9-21
アーシュはエミリアの体を抱き上げた。
抱き上げる腕が時折ぷるぷると震える。
「え、なに?」
アーシュは、じーっと彼を見つめるエミリアの視線に気付いて。
「大丈夫だからね。全然余裕だから」
アーシュが言った。
だがエミリアはアーシュの紅潮した顔を見つめたまま。
「もう。ほんとだから! だからエミリア、その目やめてよ」
ぷるぷると震えている自身の細腕とエミリアとを交互に見ると、不機嫌そうに口を尖らせるアーシュ。
アーシュはこの魔宮に飛び込んできた時と同じように、複数の溝が彫られた銀色の得物に乗った。
小さなスライムとなったクレトがエミリアの胸の上にちょこんと乗る。
最後にアーシュは周囲を見回して警戒。
だが先ほどまでの猛攻がぴたりと途絶えている。
「……諦めたのかな」
アーシュは銀の得物と真白ノ刃匣を操作し、自身が魔宮に穿った横穴から外へと出る。
その姿が遠ざかるのを陰から見つめていた魔人。
その目が必死に────助けを、求めていた。
「にっひっひ。行ったようじゃな」
パタン、と扉の閉じる音と共に。
魔人の背後から愉しげな少女の声。
その少女は長い黄色の縦ロールを揺らして魔人の前へと回り込む。
パタン。
パタン、パタン。
「すまぬの。あやつらにはやってもらいたい事があって、ここで殺されては困るのじゃ。可愛い可愛い妹の魔結晶をシノカが取り戻してやろうと思ってな」
次々と扉の閉じる音と共にその少女が──【黄鍵の魔王】シノカ・ギョクオウが言った。
細く歪んだ赤の瞳が魔人の顔を覗き込む。
シノカが見上げた魔人は顔の半分を失っていた。
その体も至るところが欠損してきて。
そしてまた小さな扉が現れると、残された魔人の身体を飲み込んでパタンと閉じる。
パタン。
パタン。
パタン。
さらに魔人はその身体を失って。
たが不思議と痛みはない。
欠損してるはずの部位の感覚は残っているし、動かそうと魔人が意識すれば動いている感触すらある。
「不思議じゃろ?」
にひっ、とシノカは笑って。
「シノカの鍵の力は扉を開く力じゃ。扉とは繋ぐもの。そして同時に隔てるもの。行き来可能な境界こそが扉なのじゃ。今お主の身体はシノカの扉に隔てられ、そしてまた繋がっておる」
シノカが楽しそうに語っている今も魔人の身体はさらに扉に飲み込まれて。
「…………そしてシノカが扉の力を消せば、お主はバラバラの肉塊じゃ」
シノカの言葉に魔人は小刻みに頭を振った。
目で助けてくれと訴える。
「うむ、お主の魔宮の魔物が使えるものなら生かしてやっても良かったんじゃぞ。しかしこの程度のゴーレムなぞ玩具じゃ。お主のような弱い魔人に大事な飯を喰われても困るんじゃよ」
シノカはそこで閃いた。
ぱん、と両の手を合わせる。
「……そうじゃ、せめてもの冥土の土産じゃ。シノカの御御足でも拝んでから逝くが良い!」
シノカの言葉に魔人はまた小刻みに頭を振った。
意味が分からない、とその目には困惑の色が浮かぶ。
シノカは黄色のフリルのあしらわれた漆黒のドレスの裾をまくりあげて。
同時に自身の可愛さと優しさについて大仰に語り出した。
1人でうなずいては納得しながら独り言を連ねる。
その隙をついて。
「────!」
魔人はシノカの背後に白いゴーレムを召喚した。
召喚と同時に振りかぶられた巨大な拳。
球体関節が連動し、ゴーレムは体をよじるように拳を突き出す。
パタン。
だが、気付けばゴーレムの右腕が消えていた。
その胴体だけが勢い良くよじれる。
扉が閉じる音と共に消えたゴーレムの腕。
次いで再びその音が響くと、今度はゴーレムの胸から上が失われていて。
上腕部から下の残された左腕が落下し、残された胴は膝を折ると前のめりに倒れる。
「やれやれ」
シノカは大きな扉を生み出すと、突っ伏すゴーレムをその扉で飲み込んで。
「シノカはお調子者じゃから、そこで可愛いって、優しいって。そうやって月並みの言葉でも良いから褒めてくれたら助けたかも知れんのに────」
シノカの赤い瞳が冷たく光る。
「ほんにどうしようもない阿呆じゃ」
次いで魔人の欠損した断面から真っ赤な飛沫が散った。
シノカは魔人の残された身体が灰になり、魔宮が崩壊するのを見届けて。
扉を生み出すと、その先に広がる別な魔宮へと静かに消える。
アーシュ達はエミリアの案内でとある廃村の教会を訪れていた。
地下室へと続く階段を降りると、その先からわざとらしいため息が聞こえてくる。
「戻ってくるのがずいぶん早かったんじゃない? 無駄な事に労力を割くなってボク言ったよねぇ? それもそんなにボロボロになって。イヒヒヒ、そういえばボクに大見得を切った小娘がいたけど、おやおや?」
地下室の先で積み上げた聖書に腰かけて。
魔人クレトの意思を継ぐスライムの分裂体。
その1人がエミリアを嘲笑う。
「けけけ、あたしと一緒にいたクレトはもう少し丸くなってたんだけどなぁ」
エミリアはクレトの嫌味にうんざりとした表情を浮かべた。
「ボクが? お前が無理やりボクを服従させてただけだろ。あーあーあー、ボクがそんな状態になるなんてあり得ない。ボクらしくない」
クレトはエミリアの胸の上に乗っている小さなスライムを見て顔をしかめる。
「で、それがお前の言ってたソードアーツの連続発動ができるガキ?」
クレトはアーシュを一瞥すると訊いた。
「ガキじゃなくてアーシュガルド。アーくんにはちゃんと名前がある」
「知らないよ。他人の名前なんていちいち覚えてられないよ」
「あたしの名前は?」
「知らない」
「エミリアだよ。こっちのクレトは呼んでくれてた」
エミリアは胸の上のクレトを撫でる。
「ふーん。で、お前の名前なんだっけ」
そう言って鼻で笑うクレト。
「……エミリア、この子もしかして頭悪いの?」
「ああ?!」
アーシュがエミリアに小声で訊いたが、それがクレトの耳に届いて。
「人間のくせにボクを馬鹿にしてるのか!? ひょろがりで食べるところも大して無いくせにさ!」
「だって。ついさっき聞いた名前も覚えられないってどうかなって。それにひょろがりじゃないし……」
「お前こそ頭悪いんじゃないのか。それにどう見たって肉ないだろ。お前歳いくつだよ。そのまな板みたいな胸は女としてどうなんだ」
「おれ男だよ?!」
今度はアーシュが声を荒らげた。
エミリアはアーシュとクレトのやり取りを聞いて、声を潜めて笑っていて。
その肩が小刻みに上下している。
その時、小さなスライムがエミリアの胸から飛び降りた。
床を数回跳ね、アーシュを睨んでいるクレトの身体に同化する。
「…………で、エミリアと『アーくん』はいつまでそこにいるわけ」
クレトは気だるげに手招きして。
「素体のスペアを同時に用意してて良かったよ。その目は治せないだろうけど手足の2本くらいまでなら余裕がある。とっとと『アーくん』で魔力回復しなよ」
「あれ、ちょっとだけ雰囲気変わった?」
アーシュがクレトの様子を見て言った。
「あっちの分裂体が持ってた記憶を吸収しただけだ。ボクはボクのままだ」




