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「スペルアーツ────」
何人かの冒険者がスペルアーツを発動しようと。
それは阿吽の呼吸。
目配せ1つなく、完璧なタイミングで相方との連携をとる。
だがそれが、発動しない。
「ブルワーク!」
スペルアーツ『防壁魔象』を唱えた兵冒険者はすぐさまその異変に気付いた。
展開されない魔力の防壁。
迫り来る砲弾。
そしてその顔が青ざめるのと同時に。
降り注いだ砲弾が冒険者達に炸裂。
爆炎が躍り、魔王を取り囲んでいた大砲や冒険者達を吹き飛ばす。
爆風と地響きと轟音と。
引火した装填前の砲弾がさらなる爆発を呼び、瞬く間に辺り一帯が業火に飲まれた。
「…………バカ、な」
折り重なった冒険者の山。
身を挺して盾となった彼らの下から這い出したリーダーの男は震える声で呟いた。
「やつは長い時間絶食状態だったはず。それなのにまだこれほどの門の展か」
────バタン。
狼狽するその男の言葉が、扉の閉まる音と共に消えた。
僅かな間。
次いで吹き出す鮮血。
首から上を失った男の体が傾き、その血飛沫が男の頭上に突如現れた扉を赤く濡らす。
男の首を喰らった扉は音もなく姿を消した。
次いでシノカはぺろりと舌なめずりする。
「ふむ、美味美味。じゃが、これでは量が足らなそうじゃな」
シノカは次々と扉を生み出し、冒険者達の亡骸をその扉に取り込んでいった。
原形の残っていたものをあらかた喰らい尽くすと、目の前に大きな扉を作り出して。
「この辺に人はあまりいなさそうじゃし、適当な魔宮にでも飛んでみるのじゃ」
シノカは作り出した扉を他の魔人が生み出した魔宮へと繋げる。
そして開かれた扉の先に広がるのは石レンガの壁と敷き詰められた赤い絨毯。
ガシャンガシャンと音を立てて。
そこを闊歩するのは中身のない空っぽの鎧達。
その手には各々《おのおの》が剣や戦斧、槍を携えている。
「おー、騎士系のダンジョンじゃな。徘徊する魔物のあまりの粗末さも、ここまでくると可愛く見えてくるのじゃ」
にひっ、と嘲笑うような笑みを浮かべるシノカ。
次いで彼女は黄色の縦ロールを揺らして前へ。
目の前の扉1つくぐれば、彼女は膨大な距離を無視して遥か彼方にある魔宮への移動が完了する。
────だが、その歩みを阻もうと。
次々と放たれた魔力の矢。
シノカは振り返ると同時に扉を空中に生み出した。
放たれた矢はその扉へと飲み込まれるはずで。
なのに矢は扉をすり抜け、シノカへと迫る。
シノカは矢をかわすために魔宮へと繋いだ扉から退いた。
足下に新たに扉を召喚し、そこに飛び降りる。
飛び降りた先は魔王の封印を取り囲んでいた大砲の残骸の上。
未だ燃え盛る業火のただ中へと少女は降り立った。
半眼で振り返ると、魔宮へと繋いだ扉の方へと視線を向ける。
そこには一点で交差する複数の魔力の矢。
「座標指定型の攻撃のようじゃな」
シノカが呟いた。
同時に大きく上体を反らす。
シノカの眼前を掠めていったのは鋭い風切りを伴った斬り払い。
その剣閃からシノカが視線を下げると、這うような低い姿勢で剣を振るった冒険者の男と目が合う。
冒険者が振り抜いた剣。
その刃を返して再びシノカへと振り下ろすまでの時間はコンマ1秒。
それはシノカが目の前の冒険者を屠るには十二分の間。
「『その刃、拡散する滝しぶき』……!」
だが冒険者はその間を埋める。
浮かび上がる複数の剣閃。
振り抜いた斬擊が複製と消失を繰り返し、シノカに襲いかかった。
さらにシノカの周囲には幾人もの冒険者が迫っていて。
それぞれの得物から放たれた斬擊が連なり、渦を描いて彼女を取り囲む。
「このまま身体を斬り刻んでやる!」
「師匠の仇め!」
冒険者達の言葉にシノカはうなずいて。
「そうか、あやつの弟子達じゃな。【無限斬】なる称号を得た剣技使いの筆頭。それほどの男なら弟子もおるじゃろう」
シノカは呟きながら頭上に5つの扉を生み出した。
迫り来る斬擊の檻を前に、シノカに与えられた時間は刹那。
周囲の魔宮の位置を探している猶予はない。
それゆえに。
シノカは展開した扉の先を、彼女が古くから知っている5つの魔宮へと接続する。
開かれた扉。
同時にそこにいた冒険者達の脳裏を過ったのは絶対の『死』。
彼らは息を飲み、心臓の鼓動すら忘れてしまう。
その永遠に等しい一瞬の中で。
その圧倒的な存在とその重圧を前に、その目から涙が音もなく流れ落ちた。
次いで扉からは赤蕀が。
青鏡が。
緑影が。
黒骨が。
白竜が。
この世界における最強の魔宮の使者達が顕現する。
冒険者はその目に絶望を焼き付けて死んだ。
バタン。
扉が閉ざされる音が静謐な空間に響き渡る。
時間にして2秒ほど。
だがその僅かな間に辺り一帯はその様相を激変させていた。
元々は窪地の中心で魔王を封印する斬擊の檻を展開し、その周囲を大砲が固めていて。
だが今そこは完全な更地。
燃え盛っていた業火や大砲の残骸はもとより、周囲の地形そのものが消し飛んでいる。
風の音1つない不気味な静寂のただ中で、シノカはけらけらと笑い声をあげた。
次いで一陣の風が吹き抜けて。
それは更地の表面を撫で、シノカの大きな縦ロールを揺らす。
「じゃがその力量、師匠とは雲泥の差じゃったな。今のシノカの小規模な扉で呼べる程度の魔物、あやつじゃったら斬り伏せた上でこの愛らしい身体を肉片にしたじゃろう。ただただ無駄死にするとは、可哀想な奴らなのじゃ」
シノカはそう言うと再び扉を作り出した。
その扉を先ほど繋げた鎧の魔物が跋扈する魔宮へと接続。
シノカはその扉を開け放つと、魔宮へと消える。
展開域内の空間、または制限なく他者の魔宮への行き来を可能にする扉を生む『黄鍵』の能力。
個人の戦闘力は他の【魔王】と比較した中では弱く、ボスを除く魔物も持ち合わせてはいないシノカだが、他者の魔宮の魔物を無尽蔵に呼び出す事もできるその能力は他の【魔王】に勝るとも劣らない脅威を秘めていた。
そして更地のただ中に残されていた扉が音もなく、消えた。
シノカを追う手がかりはもうない。
彼女を捜す術はない。
彼女のその姿を冒険者が再び目にした時。
それは彼女がその力を取り戻し、【魔王】として蹂躙を再開するときとなる。




