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「え、あの人も勇者だったの?!」
アーシュは驚きの声を漏らした。
「あいつからは聞いてなかったのか」
ディルクが言うとアーシュは苦笑いを浮かべて。
「ディアス兄ちゃん、気にしてないって口では言ってたけど、とても訊ける雰囲気じゃなかったし。……その人にはどうやったら会えるんだろ」
「私がなんとかしよう」
ラーヴァガルドが言うと、ディルクは眉をひそめる。
「院長ならそれくらいのコネはあるだろうが、なんでそこまでする? 少しばかり肩入れし過ぎじゃないか」
「…………」
ラーヴァガルドはディルクの問いに答えない。
その紫の瞳で、同じ紫のアーシュの瞳を見つめて。
「…………?」
アーシュはその視線に首をかしげる。
「まぁ珍しい色だし、だいたい察せはするけどさ」
ディルクは呟くとやれやれと首を左右に振る。
それからしばらくして。
幾分体力を取り戻したアーシュはラーヴァガルドに連れられて【黄の勇者】サイラスのもとへ。
【青鏡の魔王】のテリトリーにある砂地の街へと向かい、彼の工房を訪れた。
城と見紛うほどの巨大な石造り工房。
開け放たれた大きな門を潜ると砂岩のタイルが敷き詰められた廊下が正面、左右へと伸びていて。
カンカンと金属を打つ音が建物のあちこちから響いてくる。
伸びた黒髪を後ろで結わえたアーシュ。
アーシュは麻のシャツの上から、縦長い布に首を通す穴を開けただけの簡易な上着を被り、脇の下を通るベルトでそれを固定して。
太ももの中ほどまで体を覆う上着の裾からは膝上丈のハーフパンツが覗き、骨張った膝から細いすねを辿ると無骨な革のブーツが目についた。
腰のベルトからは鋼を鍛えて作った鍛造剣を左右に吊るしている。
アーシュは骨付き肉の入ったバスケットを抱えていた。
毎日ノルマとして渡される大量の肉に食傷気味になりながら、それでも体力を早く取り戻すために必死にそれを平らげる日々が続いていて。
「……美味しいんだけどなー」
アーシュは肉にかじりついてそれを咀嚼。
喉を鳴らしながらそれを飲み込むと呟いた。
「毎日この量は、辛い」
再び肉を口に入れると、思わず涙が滲む。
「子供はいっぱい食べて大きくならんと駄目だぞ」
辛そうに肉を食べているアーシュを見て、ラーヴァガルドが言った。
その頭をわしゃわしゃと撫でる。
力強く撫でられてアーシュは首をすくめるが、その表情はまんざらでもない様子。
「それじゃあ行こうか。サイラス君はこの奥にいる」
「うん」
アーシュはうなずくと、先導するラーヴァガルドに続いて工房の奥に向かった。
骨付き肉をまたむしゃりと食べる。
長い廊下を進む2人。
廊下の左右は鉄格子になっており、そこからは武器を鍛え続ける幾人もの職人の姿が確認できた。
「サイラス君の一族は鍛冶の名門だ。魔宮生成武具が普及した今の時代においても、高難度魔宮の最前線で戦う冒険者が多く愛用している。素材によって既存武具を強化するのもこの一族が生み出した業だ」
「へー、そうなんだ」
ラーヴァガルドが言うと、アーシュはきょろきょろと視線を走らせて職人の姿を眺める。
そして長い廊下を抜けると、突き当たりの部屋にたどり着いた。
一見普通の鍛冶場。
だがその空間に充満する張り積めた空気と静寂に、アーシュは恐怖に似た感覚を覚える。
極限まで研ぎ澄まされた意識は強者の殺意に勝るとも劣らず。
そしてその一念を込めた一打が赤熱する剣を打った。
反響する甲高い旋律。
鎚から迸った火花は消えることなく床を何度も跳ねて。
そして最後に燃え上がるように強く発光して消滅する。
「…………」
未だ先程の一打の衝撃で微細に震え続ける剣を見つめ、その規則的な音に耳を澄ませて。
そして再び振り上げられた鎚。
玉のような汗が吹き出し、流れ出た汗が眼球を流れ落ちるのも意に介さず。
刹那の瞬間を見切り、再び力強く暗黒色の鎚頭が剣を打つ。
迸る火花は先程よりも大きく激しい。
真珠のような大きさの光の玉がバラバラと辺りに散らばり、大きく鍛冶場の床を跳ねると強く瞬いて霧散する。
次いでブオン、と鈍い風切りの音。
空気を焼き焦がしながらその赤い剣身が移動し、限りなく透明な水を湛える金属の瓶へと切っ先から差し込まれた。
あれほどの熱を帯びていた剣が漬かってもその水は沸き立つ事がなく、再び鍛冶場は静けさに包まれる。
「…………」
無言のまま剣を瓶から引き抜き、鋭い眼光で柄から切っ先にかけてほぼ垂直に傾けて確かめて。
次いで握っていた鎚を手のひらでくるりと回転。
鎚頭の反対側に伸びる研磨の刃を構えた。
緩やかにその研剣を滑らせる。
砥剣のなぞったあとには鏡面のように研かれた刃が現れ、左右裏表と計4度の研磨でその剣は完成した。
何層にも折り重なったような半透明の白い剣身と、ガラスのように透き通る曇り一つない無垢の刃。
その刃が突如空を切って。
だが風切りの音がない。
無音。
さらにその剣は続けざまに袈裟に。
横に。
突いて。
斬り上げて。
そして振り下ろす。
凄まじい勢いで振るわれた剣。
だが音はない。
剣を振るう鍛冶師も激しい足さばきでありながら物音一つ立てなかった。
「……凄い」
アーシュの感嘆の声が静寂を破った。
その声に気付き、この工房の主である男が振り返る。
茶色の長髪を束ねて肩に垂らした長身の男。
黒のインナーを身に纏い、鮮やかな黄色の袈裟を肩からおろして腰に留めて。
その緑の瞳がラーヴァガルドを。
次いで傍らに立つアーシュを見る。
茶色の長髪と緑の瞳の男──【黄の勇者】サイラスは静かに剣を台の上へと置いて。
次いでつかつかとアーシュに歩み寄った。
アーシュを威圧的に見下ろしていたかと思うと、中腰になって目線を合わせる。
「なるほど、君か。彼に預けてた剣が欲しいっていうのは」
サイラスはアーシュの瞳を覗き込んで。
「でも嫌だ」
そう言うとアーシュに背を向けるサイラス。
「俺は俺が相応しいと思う相手にしか剣は預けない。元が魔宮生成武具とはいえ、あれらは俺が刃を成型し直して彼のためだけに調整した業物だ。俺は君に魅力を感じない。来てもらって悪いけど帰ってよ」
サイラスは肩越しにアーシュを振り返って続ける。
「彼に憧れるのはいいけど彼の連続剣は彼だからこそ成し得る。剣だけあっても彼にはなれないよ」




