9-2
エミリアの目は本気だった。
否定的、あるいは曖昧な返答をすれば即座に殺される。
そう感じるとスライムの少年は肩をすくめて。
「わかった。ボクの負けだ。ボクはまだ死ぬつもりはない。言う通りにするよ」
スライムの少年が言うと、エミリアはじっと彼の顔を見つめた。
次いで彼の上からよけると、地面に突き立てていた真白ノ刃匣の柄を掴む。
「そういえば名前訊いてなかったね。あたしはエミリア。君は?」
「ボクは、クレトだ」
スライムの少年──クレトが答えた。
「クレト?」
その覚えのある名前の響きを耳にして。
エミリアは目をぱちぱちとしばたたかせる。
「そっか、クレトって言うんだ」
「なに? ボクの名前がどうかしたわけ」
「ううん、なんでもない」
エミリアはそう言うとクレトの頭を撫でた。
赤い瞳の光が穏やかになって。
嬉しそうな。
そして悲しげな眼差しを向ける。
エミリアは同じ名前の少年に、弟の面影を重ねていた。
クレトはエミリアの手を払って。
「さっきも言ったけどボクはお前なんかよりも遥かに年上なんだ。子供扱いするな」
半眼でエミリアを睨むクレト。
だがエミリアはその姿も弟と重ねて見るとどこか愛おしく思えて。
次いでエミリアは頭を振った。
相手が悪い魔人だった事を思い出す。
「じゃ、急ごう」
エミリアが言った。
「急ぐ? どこに?」
クレトが訊いた。
「え、ディアスのところだよ。クレトはディアスを元に戻せるんでしょ? 早くしないと被害が広がっちゃう」
「うん? それは無理だよ」
そう言ってクレトが肩をすくめる。
「ボクはいくつか課題が残ってるって言ったと思うけど。理論は完璧だよ。あとは実践するだけ。でもその実践がすぐにできるものじゃないんだ」
「どうすればいいの?」
「まず行程として、永久魔宮に取り込まれた魔結晶の再結晶化。永久魔宮と魔結晶の接続を遮断。肉体の再構成。そして散り散りになった精神を再び1つに束ねて魔結晶に定着させる」
クレトは息をつくと続けて。
「最初にして最大の関門が再結晶化だ。永久魔宮に取り込まれた魔結晶は魔宮全体に溶け込んでしまう。それは一定の形を持たない。コレクターが1つの永久魔宮を細かく砕いてもその欠片も発見できなかったって話だし。各地の永久魔宮の調査にボクが人を派遣してたのはその解決の糸口を見つけるためだ」
「キャサリンと永久魔宮で再開したのはそのためだったんだ」
エミリアはリザードマンの永久魔宮でキャサリン──本当の名をギャザリンという男と再開したときの事を思い出す。
「イヒヒ、まぁ今はあの裏切り者の話はいい。あいつは強い。『死滅魔象』や『隷属魔象』を失った今、相手をするのは得策じゃあない」
「けけ、スペルアーツはクレトの魔宮の能力なんだっけ」
「ああ、ボクの能力だ。魔結晶を失って魔宮も消失したからそのほとんどは消えたけどねぇ。原典が魔宮生成物として残されているものはまだ使えるけど、逃げるのに物理的にも使ったからかなり数は少ないんじゃないかなぁ? イヒヒヒヒ」
「そういえばクレトはどうしてスライムの身体になったの?」
「正確にはクレトがスライムになったわけじゃない。用意していたクレトを模した素体にその記憶と意識をコピーしたに過ぎない。本物のクレトはあのときに死んだよ。まぁ元からボクに本物かコピーかなんてのに執着はなかった。些末ごとだよ。…………さて、話を戻そうか」
クレトにエミリアがうなずいた。
「永久魔宮と魔結晶の接続の遮断は再結晶化した魔結晶があれば可能だ。ただ肉体の再構成は魔結晶にある情報から引き出したものを使うけど、その材料が必要。まぁそっちは手間をかければ用意できる」
クレトはめんどくさそうに溜め息を漏らして。
「……そして散り散りになった精神の収束。これがまた難しい。それには情報が必要だ。その魔人の過去。その魔人の存在を揺さぶり起こす、その魔人の意識を構成する軌跡。ボクはママの情報を待っていたから支障はなかったけど、お前はあの魔人堕ちの過去をどこまで知ってる?」
「ママ?」
首をかしげるエミリア。
クレトはしまった、と顔をしかめる。
「今はその話はいい。それよりお前は知ってるの? あの魔人堕ちの過去。あの男の精神を形作った出来事をさ」
エミリアは少し思案すると、ふるふると首を振った。
エミリアはディアスの過去を断片的にしか知らないし、それもかなり曖昧だった。
魔力なしの落ちこぼれに生まれ、努力で【白の勇者】へと上り詰めて。
だが【黒骨の魔王】に敗れて魔人堕ちとなり、アムドゥスと旅をしていた。
魔力なしの落ちこぼれというのはディアスの精神を形作る大きな要因になったのは想像に難くないが、それによってディアスがどんな扱いを受け、どんな想いをしていたのかまでは分からない。




