8-2
険しい顔つきを浮かべて踵を返すキャサリン。
「どうしたの? キャシー」
エミリアが訊いた。
その間にもキャサリンは歩みを進め、ディアスの脇を通り過ぎて。
「ごめんなさい。ちょっと連絡しなきゃいけないことを思い出したの」
肩越しにエミリアに答えると、足早に廊下の先へと消える。
キャサリンの様子に首をかしげるエミリアと、怪訝な面持ちを浮かべるディアス。
そして静かに『創始者の匣庭』を発動し、観測を行っていたアムドゥスだけがキャサリンに起きた事を理解して。
「ケケ」
アムドゥスが小さく笑うと、その額の瞳に灯っていた虹色の光が霧散する。
「────私さっき迂回してもいいって言ったばかりなのよねぇ」
「そんなのは知らないよ。予定が変わったんだ。ボクはすぐにでも原初の魔物の一欠片を使って計画を進めなくちゃならない。反論するだけ時間の無駄だよ。君はボクに逆らえないんだから」
宿屋の一角にある『鏡』の間。
その扉を厳重に施錠して。
キャサリンは鏡越しに自身を隷属するその少年を見た。
褐色の肌に翡翠のような青緑色の髪。
大きな丸眼鏡の先で魔人の証である赤く発光する瞳が、気だるげにキャサリンに視線を返す。
「ええそうね。急に連絡をよこすようスペルアーツで呼び出して。これで怪しまれたらあなたのせいなんだからね。それで、なんで急に事を急ぐのかしら」
キャサリンが訊くと魔人の少年はうんざりしたようにため息をついて。
「ボクは人間と敵対した」
「敵対ですって?」
キャサリンが眉をひそめる。
「うん。議会か他の勢力なのかは知らないけど、武装した冒険者が徒党を組んでボクの魔宮に攻めてきたんだ。イヒヒ、馬鹿な奴らだよねぇ。ボクに勝てるわけないのにさ。ボクも議会もお互いにどこで手を切ろうか探ってたし、予定より早まったけど人間に協力するのはやめたわけ」
「襲撃を受けた事を報告すれば、仮に議会の差し金だとしてもまだしばらくは均衡を維持できたんじゃないかしら。今からでも説明すれば────」
「あー、それは無理だよ」
魔人の少年はキャサリンの言葉を遮って。
「だって冒険者を始末するとき、上の連中もまとめて殺したからさ」
少年はにやりと笑うと続ける。
「何人死んだかなー。結構な数を殺せたと思うんだけど。イヒヒヒヒ」
「そんな……。攻めてきた冒険者だけでも良かったんじゃ」
「そうだけどさ。でもそんときはボク、頭にきてたから。弱い人間がボクに歯向かおうなんて腹立つじゃん? 身の程を知れって思っちゃうじゃん。だから仕方ないよ。悪いのは攻めてきた冒険者とその背後にいる連中だ。ボクは全く悪くない」
魔人の少年は悪びれることなく言い放って。
次いで突如顔をしかめた。
自分のお腹をさする。
「…………そうだ。君達の中に1人、人間がいたよね。そいつを必ず連れてきてよ。ボクはもうお腹がペコペコなんだ」
ぐー、ぐーと鳴る自分のお腹をさすりながら少年が言った。
「分かったわ。…………て、その子のせいで迂回しなきゃならないって話に────」
「連れてきてね。最短ルートで」
「分かったわ。…………いやでも────」
「お肉の切り分けもよろしく」
「分かったわ」
キャサリンは魔人の少年の要求に逆らいたくとも逆らわない。
肯定の言葉だけを口にする。
「口答えは時間の無駄だよ。何度も言わせないでくれるかな。『隷属魔象』がある限り君はボクに逆らえない。はいはいって返事だけしてボクの要求に応えていればいいんだ」
「…………」
キャサリンは下唇を噛むと、悔しそうに目を伏せた。
握り締めた拳がわなわなと震える。
そんなキャサリンの様子を半眼で見つめる魔人の少年。
「やっぱり変だな」
少年はキャサリンの反抗的な態度に首をかしげて。
「ねぇ、命令────」
次いで無表情のままキャサリンに告げる。
「目玉、抉って」
「分かったわ」
キャサリンは答えると迷うことなく自らの太い指を右の眼孔に。
くぐもったうめき声を漏らしながら事を遂行するキャサリンの姿を、魔人の少年は鏡越しに眺めていた。
頬杖をつき、それが終わるのを待つ。
「…………うん、いいね!」
キャサリンの手に握られたそれを確認して。
次いで、いたずらっぽい笑みを浮かべて魔人の少年が言った。
「イヒヒ、じゃあそれしまっていいよ」
「あら、いいのかしら」
残った左目で魔人の少年に視線を返しながらキャサリンが訊ねた。
「うん。いいよ、別に」
すでに興味を失い、適当に返事を返す魔人の少年。
「…………」
キャサリンはそれを手のひらの腹で眼孔に押し込んだ。
「スペルアーツ『治癒活性』」
すかさず魔人の少年はスペルアーツを発動。
緑色の光が瞬き、その光はキャサリンの引きちぎられた眼球の神経、血管、筋肉全てを再生させた。
キャサリンは右目が光を取り戻した事を確認するとぱちぱちと数回まばたきする。
「やっぱり凄いわね。私の『治癒活性』じゃこうはいかないわ」
「当然だよ。そして君だけじゃない」
魔人の少年は肩をすくめて。
「むしろボクだけが特別なんだ。ボクが人間に分け与えた劣化版とボクの完全版じゃそもそもの発現する現象の次元が違うからね。イヒヒヒ」
得意気に少年が笑う。
キャサリンは少しの間、右目の様子を確認して。
「じゃあ、私は行くわね」
キャサリンが言った。
「うん。なるべく早くね」
「分かったわ」
キャサリンは最後に答えると『鏡』のチャンネルを閉じた。
鏡に映し出されていた薄暗い書庫と少年の姿が消え、鏡にはキャサリンと部屋の景色が映る。
「さて」
キャサリンは天井を仰いだ。
大きく息をついて。
「いよいよね。みんなにも、この可愛い可愛いキャサリンちゃんともお別れ。全ては、ボスの計画通りに────」




