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■-5

 悲鳴。

遠くから突如とつじょ響き渡ってきたのは少年の悲鳴だった。


 ディアスは声の方向へと、気付いたら走り出していて。

全力で疾駆しつつ、素早く周囲に視線を切る。


「ディアス、こっちだ!」


 ディアスを呼ぶ声。

ディアスが声の方向に視線を向けると、そこにはがたいの良い少年の姿があった。

その背後は『炎よ、斬り裂け(ライト・スラッシュ)』の炎が広がっていて。

ゆらゆらと揺れる炎がさらに柱を伝って上の通路にまで広がっている。


 ディアスが駆けつけると黒髪の少年もそこにいた。

そしてかがみ込む黒髪の少年の前には、横たわる小柄な少年。

小柄な少年の衣服には端々(はしばし)に焦げた跡があり、肌は赤くなって所々が水ぶくれになっている。


「おそらく炎に巻かれて足を踏み外したんだ」


 黒髪の少年が言った。

いで振り向くと、ディアスの来た方向を見て眉をひそめて。

ディアスの持つ魔剣に視線を移すと瞳を細める。


 ディアスは、小柄な少年と自身の放ったソードアーツの炎を交互に見た。

そして小柄な少年の脚がおかしなよじれ方をしているのに気付くと、血の気の引いていた顔がさらに青ざめる。


 ディアス達は試験を中断し、がたいの良い少年が小柄な少年を抱いて試験の入口へ。

黒髪の少年とディアスも一緒に向かうが、全力疾走する2人に追い付けずにディアスはすっかり離されてしまう。


 ディアスが入口にたどり着くと、そこには黒髪の少年が待ち構えていた。

視線が鋭くディアスに突き刺さる。


「説明してもらおうか」


 黒髪の少年の言葉に、ディアスはごくりと生唾を飲み込んだ。


「お前が来た方向、分岐した上ルートの方向とは違ったよな? そしてあの炎。普通とは違うあの鎮火ちんかの仕方はソードアーツのものだ。何があった? ……いや、お前は何をした?」


 黒髪の少年がディアスを問い詰める。


「俺は…………俺の能力じゃ、上ルートを走れない……と思った」


 うつむきながらディアスが言った。

黒髪の少年は無言のまま、目だけで先を促す。


「もちろん中段じゃ歯が立たない。だから、だから俺は下ルートで点を稼ぐ方法を、考えた。ソードアーツと道具を使えば下のまとを大量にとれる。計算上、俺が分岐したルートのまとを全部壊す以上の得点がとれたんだよ」


