9-15
「来てるよ」
「分かってる」
他人事のようなクレトの言葉にエミリアが答えた。
次いで素早く視線を切って。
自身に迫る無数の触手を捉えるエミリア。
さらにクレトが引き上げている集落の人々を取り戻そうと、いくつもの触手が水面から天に向かって伸びていく。
地上でならこのランクの魔物ではエミリアの相手にはならない。
彼女がキールとの戦いの際に新たにその身に受け入れた魔結晶のランクはBランク相当。
元々Dランク程度の魔結晶をその身に宿していたエミリアだが、自己強化とボス特化の魔宮を持つ彼女は純粋な戦闘でならBランク以上のボスを倒せるほどの力を有していて。
さらに純粋な能力の底上げと潤沢なリソースを以て得た新たな能力によって、さらに格上のAランク相当すら屠る事ができる。
だが今は自由に身動きの取れない水中。
さらに物理攻撃には高い耐性を持つエミリアだが、毒や麻痺などのデバフに対しては無防備だった。
エミリアは迫る触手を次々と斬り伏せた。
青いハルバードを振るう度に激しい水飛沫が上がり、水のうねりは魔宮の壁に跳ね返って波となる。
「痛っ……」
その時、エミリアの攻撃をくぐり抜けて。
魔物の触手がエミリアの足首に絡みついた。
毒針から毒を流し込まれ、痛みと共に足の感覚を失う。
さらに体勢を崩したエミリアの肢体に次々と触手が絡みついた。
ぼろ布のようなマントの下の素肌を触手が這う。
エミリアは足を捩られ、胴を反らされ、両腕を絡めとられて頭上で束ねられた。
手の感覚がなくなり、握っていたハルバードが滑り落ちて。
青いハルバードが昏い水面に沈んでいく。
「範囲攻撃を使えば良かったのにねぇ」
クレトが呟いて。
「咆哮による攻撃は密閉空間での反響でさらに威力が増す。イヒヒヒ、まぁそれを使ったら中の人間もズタズタだったけど」
クレトは引き上げている集落の人々に視線を移した。
すでに何人かの体にも触手が巻き付き、その体を引きずり込もうとしている。
「イヒヒ、口うるさい自称お姉ちゃんを助けるためにも、何人か人形にして壊してもいいよねぇ?」
クレトはそう言うと自身の身体を操作。
人々の中から適当に4人を選ぶと、その体内へと侵入した。
ゼリー質の身体がその頭に取り付き、口や鼻、耳から内部へと入って。
クレトに侵食される人達の体が、がくがくと悶える。
「…………あ」
「あぇ」
「おぉお」
「けひ」
4人は不気味な声を漏らした。
顔がぱんぱんに腫れ上がり、首は倍以上に膨れ上がって。
その首が右へ左へ。
上へ下へ。
湿り気を帯びた音を鳴らして揺れ動く。
「なんなのあれ……?」
4人の姿を見て困惑する魔人の女。
魔人の女が見上げる先で。
4人は一斉に魔人の女へと生気のない顔を。
そしてその口を向けた。
「スペルアーツ────」
「スペルアーツ────」
「スペルアーツ────」
「スペルアーツ────」
クレトは人間の身体を介し、書庫の魔人クレトの遺した力を発動する。
「『吸引魔象』」
「『吸引魔象』」
「『魔力流出』」
「『腐食魔象』」
スペルアーツの一斉発動。
起点となった地点に重ね合わせて現れた球状の風の渦が、魔宮に満たされた水を吸い上げて。
同時に吸い上げられた水がスペルアーツによって魔力へと分解されていく。
だがクレトの想定よりもその効果は劣っていて。
「…………やはり効果はいまいちか。オーバーラップの原典が喪われたのはやはり痛いな」
クレトが言った。
次いで分解された魔力を取り込んでいく。
魔宮内の水位が減っていくのを見て。
「このままじゃマズい。昏月ちゃん……!」
魔人の女が叫んだ。
その命令を受け、クラゲ型の魔物が今も水を吸い上げて魔力へと分解するスペルアーツへと向かっていく。
「させないよ」
クレトは魔力を取り込んでその体積を増大。
その身体が輪へと形を変え、冠を模した。
次いで青い光を放つ。
その光を浴びた魔物は軌道を変えた。
悶えながら透明質の魔宮の壁へと衝突する。
「イヒヒ、魔物の統率に特化したスライムの最上位種が『支配の冠』だ。今のボクだと完全掌握はできないけど、妨害くらいなら容易い」
クレトは次いで側面から2本の触手を伸ばした。
針状の触手の先端が黄金色に染まって。
その針がエミリアの左右の手首に突き刺さる。
「エミリア、今から毒に侵されたお前の血液をエーテルに置換する。今回は前みたいな輸血代わりと違って全てを入れ換えるから中毒症状が強く出るだろうけど、我慢しなよ」
クレトはそう言うと体内で生成したエーテルをエミリアへと注入。
同時に彼女の血液を抜き取る。
エミリアの右手首へと繋がった触手が、みるみる先端から赤黒く染まった。
ぴくりと動いた指先。
エミリアは全身を駆け巡る魔力にその身を焦がされるような痛みと熱を感じて。
不完全な組成のエーテルによる副作用で激しい虚脱感と頭痛、吐き気に襲われる。
だが次いでエミリアは魔人の女へと鋭い視線を向けた。
自身の魔宮を展開する。
「顕現して、あたしの『在りし緋の咆哮』」




