8-23
「計画通り、でいいかしら」
キャサリンが頬に手を添えながら言った。
口調はそのままだが、その声音は普段ディアス達の前で見せていたものと比べて冷めている。
「まぁ、及第点? でもボクはこの間の連絡でボクのご飯を連れてこいって言ったと思うけど?」
魔人の少年はそう答えて半眼でキャサリンを睨んだ。
キャサリンは小さく息をついて。
「仕方なかったわ。【青の勇者】や他の冒険者、町の衛兵達との交戦に発展してしまって、その子を守りながら逃走するのは困難だったもの」
「守りながら?」
魔人の少年は首をかしげる。
「守る必要がある? ボクは元々、死人の肉を与えられてたんだ。適当に引きずるなり、いっそに盾にすれば良かったんだ。それで残ったとこを適当に皿に盛り付けてくれれば一緒だよ。ただの肉にそこまで気を使う必要がある?」
「それ、アーくんのこと?」
エミリアが魔人の少年を睨んだ。
その身体は平伏したままだったが、目だけを上に向けて。
その赤く光る瞳には怒気がにじんでいる。
「ああ、もちろん。肉は肉だよ。お前も同じ魔人なのに何が気に入らないわけ? ……ああもしかして」
魔人の少年はへらへらとした笑みを浮かべて。
「惚れてた? イヒヒヒ、まさかねぇ?」
「そんなんじゃない」
「だよねー。人間なんてしょせんボクらの餌だ。お前もせっかく魔人になれたんだもん。奪われる側から奪う側に。…………でもこちら側に立てたとしても、序列ってものがあるんだよねぇ」
魔人の少年はおもむろに歩み寄ると、エミリアの頭を踏みつけた。
エミリアの顔を床に押し付ける。
「エミリア!」
ディアスは身体の自由を取り戻そうともがくが、その身体はぴくりとも自分の意思で動かすことができない。
その光景にキャサリンはため息を漏らした。
ディアスとエミリアの側で膝に手をついて中腰になって。
無表情のまま2人の顔を交互に覗き込む。
「ダメよ、エミリーもディアスちゃんも。どうせ逆らえないんだもの。素直に従属されなきゃ」
「…………キャシーは、初めからあたし達を裏切るつもりで近づいたの?」
エミリアが訊いた。
その問いに■ャサリンは肩をすくめて。
「あなた達と初めて出会ったアンデッド系の魔宮ではそのつもりはなかったわ。あの時はアムドゥスのこともディアスちゃんの事も知らなかったし」
ふるふると首を振るキャサリン。
だが次いでその顔には悪びれる様子もない軽薄な笑顔を浮かべる。
「でもリザードマンの魔宮で再会してからパーティーに加わったのはうちのご主人様の意図。『原初の魔物の一欠片』であるアムドゥスを捕まえるために近づいたのよ。あそこで再会したのも偶然だったけどね」
「…………あたしはキャシーが敵かも知れないって前から知ってた。それでもあたしは、信じてたのに。仲間だと思ってたのに」
エミリアの声が微かに震えていた。
魔人の少年に踏みつけられたまま、今度は目だけを向けてキャサリンを睨む。
「あらそうだったの? なんでかしらねぇ。仲間思いの可愛い可愛いキャサリンちゃんを完璧に演じてたつもりだったのだけど、どこで疑われたのかしら」
キャサリンはアヒル口を作ると頬に人差し指を当て、首をかしげた。
「あたしの故郷でコレクターの配下の人と戦ったとき、その人を見逃す代わりに聞いたの。スペルアーツの扱いに長けて、スペルアーツを設置する技術を持ってる人達はとある勢力に属してるって」
「ああ、あの時のあいつね。余計なことをペラペラと」
キャサリンが中腰の姿勢から立ち上がって。
そのまま後ろへと数歩下がる。
「わりと怪しい行動も多かったと思うがな」
ディアスが言った。
ディアスの言葉にキャ■リンは笑い声を漏らして。
