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「結論から言いましょう」
ギルベルトはディアスの問いに答える。
「人々の救済。そのための全人類の、魔人堕としを行う」
「な……」
そのギルベルトの言葉にディアスは呆気にとられて。
「正気か」
思わずそう訊ねる。
「すでに人と星との共生は望めない状態なのです。このままではいずれ星が新たな世界に新生する際に人間は滅びる。公にはされていませんが世界は過去5回滅びと新生を繰り返しました。今私達のいる世界は6度目の世界なのです」
「ケケケケ、唐突な世界の滅亡論かぁ? 世界が滅びた証拠はもちろんあるんだよなぁ?」
アムドゥスが言った。
「ええ。その証となるのが月です。夜闇に浮かぶあれは滅びた世界の残像です。観測の結果そこには私達とは異なる文明や生態系が拡がり、そして静止したそれらのほとんど全てがすでに実在しない虚像である事が判明しています」
「仮に月は滅びた世界の残像で今が6度目の世界だとするなら、矛盾してないか」
ディアスの言葉にギルベルトはうなずいて。
「その疑問を抱くのは正しい。世界の数と月の数が合いませんからね。『第3世界』の頃には月は2つしかなかったと記録されています。ですが今はなぜか月が1つ多い」
ギルベルトは口許に手を添えて思考をめぐらす。
「考えられるのはやはり3つでしょう。まず1つ」
ギルベルトが指を1本立てて。
「この世界が6度目ではなく実は7度目である」
次いで2本目の指を立てるギルベルト。
「2つ目はこの世界の虚像を映すために生まれた新たな月である。黒の月だけは他の月と異なり、観測の結果が満足に得られていません。それもこの世界を投影する前の状態であるためというのなら説明にはなります」
ギルベルトは3本目の指を立てて続ける。
「そして3つ目。そもそもあれは……月ではない。私は3つ目の説を有力視しています。そしてそれが正しいのなら、おそらく私が求めるものはそこにある」
「求めるもの?」
ディアスが訊いた。
ディアスはギルベルトの話を聞きながらも着々と用意を進めていて。
爪先から紙のように薄く生成された刃。
刃は枝分かれを繰り返しながら静かに四方へと伸び続けている。
周囲を照らすのは魔宮封じの白い壁から漏れる仄かな光のみ。
ギルベルトと彼の連れている冒険者と魔人達がそれに気付いている素振りはない。
「原初の魔物、その半身です。ここの魔宮の主であった魔人も、ギルド機構の暗部たる『影の議会』もそれを欲していました。その思い描く用途は彼も、議会も、私もそれぞれ異なるものでしたが。彼は個人の願望のためにその力を求め、議会は人類の存続のため、そして私は人類の救済を望んだ」
「けけ、存続と救済はどう違うの?」
エミリアが訊ねた。
「議会は自分達の意識を方舟に乗せて次の世界の文明に乗り移るつもりです。生命としての人類ではなく思想と文化、意識の継承による存続を考えました。ですがそれでは同じ事の繰り返しだ。人はまた星を殺し、星は転生を果たすでしょう。人と人とが争うこともなくならない」
────ギルベルトが話している間に。
ずるずるとそれは床を這った。
一定の形を持たないそれは魔結晶による自爆の爆心地を這い回り、散り散りになった破片を拾い集めている。
「…………他者がいるから人は傷つく。それぞれの望みが異なるから争う。誰もが幸せを願いながら、その達成のために他者を不幸に貶め合う」
そう口にするギルベルトの瞳には深い絶望が浮かぶ。
「そう、同じ世界を共有するから奪い合うのです。各々が願う幸せを成就し、他者に脅かされる事のない魔宮を持つ。それが私の思い描く救済です。そしてその達成のためには『始まりの迷宮』の鍵であるそちらの魔物が必要だ」
ギルベルトはそう言ってアムドゥスに目を向けた。
次いでエミリアとディアスに視線を移す。
「その魔物を私に譲っていただければここであなた達を討伐する事はしないと約束します。2人とも辛い境遇の持ち主でしょう。そして今のままの世界ではこの先も魔人堕ちであるあなた達に安寧はない。最初は受け入れ難い提案なのは重々承知ですが、検討と言う形でも構いません。私と来てはいただけませんか」
「────私からもお願いします」
その時、ギルベルトの背後から声がして。
「ギルベルト様に力を貸して」
そう言って姿を現したのはスカーレットだった。
その姿に混乱するディアスとエミリア。
「俺達がギルベルトさんと一緒だったのは驚いたと思うけど、今はその話はあとで。俺からも頼むよ。ギルベルトさんに力を貸して欲しい。そうしないとねぇちゃんの願いが叶わないんだ」
その言葉にディアスとエミリアはさらに困惑の色を浮かべる。
「スカーレット、なのか」
「ええ。お久しぶりです」
ディアスにスカーレットが答えた。
「シアンなの?」
「うん。エミリアちゃんも久しぶり」
エミリアが訊ねるとそう言ってうなずく。
そのやり取りを離れた位置から恰幅のいい冒険者が悲しげに見つめていた。
「どうしたの? ディアスさん。エミリアちゃんも」
スカーレットは2人の困惑した様子に首をかしげる。
「そりゃ、お前がイカれちまってるからだろうよ」
声の方へとディアス達が振り返ると、爆心地の方からよろよろと歩みを進める人影があった。
巨大な戦鎚を肩に担いで向かってくるその男はスカーレットを見ると鼻で笑う。
「私はイカれてなんかないわよ」
スカーレットが言った。
「俺も頭がおかしくなんてなってない」
そう言って戦鎚の冒険者を睨む。
「むしろイカれてるのはあんただ。あんたのせいで俺もアーシュガルドくんも死にかけた──いや、ギルベルトさんの術がなかったら死んでいた」
その言葉を聞いて、エミリアの顔には明確な敵意が浮かんだ。
「…………もしかして、アーくんに酷い事をしたのはおじさん?」
戦鎚の冒険者を見る赤い双眸から激しく赤の輝きが迸って。
「スカーレットがおかしくなってるのも、おじさんのせいなの……?」
「おそらくお前が言ってるのはあの黒髪のガキだな。それは俺だ。魔人に与する裏切り者だ。当然の報いだろ。……だがそっちの女は俺じゃねぇよ。俺が会った頃にはそんな有り様だった」
戦鎚使いはそう言って冷ややかな眼差しをスカーレットに向ける。
「私はイカれてなんかいないわ! …………そうだよ! ねぇちゃんはイカれてなんかない!」
スカーレットは声音を変え、続け様に叫んだ。
だが一人二役を演じ続けているその姿はあまりにも異様で。
スカーレットはトレードマークだった赤いポニーテールをツンツンに逆立つくらいに短く切り揃え、見に纏うのはシアンの黒い軽鎧。
その背には2本の槍を携え、腰にはボウガンと矢筒を下げている。
「シアン、落ち着いて」
恰幅のいい冒険者が言った。
「……あんたはなんでスカーレットをシアンと呼ぶ?」
ディアスが訊ねると恰幅のいい冒険者はその顔を悲しげに歪ませて。
「これが辛うじて彼女の心を保つ術だったからです。彼女は双子の弟を喪い、そのショックから自身を守るために『シアン』と自分自身とを演じ分けている。私やギルベルトさんが『シアン』と呼ぶと彼女の心は安定しました。自分自身の中だけでなく、外にも『シアン』がいると思えるからです」