「でも、それを俺らは聞いてない」


「…………っ」


 押し黙るディアス。

だが黒髪の少年はそれを許さない。

沈黙を答えとは認めない。

正しい返答を得られるまで逃がさない、と鋭い眼差しが言っていた。


「驚かそうと、思ったんだ。皆には内緒で。それで予定よりもたくさんの点数をとって────」


「その結果がこれだぞ!」


 遮るような黒髪の少年の怒声に、ディアスの肩がびくりと跳ねる。


「あり得ないだろ。ちゃんと言えよ。ちゃんと伝えろ。そうしてたらこんな事には、ならなかった! 見ただろ、あいつの火傷。あいつの脚!」


 黒髪の少年は目尻に涙を溜めながら激昂げきこうして。

おもむろに伸びた手がディアスの胸ぐらを掴みあげる。


「……ごめんな、さい」


 絞り出すようにディアスが言った。

その目からぽろぽろと涙がこぼれる。


「俺に謝ってどうすんだよ、馬鹿」


 黒髪の少年は大きく息をつくと、ディアスを突き飛ばすようにして手を放した。

そのまましりもちをつくディアス。

黒髪の少年の怒りに燃えていた瞳が、氷のように冷ややかなものとなってディアスを見下ろす。







 試験の日から2日が経った昼下がり。

ディアスは暗い表情でぼんやりと窓の外を眺めていた。

試験が終わったあと、あの3人とはまだ1度も顔を合わせていない。


 負傷した小柄な少年は大事には至らなかったと、その後じいやから聞いていた。


「坊っちゃま、よろしければおやつはいかがでしょう」


 ディアスの背後からじいやが声をかけた。

振り返るとじいやが紅茶のポットとティーカップ、そして切り分けられたケーキを銀のトレーで運んでいて。

それらをテーブルの上に順番に並べる。


「……いらない」


 ディアスは首を左右に振った。


「おや、それは残念です。このじいや、真心込めてお作りしましたのに」


 じいや特製のケーキ。

それを聞いてわずかにディアスの気持ちが揺れた。


 だがディアスは今おやつを食べる気分じゃなかった。

彼は今、落ち込んでいたい気分で。


「いらない」


 再度ディアスは拒絶の言葉を口にした。

腕を組むとそっぽを向く。


「ご友人のお怪我が心配ですか?」


 じいやはティーカップに紅茶を注ぎながらたずねた。

鮮やかな琥珀色のお茶が真っ白なティーカップへと躍り、ふわふわと揺れる湯気にはほのかに蜂蜜の甘い香り。


 匂いにつられてディアスが横目見ると、鮮やかなケーキに目がいく。


 真っ白な生クリームの壁面に舞うのは塩漬けされた空色と藤色の花びら。

ケーキの断面から覗くほわほわのスポンジとベリーのソースのコントラストが映えていた。

ケーキの上面には小さなザクロと木苺がミントとともに添えられていて。

アクセントのブラックチョコレートのいばらの細工と金粉がその見た目を引き締めている。


 ついついケーキを凝視するディアス。

柔らかな紅茶の香りと共にベリーの甘酸っぱい匂いが、ふわりと鼻腔びこうから脳へと広がった。

気付くと舌先が濡れて、いで口いっぱいに唾液だえきが広がる。


 ディアスはごくりと唾を飲み込んだ。

いで我に返ると、慌ててケーキから視線をらす。


 その様子にじいやは、ふふふと笑って。


「……坊っちゃまは確かに失敗をなされた。大事にならなかったのが不幸中の幸いにございます。反省は必要でしょう。ですがそれは次に活かせば良い。今大切なのは誠実な謝罪と誠意ある態度です。恐れながら今の坊っちゃまのあり方には誠意が感じられませぬ」


「…………」


 ディアスはじいやの言葉にゆっくりと振り返った。


「坊っちゃまは失敗した自分を慰めてもらおうとしている。でもそれは間違いです。誤ったのは坊っちゃまでございます。ご主人様は貿易において多大な成功を収めておりますが、同時に幾度となく失敗もされてきました」


 じいやはそっとディアスの隣に腰かけて続ける。


「ですが失敗から学び、誠意ある言葉と行動によってご主人様はより強い関係を築いてこられたのです。坊っちゃまがこれからもご友人達とより良い関係を望むのなら、今坊っちゃまがしなければならないのは感傷に浸ることでは事ではございますまい」


 じいやはそう言うとディアスににこりと笑いかけた。


「坊っちゃまはまだ若い。これからも多くを間違える事になるでしょう。ですがじいやは坊っちゃまを信じております。より良い選択を選び、実行する事ができると。趣味程度のつたないケーキにはございますが、少しでも坊っちゃまが元気を取り戻していただけるよう心を込めてお作り致しました。よろしければ召し上がりませんか」


「分かった。食べる」


 ディアスは答えるとナイフとフォークに手を伸ばす。


 ず、ず、ず、ず、ず、と。

ディアスは柔らかいスポンジと重厚なソースの層の手応えを感じながらナイフをおろした。

一口大に切り分けたケーキにフォークを突き立て、ぱくりと口に運ぶ。


 最初に舌先を撫でたのは塩漬けの花びら。

きめ細かい生クリームの濃厚な口当たりと共に微かな花の匂いと仄かな塩気を感じた。

いでもぐもぐと咀嚼そしゃくすると、甘さを控えたクリームと一緒にほわほわのスポンジから卵の優しい甘さ。

次いで引き締めるようなベリーの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。

パキパキと割れるチョコレートとぷちぷちと弾ける生のザクロと木苺の食感がアクセントを加え、最後にミントの香りが鼻を抜ける。


 紅茶をすすると清涼感のあるミントの風味が洗い流され、蜂蜜を加えた柔らかい口当たりがしっとりと口の中をうるおした。

再びディアスはぱくりとケーキを口にすると舌鼓したつづみを打つ。


 美味しそうにケーキを食べるディアスを見て、じいやも嬉しそうに顔をほころばせた。







 その翌日。

試験から3日空けて今日はギルドの養成所での授業の日。

いつもの待ち合わせ場所でじいやに馬車を停めてもらい、ディアスは友人を待っていた。

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