「うふふ、ええそうね。さっきのは嘘。全然完璧なんかじゃなかったわ。正直私自身も怪しまれるだろうなって行動はいくつかあったもの。うちのご主人様はせっかちなのよねぇ」
そう言って魔人の少年へと視線を向ける。
「ふん。ボクがしたい事をしたいようにするためにお前らがいるんだ。ボクの思った通りに命じるのは当たり前だろ」
魔人の少年は積み上げられた本に寄りかかった。
赤い瞳でキャサリンを睨めつける。
────そしてその視界には、キャサリンしか映っていない。
「アムドゥス」
ディアスが呼び掛けるのと同時に。
魔人の少年の死角から躍る黒い影。
少年が気付いて振り返った時には、彼の身の丈の倍はある巨大な趾がその体を鷲掴みにした。
「ケケケケケ! 油断したなぁ!!」
エミリアに纏う黒のワンピースから、アムドゥスは巨大な体躯の怪鳥へと変貌を遂げて。
その暗黒の身体は波のように揺らめき、霧のようにたなびいている。
魔人の少年が見上げた先には、樹木のように枝分かれした大きな角が左右に伸びる頭蓋。
アムドゥスはその眼孔から無数に蠢く瞳を覗かせていた。
額にある第3の眼には人の頭ほどもある瞳が浮かんでいる。
アムドゥスは左右の翼を床について自重を支えて。
魔人の少年に覆い被さるように体を丸め、少年の顔を覗き込む。
「…………」
魔人の少年は口を覆われて言葉を発する事ができなかった。
それを見てディアスが言う。
「スペルアーツは正しい音節が伴わなければ使えない。それは生みの親である、『書庫の魔人』も同じはず」
ディアスは素早く左右に視線を切ると続けて。
「ギルド本部にある魔宮でこの様相。まず間違いなくギルド機構に巣食うSS難度判定の魔人──通称『書庫の魔人』で間違いないはずだ」
「ケケケ、SSかぁ。確かにこいつは強力な魔人だ」
アムドゥスは虹色の幾何学模様が浮かぶ額の瞳で魔人の少年の顔を凝視する。
「だが自身の戦闘力は皆無。周囲の本棚に並ぶこいつの魔物は実体がなくて動くこともできねぇ。不用意に姿を現したのは軽率だぜぇ?」
アムドゥスは魔人の少年を嗤った。
彼の体を握る趾に力がこもる。
「アムドゥス、そいつを殺すのは待って欲しい」
ディアスが言った。
「ケケケ、こいつはスペルアーツの生みの親。殺せば人間の戦力はだだ下がりだもんなぁ」
アムドゥスが魔人の少年を握る力が少し緩む。
魔人の少年は眉毛をへの字に曲げ、不愉快そうにアムドゥスを見上げていた。
次いで視線をおろすと、自身の握る本へと目を向ける。
「ケケ、それで殺さないとしたらこいつはど────」
アムドゥスの言葉を、遮って。
大きな風の唸りを伴って青の閃きが走り、次いで無数の刃がアムドゥスを襲った。
振り抜かれ青のハルバードが魔人の少年を拘束する足を断ち切り、地を這うように伸びた幅広の刃の側面からいくつもの刃が直下立ってアムドゥスを貫く。
「…………油断? 軽率? それはそっちなんじゃないの? イヒヒヒヒ」
アムドゥスの拘束を逃れた魔人の少年は呟きながら服をパンパンと払った。
その左右にはスペルアーツ『隷属魔象』による命令を受けたディアスとエミリアが顔を歪めながらアムドゥスを見ている。
「便利でしょ。ボクの『隷属魔象』。わざわざ言葉を交わさなくても簡単な命令なら送れるんだ。これが機能している限り、対象はボクを傷つける事もできない」
「ケケ…………」
アムドゥスは半ば横たわりながら魔人の少年、ディアス、エミリアを見ていて。
「ケケケ……ケケケケケ!」
次いで肩を大きく震わせて笑い声を上げる。
「なるほどなぁ! それが狙いかぁ!!」
アムドゥスはそう言うと3人から視線を外した。
この魔宮にいるもう1人の人物に視線を移す。




