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「残念じゃの」
シノカは自分の縦ロールの髪を撫でながら呟いた。
アーシュとエミリアの攻撃を扉と、扉から召喚する魔物の一部で簡単にあしらう。
「魔人の生む力を人間が扱うために様式化された『アーツ』。人間の対魔人の切り札。それをこうも絶え間なく放ち続けるその技術と機構はこのシノカも称賛を送るのじゃ」
必死の形相で次々と得物を振るうアーシュを、シノカは半眼で嗤って。
「じゃがのう。その技と技を繋ぐ合間の隙が大きくはないかの?」
シノカは順番に扉を生んだ。
その扉から魔物の一部が次々とアーシュに襲いかかって。
アーシュはソードアーツを続け様に発動して応戦するが、すぐに対応が間に合わなくなる。
扉が落とす影から伸びる実体なき脅威。
それは大地を這い進み、アーシュの影へと喰らいつこうと巨大な口を象どった。
アーシュはまだ振り抜いた武具のソードアーツの発生が終わっていない。
次の武具への魔力伝達ができていない。
見てから対応するのでは、遅いのだ。
「ソードアーツ────」
アーシュはもう一方の手に握る剣のギアの回転を爆発的に上げた。
不足分の魔力を強引に補って。
「『灼火は分かつ』!」
放たれるソードアーツ。
だが同時に耳障りな音が響いた。
酷使したギアがついに、破損する。
アーシュはちらりと振るう剣を一瞥。
その顔が焦燥に歪んだ。
ソードアーツによって得た魔力を他の武具に伝達する特性上、ソードアーツの連続発動はできても同時発動はできない。
だからこそ、その伝達の隙を補う必要がある。
それは膨大な経験則による、予兆や行動パターンの先読み。
それはその隙を埋める強力にして自在な剣撃。
そのどちらもがアーシュにはまだ不足していた。
そしてさらにアーシュは、間違える。
紅蓮の焔を纏った剣閃。
それはアーシュの影へと迫る魔物を断つように地面を走った。
だが逆巻く炎は光を生むと同時に、その光が影を落とす。
実体なきその魔物の媒介は影。
ゆえに正解は影の行く手を阻むように。
炎が生む光を盾にすべきだった。
影は断たれたが消えてはいない。
その影は炎の生んだ影と交わって肥大化し、ソードアーツの光で長く細く伸びたアーシュの影を丸飲みにしようと大口を開ける。
それにアーシュは、気付いていなかった。
その視線は剣閃の先。
扉から伸びる、断ち切られた影を凝視している。
────カツン、と靴音。
『アーシュガルドくん、下だ!』
鬼気迫る声。
アーシュは下へ視線を。
迫る影を捉えて。
すかさず刃を振るう。
「『その刃、竜巻の如く』!」
刃を加速し。
叩きつけるような一撃で。
分解した剣身。
そこから青白い結晶がこぼれて。
次いでそれが────花を、咲かせる。
弾けるような瞬きと共に。
アーシュの足元には、小さな青白い結晶の花がいくつも咲き乱れた。
その結晶の花に触れると、アーシュへと迫っていた影が青白い結晶に飲まれて破砕。
砕け散った結晶が舞い散る。
「ありがとう、ヨアヒム」
アーシュが言った。
『それより気をつけてアーシュガルドくん』
ヨアヒムがアーシュに耳打ちして。
『見られてしまった』
「見られた?」
アーシュは破損した剣に飛び乗ると、得物を持ち替え宙を駆ける。
シノカを見ると、彼女は激怒していて。
「なぜこれがここにあるのじゃ」
低い声音。
シノカはアーシュのいた地点に水平に扉を生み、青白い結晶の全てを扉の先へと飲み込ませた。
次いでバタン、と乱暴に閉ざされた扉。
シノカは大きな縦ロールを揺らして頭を振る。
