■-15
守れない。
助けられない。
何もできない。
耐え難い刹那の連続。
1秒すら途方もなく長く。
その目に焼き付いていく、死にゆく姿。
心配させまいとじいやが浮かべたその微笑みさえ、魔物の攻撃に溶け崩れていく。
そして果てしなく感じられた悪夢のような時は、終わりを告げた。
響く足音。
次いで複数の声。
「そこにいるのか!」
「あのじいさんがいた! 子供も一緒だ」
「急げ!」
フロアに飛び込むと同時にスライムへと攻撃を開始するのは、この永久魔宮の守衛達。
彼らはじいやに体当たりを繰り返すスライムを斬り伏せて。
じいやに巻き付く触手を切断した。
すぐさま壁に張り付く巨大なスライムへと剣先を向ける。
スライムの攻撃から解放されたじいやは、巨大スライムと対峙する守衛達とディアスを交互に見て。
「なんとか、お守りする事が…………」
じいやは安堵と共に言うと、その場に崩れた。
「じいや!」
ディアスは剣を投げ出し、唯一無事な左足を繰り出して這うようにじいやのもとへ。
「坊っちゃま」
「なんで、俺なんかのために」
あまりにも惨たらしい姿で横たわるじいやを前にディアスは頭を振った。
「坊っちゃま」
「俺は何もできない落ちこぼれだ。でもじいやは違う。みんなに必要とされてる。メイドさん達も、父さんや母さんだってじいやが必要だ。だったのに。何もできない俺のためにじいやが死ぬなんてそんなの……」
「私は諦めた──いや、逃げたのです。同期達が試験であるケーキ作りを成功させる中で」
光のない瞳で虚空を見上げて。
じいやは、うわ言のように喋り始めた。
「何を言ってるの、じいや?」
困惑するディアスを前に、じいやは掠れた声で続ける。
「1人、また1人と成功させていく中、自分が最後の1人になるのが怖かった。そしてついには自分だけが成功できない。そんな姿を想像して耐えられなかった。私はそれまで自分が一番だと傲っていたのです。そのプライドが傷つくのが……怖かった」
じいやは左腕を上げた。
ひしゃげた腕にはまるで力が入ってなかったが、その手がディアスの頬に添えられる。
「私は夢から逃げた。ですが坊っちゃまは、逃げなかった。掲げた夢を叶えるために、惜しみ無い努力を重ねられた。…………私が昼にお出ししたケーキを覚えていらっしゃいますか。あのケーキこそ、パティシエの試験で出された課題のケーキ」
ディアスはじいやの出してくれた、そして自分が踏みつけた美しいケーキを思い出した。
「あのケーキを作る事を諦めて数十年余り。決して諦めない坊っちゃまの姿を見て、私もまた……。やはり何度も失敗いたしましたとも。それでも坊っちゃまの姿にお力をいただき、私は」
じいやはそこで咳き込んだ。
呼吸が小さく、間隔が広くなっていく。
「じいや、これ以上喋らないで! じゃないと────」
不規則ながらも大きく息を吸い込んで。
じいやはディアスの言葉を遮って言う。
「私の命は、決して無駄にはならない。何故ならお救いした坊っちゃまが、これから多くの命を救うのです」
「俺が? なんで」
「だってそうでしょう。坊っちゃまは、勇者になられるのですから」
その言葉にディアスの瞳が揺れた。
「もしかして、じいやは、じいやは本当に」
「ええ。私は坊っちゃまが勇者になると、信じております」
「…………っ!」
ディアスは言葉を、失った。
全てが嘘で、誰も自分を信じてくれてなんかいなかったと。
そう思っていたのに。
今までじいやが自分にかけてくれていた『信じている』という言葉が全て本物だと知って。
そしてその想いを踏みにじった事を思い出して涙が溢れる。
あのケーキはじいやの残された夢の具現。
それを、ディアスを元気付けるために持ってきてくれたのに。
自分は感情に任せてなんて酷い事を言ってしまったんだと。
伝えなければ、とディアスは思った。
じいやが好きだった。
じいやの作るケーキが大好きで、そのケーキに力をもらっていたんだと。
だが残された時間はわずか。
そして互いに伝えたい想いがあって。
「じいや、じいや、ごめんね。俺、本当は────」
「私は坊っちゃまが大好きでした。頑張り屋で、夢を決して諦めない。どうか坊っちゃまの……望むままに。この老いぼれの命はここに尽きますが、お救いした坊っちゃまが多くを救ってくださる。私の命は数多の命の礎の1つに」
そして言葉はそこで終わった。
「…………じいや?」
ディアスの呼び掛けに返事はない。
「じいや」
ディアスの頬に添えられていた手が床に倒れる。
「じいや!」
ディアスは倒れた手を掴むが、そこに命の温もりはない。
ディアスの想いは伝えられないまま。
だがディアスの胸に希望を残して。
ディアスを生まれた時から見守ってきたその男は、静かに息を引き取った。




