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ディアスはギルベルトの背後に佇む冒険者、そしてそれに平然と混じっている魔人達の強さを自身の経験から推し量った。
冒険者はその装備や纏う雰囲気からS級冒険者相当、魔人もS難度相当以上という当たりをつける。
「まずいな」
思わずディアスが呟いた。
永久魔宮化の危機に瀕しながらも研鑽を重ね、1つの完成形に至りつつあった自分の身体を惜しむように見る。
「……エミリア」
ディアスはギルベルト達に悟られぬよう、唇の動きを最小限にして声を潜めて言った。
その様子からディアスの言わんとしている事を即座に察するエミリア。
エミリアは首を左右に振る。
「いつかの時は俺を信じてくれたろ? 今度も俺を信じてくれ。真っ向勝負じゃ俺とエミリアとアムドゥスの3人だけじゃ敵わない。戦闘になったら俺が合図したら逃げるんだ」
「…………」
エミリアは答えない。
だがディアスはエミリアの返答を求めていなかった。
ディアスはギルベルト達に気付かれぬよう、マントの陰に刀剣蟲を召喚して。
同時にその剣身に自食の刃を纏わせていく。
ディアスが警戒するその先で。
魔人の少年と対峙するギルベルト達は睨み合っていた。
魔人の少年はよたよたと後退し、少しずつ距離をとる。
キャサリンを名乗っていたその男は魔人の少年から視線を外した。
結わえていた三つ編みを解き、仁王立ちになると全身の筋肉に意識を集中させて。
その太い筋繊維の1本1本が脈動するように膨張と弛緩を繰り返し、異様だったその筋肉の塊のバストが胸板へと変わる。
胸に集中していた筋力が全身へと再分配され、膨らんだ筋肉によって彼のドレスが肩からバリバリと裂けた。
その屈強な肉体を露にする。
「改めて自己紹介しようか」
その声は普段の裏声ではなかった。
少しハスキーな低音。
男は言いながらディアス達に向き直って。
「俺はギャザリン。2代目【魔物砕き】だ」
『キャサリン』を名乗っていた男──【魔物砕き】ギャザリンがにやりと片側の口角を吊り上げた。
ボキボキと拳を鳴らす。
その時、魔人の少年は駆け出した。
冒険者の1人は彼が駆け出す直前、回り込むように本棚の陰へと駆け抜ける。
魔人の少年が向かうのは魔宮の最奥。
魔人の少年が手をかざすと、本棚に押し込まれていた本が次々と崩れ落ちて。
それらは意思を持つかのように逆巻き、追っ手を阻んだ。
「簡易版、完全版を問わずに要であるスペルアーツの原典を捨てましたか」
ギルベルトが呟いた。
魔人の少年はギルベルト達の足止めをしている間に目的の場所へとたどり着いた。
彼の眼前には大きな水槽。
そこには2つの人影が沈んでいる。
1人は女性だった。
翡翠のような青緑色の長い髪がゆらゆらと揺蕩い、褐色の肌は手足の先にかけて色を失い、透明に変わる。
その傍らにいるのは少年で、同じく翡翠の髪、褐色の肌を持ち、手足の先にかけて色が消えている。
魔人の少年は水槽に反射する自身の顔と、水槽の中の少年の顔を見比べた。
容姿を完璧にコピーしたはずの素体。
だがギャザリンによって受けた欠損を差し引いても、別人のように思えてしまう。
「────」
魔人の少年はイヒヒ、と自嘲気味に笑おうとするが声にならない。
あらゆるものを見下し、蔑み、嘲笑い続けてきた彼の顔にはもう、眼前で水槽に沈む少年の無垢さは欠片も残されていなかった。
陰りを孕んだ赤の瞳の色がより暗く沈む。
「…………」
魔人の少年は指先を水槽の壁面に滑らせた。
その指先に光が灯り、文字が刻まれて。
刻まれた文字は水槽のガラスをすり抜け、その中に沈む少年へと溶け込んでいく。
その時、鈍い風切りの音。
魔人の少年はとっさに体をよじるが、その胴を巨大な戦鎚は逃さない。
ミシミシと骨が軋む感触を。
次いでゴリゴリと骨が砕ける音を聞いて。
魔人の少年は水槽へと叩きつけられた。
そのまま水槽を割り、中に沈んでいた2つの人影と一緒に投げ出される。
魔人の少年は体を起こそうと。
だがその体はすでにそれも困難だった。
左の肋から骨盤にかけてが打ち砕かれ、その肢体は大きくひしゃげている。
魔人の少年は自身の状態に思わず舌打ちをしたくなるがそれもできない。
できるのは襲いかかってきた戦鎚使いを睨む事だけだった。
戦鎚の冒険者は肩越しに背後を横目見た。
大波のように揺れる書物の壁が未だに追っ手を阻んでいるのを確認すると魔人の少年に視線を戻す。
「さて、他の奴らが来る前に終わらせるか。俺は『既視演算』のスペルアーツが気に入ってるんだが、その原典はまだ無事か?」
戦鎚の冒険者が訊ねて。
「無事なら取引しようぜ。『既視演算』だけを残して他の全てのスペルアーツを破棄。そうすればギルベルト達からお前をかくまってやる」




