8-26
魔人の少年は戦鎚使いの提案を聞いて笑みを浮かべた。
声もなく、細めた目だけが笑っていて。
その目が嗤う。
嘲笑う。
『人間風情が』と、その目には明らかな侮蔑の色。
次いで魔人の少年は体を起こした。
毅然とした鋭い眼差しを戦鎚の冒険者に向けて。
次いでその手を自分の胸へと────
その時、戦鎚使いの脳裏に過った光景。
わずか2秒に満たない、すぐそこにまで迫った未来。
彼はすかさず『既視演算』による再演算を開始した。
コンマ1秒でそれを回避するための未来を模索。
幾通りもの未来を擬似体験して。
「……くそが」
次いでそれが不可能と判断すると、悪態を口にしつつ全力で後ろへ跳ぶ。
魔人の少年は自分の胸へと手を挿し込み、自身の魔結晶を掴んだ。
魔人とその魔宮の心臓部である魔結晶を魔力に変換する。
魔人の少年の目に灯る赤の輝きが消えた。
赤の灯を失った暗い灰色の瞳が戦鎚の冒険者を凝視している。
そして瓦解を始めようとする広大な書庫の魔宮。
だがそれよりも早く。
魔結晶から変換された膨大な魔力が膨れ上がり、それが攻撃へと転じる。
魔人の少年の眼孔と口腔から溢れ出る光。
次いで魔力の急速な膨張による爆発が閃光と共に辺りを包んだ。
戦鎚使いは爆発の境を削ぐように得物を振り下ろし、その魔力で書庫の床に刻印を刻み込んだ。
魔力の爆発を浮けながらも、戦鎚に宿る破砕の力で穿たれる穴へと滑り込む。
魔力による爆発は瞬く間に拡散し、追手を阻んでいた書物の大渦を吹き飛ばした。
その勢いはとどまることを知らず、ギルベルト達とディアス達へと迫る。
眼前へと迫る閃光に照らされて。
光に飲み込まれようとする琥珀色の瞳。
だがギルベルトの眼差しは揺らがない。
ギルベルトは宝杖剣の柄の先へと視線を切った。
そこにあしらわれた大きな宝珠。
その中に埋め込また巨大な結晶に意識を向ける。
「サモンアーツ────」
宝珠に埋め込まれた金色の魔結晶に魔力が供給されて。
「『魔宮の統治者』」
次いで魔宮が形を変えて。
格子状に魔宮の壁と床が切り分けられ、それがスライドして瞬く間に壁を築いた。
その光景にディアス達は既視感を覚える。
「これは、複合魔宮のものと同じか……!」
ディアスが言った。
ギルベルトはその言葉に、にこりと笑う。
そして魔力の爆発が築かれた防壁と衝突。
激しい轟音と共に格子状の魔宮を積み上げた壁が歪んで。
だが歪む側から新しい魔宮のブロックが上下左右から突き出し、修復と補強を繰り返した。
迸る純然たる魔力を魔宮そのものが阻む。
ついには爆発が終息した。
つかの間の静寂。
次いで魔宮が形を維持できずに倒壊していく。
「サモンアーツ…………でも魔物は?」
エミリアは視線を走らせるが魔物の姿が見当たらない。
「嬢ちゃん、ブラザー、下だ!」
アムドゥスが言った。
その虹色の幾何学模様が走る眼で見つめる先。
ディアスとエミリアがその視線を追うと、そこにあるのは影。
ギルベルトから伸びる影が異形のものへと変わっている。
ギルベルトの足からその背後へと伸びる影は膝の辺りから大きく歪んでいた。
無数の歯車がより集まったような影が不規則に動き、その中心には影で大小合わせて3つの眼が形作られて。
5本の腕のシルエットが後光のように放射状に伸びている。
「ケケ、『創始者の匣庭』による観測を完了。『魔宮の統治者』。憑依型の魔物で直接的な戦闘能力は持たないが、魔宮を自在に操る事ができる。魔宮の掌握に特化した魔物だぁ。魔王の魔宮すら限定的に干渉が可能なレベルの化物だぜぇ、ケケケケケ」
アムドゥスが言った。
「ふむ、それはいいことを聞きました」
ギルベルトはうなずくと続けて。
「この力がどこまでの魔宮に作用できるか試す手間が省けました。『始まりの迷宮』に繋がる鍵による観測結果ですし、その精度は信用に足るはず。……なるほど、この魔結晶の主だったあの魔人の言葉は嘘ではなかったようだ。この力と彼に従う魔人、それに冒険者を加えれば魔王の討伐すら可能だった」
ですが──とギルベルトは付け加える。
「私の目的はすでにそこにはない」
次いで霧散する『魔宮の統治者』の影。
その影がギルベルト本来のものへと戻る。
心臓部たる魔結晶を失った魔宮も姿を消して。
残されたのは広大な書庫を囲っていた魔宮封じの白いドームと、残留物として残った一部のスペルアーツの原典のみだった。
魔宮の崩壊が書庫の魔人消失の左証と見て。
ギルベルトの連れていた冒険者と魔人の一団が次の標的へと狙いを定める。
ディアスとエミリアに向けられる複数の鋭い視線。
緊迫した空気が流れる中で、ディアスはギルベルトに問う。
「魔王の討伐が冒険者の悲願のはずだ。だがお前はそれが目的じゃない? 魔人と冒険者、分け隔てなく引き連れて。そしてお前の能力とその魔結晶の力。ならそれほどの力を集めてお前が成そうとしている事はなんだ?」