「なぜじゃ、ここに世界樹はないのじゃぞ。つまり…………人間が奴らの手助けをしておるのか?」
シノカは禍々しく燃え上がる赤い瞳でアーシュを睨んだ。
その貫くような眼差しにアーシュは一瞬息が止まり、心臓が跳ねて。
カタカタと歯が鳴りだす。
『色と称号を与えられし筆頭の6人──6人の魔王。彼らに僕と人間の繋がりを気取られてしまった。数十年におよぶ僕らの計画。その密約が明るみになれば魔王達は魔宮の拡張による大地の蹂躙から、人類の殲滅へと舵を切る』
シノカは空へと手をかざした。
そこには途方もなく巨大な扉が現れて。
開かれたその先にはとてつもない巨躯を誇る魔物の影がある。
知識や経験則など関係なく。
アムドゥスの『創始者の匣庭』の鑑定を待つまでもない。
一目見てそれが危険だと、本能が警鐘を鳴らす。
「ヨアヒム……!」
アーシュは握っていた武具を放し、顕現した巨大な扉に向けて左手をかざした。
アーシュの呼び掛けに答えてヨアヒムが光を貸し与え、アーシュの左腕に幾筋もの幾何学的な模様が走る。
周囲の魔力を凝固、無力化して形成される長大な青白い結晶の刃。
アーシュはその刃を意識でなぞり、扉目掛けて放った。
その結晶の刃が扉に命中すると、瞬く間に扉も結晶へと変容する。
崩れ落ち、瓦解する扉。
────だが、扉の先に見えていた魔物の姿が消えない。
扉の縁取りに合わせて空が切り取られ、その先には別の景色が広がっていて。
「その光、やはり人間は星の使者と手を組んだのじゃな! ……じゃが、残念じゃのう。シノカの扉は空間を隔て、繋ぐものじゃ。扉を以て繋いだ境界は扉を以てしか閉じることはできぬ」
シノカが歯牙を剥きながら言った。
「おいスライム、ブラザーはまだかぁ?!」
アムドゥスは頭上からこちらを覗き込んでいる魔物から、クレトへと視線を移す。
「…………おかしい」
小さく呟いたクレト。
「あん?」
「すでに作業は終わってるんだ。情報は与えた。完全とは言いがたい情報だったのは確かだ。でも仮に同じ人格を形成できなくても、自我を呼び覚ますくらいの量はあったはずだ。なのになぜ、復活しない……?」
「ケケ、失敗したってのかぁ?!」
「そんなはずは、でも……イヒヒヒ。結果が全てだ。認めるよ、僕は…………失敗した」
クレトは苦笑すると、アーシュを見た。
この窮地における最後の希望。
だがその切り札を放ったアーシュの身体には異変が起きていて。
激しい痛みを脇腹に覚え、アーシュは意識が判然としない。
「ヨアヒム、一体なにが」
アーシュは姿の見えない、気配だけを感じる少年に訊ねた。
『スキルツリーが君を蝕んでる。君が光を使う度、その輝きで君の身体を苗床にして世界樹が成長してるんだ』
「スキルツリー……が」
アーシュは脇腹へと手を添えた。
そこに埋め込まれたスキルツリーがもたらす激痛に意識が乱れ、武具の操作が解除。
10の得物と共にアーシュはまっ逆さまに落下する。
「頼みの綱のゲーセリスィの光もあれじゃあねぇ。イヒヒヒヒ、ボクらはもう終わりだねぇ」
クレトは力なく呟くと、うなだれる。
「アーくん!」
エミリアは応戦していた魔物をシャルロッテに任せて疾走。
落下するアーシュを激突寸前で抱き止める。
「アーくん、しっかり!」
エミリアが呼び掛けるが、アーシュはぐったりとしていて答えない。
「クソ、嬢ちゃん! クソガキ!」
アムドゥスは飛翔し、2人のもとへ。
シノカはアーシュへと鋭い視線を向け続けていた。
「ソードアーツ────」
その時、遥か彼方から。
シノカ目掛け、彼女は剣の魔力を解き放つ。
「『坤輿を屠れ、命喰らい』」




