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「シアンが……? まさか」
ディアスは思わず否定しようと。
だが悲しげな面持ちの恰幅の冒険者とギルベルトの姿、そして何より異様な様子のスカーレットを見ると疑う余地はなかった。
強力な暗示や幻覚の類いも考えられなくはないが、ただの少女をそこまでして仲間に引き入れるメリットはない。
ディアスはシアンの事を思い出すが、その姿は目の前にいるスカーレットと重ねて思い浮かべなければ判然しないほどにおぼろげで。
共にした時間も短い少年の死はディアスにとっては不特定多数の人間の死とさほど変わらなかった。
だがエミリアはシアンの死を聞いて表情を曇らせた。
戦鎚の冒険者に向けて溢れ出ていた敵意が弱まり、その瞳に燃える赤の灯が小さくなる。
ディアスはエミリアの様子を横目見て。
次いでアーシュの事を思い浮かべた。
最後にスカーレットへと視線を戻す。
死を悼む仲間。
そして今にも壊れてしまいそうな、狂気と理性の狭間で揺れる少女。
その姿に、ディアスは眉間に深いしわを寄せる。
「…………」
ディアスはスカーレットにかける言葉を探すが、見つからない。
「シアンに何が起きたんだ」
代わりにディアスはスカーレットに訊いた。
「あれは俺とねぇちゃんがディアスさん達と別れた後」
スカーレットは最初シアンの声音で。
「馬車で冒険者達が戻ってくるのを待っている時にアレに襲われたんだ」
次いで本来の声音に戻る。
「…………私が振り向いた時に真っ先に見えたのは逆さの顔。お面みたいに無表情なその顔で私を見てて。結晶でできた腕が……シアンを掴んでた」
逆さまの顔と結晶の腕。
その2つでディアスとエミリアは、アーシュの村の近くで遭遇した結晶の魔物を思い浮かべた。
同時に目配せする。
「やはりゲーセリスィに覚えがあるようですね」
ディアスとエミリアの反応を見てギルベルトが言った。
「もっとも、あなた達が遭遇した個体とスカーレットとシアンが遭遇した個体とは出自もその目的も異なるものだと思いますが。スカーレットとシアンが遭遇したのは『誰も知らぬ冒険者』の名を冠する、陰の議会の手足でした」
「『クリフトフ』?」
その名前に覚えのあったエミリアが呟くと、ギルベルトはうなずいて。
「ええ。きっと彼も何度となく使った事があるでしょう」
そう言ってディアスに視線を向ける。
「A級以上のバッジを所有する者だけが使える冒険者とギルド間での暗号。コードネーム『クリフトフ』とは秘匿任務に就いた冒険者の任務遂行を円滑にするためのもの。────いいえ。それは表向きの建前です」
「建前?」
ディアスが訊いた。
「実際は異形の化物を手駒として使い、その正体を暴かれる事がないようにするためのものでした。いつしか色と【魔王】という称号で呼ぶようになった魔人筆頭の6人の少女。彼女達に人間とゲーセリスィの繋がりを気取られないようにするための」
ギルベルトはそう言うと懐に手を伸ばして。
取り出したのは親指の先ほどのサイズの小さな結晶。
青白い結晶の中には幾筋もの光が反射を繰り返し、光を放ち続けている。
「スカーレットが馬車の荷台に落ちているのを見つけたゲーセリスィの欠片。そして『誰も知らぬ冒険者』はこれの隠蔽のために2人を襲ったと思われます」
「言ってる意味が分かるか?」
ギャザリンが言った。
「ゲーセリスィの欠片なんてそうそう落ちてるもんじゃねぇ。ディアスちゃ──おっと、口癖が抜けてないな。ディアス、エミリア、その欠片を落としたのはおそらくお前らだろ? そしてそのせいで罪もない子供が1人死んだ。責任を感じないか? 感じるよな? 弟を取り戻したい。そんなささやかな願いを抱いた少女のために、魔物の1匹くらい差し出すなんてわけはないだろ」
「お願い、ディアスさん。エミリアちゃんも」
スカーレットがそう言って一歩前に踏み出して。
「私はシアンを──弟を取り戻したい」
「…………」
ディアスはアムドゥスを横目見た。
その瞳と目が合う。
「ケケケケ、俺様を売るのかぁ? ブラザー」
「…………いいや。アムドゥスの力は魔王討伐に必要だ。少なくともギルベルトにアムドゥスを渡しはしない」
「そんな、なんで」
スカーレットが泣きそうな顔で頭を振った。
「他者との繋がりを断ち、1人1人の願いが脅かされる事のない、魔宮を個人の世界として展開する。それはまやかしだ。どんなに似せた姿で召喚しても、それはシアン本人じゃない。死んだ人間は生き返らない」
「その言葉は、あまりに残酷だ」
恰幅のいい冒険者が言った。
「おし、こりゃあ交渉決裂って事でいいよな!」
ディアス達のやり取りを聞いていた魔人の男が言った。
いかつい顔の、赤茶色の髪を結わえたその魔人は嬉々として言う。
「なら戦おうぜ」
「ちょ、ちょっと。や、やめてくださ…………。く、空気、空気を読みましょうよ…………」
気の弱そうな青年が消え入るような声で言った。
青年は周囲の視線が自分とその隣に立つ魔人の男に注がれているのに気付くと思わず男の背後に身を潜めて。
男の陰からおどおどと視線を走らせる青年。
その長い前髪の隙間から覗く瞳にはぼんやりとした赤の光が灯っている。
「空気を読むのは楽しいか? 俺は楽しくねぇから嫌だ。空気を読んで黙ってんのはつまんねぇだろ?」
魔人の男はそう言うと魔物を召喚した。
それは巨大な木の葉のような魔物。
その魔物は風に舞うように揺れて。
葉に擬態した甲殻の隙間からは、ひし形の頭部がディアス達を窺っている。
「俺の名はドミニク。こいつを覚えてるか? 俺の魔物だ。さぁ、この間の続きをやろうぜ!」
赤茶色の髪を結わえた魔人──ドミニクが楽しげに言った。
周囲の冒険者と魔人達はドミニクの言葉に一様に呆れた様子で。
ため息や乾いた笑いもまばらに聞こえてきた。
だが次いで誰もが戦闘態勢に移る。
「ドミニクには困ったものです」
ギルベルトが言った。
「彼と出会ったのはいつの頃だったか。彼の愉悦主義に振り回されるのは…………いいえ、今はその話をしている時ではありませんね」
ギルベルトが琥珀色の双眸を細め、ディアスを見据えて。
「では最後に問います」
ギルベルトはそう言って宝杖剣の切っ先で地面を打ち付けて訊ねる。
「私達と来てはいただけませんか」
「…………」
ディアスは無言のまま周囲に視線を走らせて。
そして目を瞑り、大きく息をついた。
しばしの、沈黙。
「エミリア────」
次いでディアスが言う。
「行け」
その言葉を皮切りに。
ディアスと、対峙する魔人と冒険者達が同時に動いた。




