵本の魔宮は、いつしかスペルアーツを生み出し、保管する埃被りの薄暗い書庫の魔宮へと形を変えた。
献身して裏切られた母親の姿を見て、他者は利用するものだと心に決めて。
他者との交流を可能な限り絶とうと。
だが心の隅で感じていた孤独。
時折書庫を訪れるギルベルトの冗長な長話も、どこか楽しみにしていたんだと今になってクレトは思う。
話の中身に興味はない。
ただ誰かがそばにいるのを感じていたかったんだと。
「ずっと独りで生きてきた。それでいいと自分でも思ってた。でも、お前が現れた。ボクを殺すと脅しながら、なのにお姉ちゃんぶってボクの世話を焼こうとしたりして。ずっとうっとうしかった」
クレトの手が震えて。
「ずっとずっと目障りだった」
クレトの声が震えて。
「でも気付いたら」
クレトの目からポタポタと、涙が落ちて。
「独りじゃなくなってた。エミリアはボクにとってようやくできた繋がりだったんだ」
次いで短く溜め息を漏らす。
「なのにお前は、ボクの事なんかどうでもいい。ボクが目の前に居るのに。今一緒なのはボクなのに。いつも口にするのは魔人堕ちに、人間のガキに、原初の魔物の一欠片。お前はホントに身勝手だよ。酷いよ。だったら初めから馴れ馴れしくなんてするなよ…………」
「クレト、あたし」
エミリアはクレトの告白になんて言葉を返していいか分からない。
クレトはたくさんの命を奪ってきた魔人だ。
それは変わらない。
だがクレトを一人の人間として見てこなかった事に罪悪感を覚える。
ディアスを救うため。
もう会えない弟の一時的な代わり。
クレトの母親がそうされたように、エミリアもクレトを利用するだけ利用していた。
その事実がエミリアの自己嫌悪を募らせる。
「もう失うのは嫌なんだ。またママがいなくなった時みたいに、エミリアがいなくなるのは嫌なんだよ。ママを諦めたわけじゃない。でももう悪い事しないって約束するから。だからずっとそばにいてよ、エミリア」
すがるようにエミリアに言うクレトの姿は、その外見相応の小さな子供のように見えた。
「エミリアが望むならその苦しみもボクが何とかする。人を喰わなくていい身体はボクが作れる。それでボクとママと3人だけで、他人の敵意の届かない場所でずっと。だからもう、自分から死のうなんてしないでよ!」
そう叫んで、小さな子供のようにわんわんと泣き出してしまったクレト。
その頭に、エミリアそっと手を添えて。
「ごめんなさい。ごめんね、クレト」
クレトに身を寄せると彼が泣き止むまでの少しの時間、頭を撫で続ける。
「…………いつまでそうしてるわけ」
調子を取り戻したクレトが、泣き腫らした目でエミリアをじろりと見た。
頭を撫でているエミリア手をどこか名残惜しそうに払うと背を向ける。
「ほら、行かないの。どうせディアスやアーくんやアムドゥスを見捨てたりはしないんだろ」
「うん」
エミリアがうなずいた。
「だよねぇ。でもその前に、ボクが聞きたかった言葉の返事がまだなんだけど。もう死のうとしないって約束、してくれるよね」
「……けけけ」
「けけけ、じゃなくてさ」
「うん…………頑張る」
「不確定な返事だねぇ。まぁ今はそれでいいや。でもいけるの? エミリアは傷だらけ。ボスは普通じゃない。相手が鏡じゃ支配の冠の能力も反射されて通じない。そんなに未練もないけど、こうなると魔人だった頃の身体が恋しくなる」
「ねぇ、その事なんだけど訊いていい?」
「なんだい」
「スペルアーツの事」
クレトはエミリアに振り返った。
彼女の顔を見ると、にやりと笑って。
「イヒヒヒヒ、何か秘策ありって顔だね」




