■-2
両開きの扉の先には背を向けて佇む男の姿。
男は扉が開いたのに気付くと手に持っていた書類から顔を上げ、エレオノーラの方へと振り返った。
その上背と鍛え上げられた肉体は老人のものとは思えなくて。
だが白髪を短く刈り揃えた頭は所々髪が薄くなって地肌が透けていた。
顔には深いしわが刻まれ、老眼鏡越しに覗く紫の瞳はエレオノーラの記憶の中にあるものと比べると濁っている。
面影はある。
だがエレオノーラは目の前の老人が自身の知る旧友だとは信じられない。
「久しいな、エレちゃん」
老人は厳格な顔をくしゃっと歪めると、穏やかな声音で言った。
その声もまたエレオノーラの知るものよりもしわがれていて。
だが年老いた老婆に向かって気さくにちゃん付けで呼ぶその表情を彼女は確かに知っている。
「…………久しぶりじゃな、ラーヴァ」
エレオノーラが言った。
「どうしたエレちゃん、浮かない顔をして。一時は恋仲だった男が爺さんになってたのがそんなにこたえたか? ほれ、よく見てみい。私もなかなかのジェントルマンになっただろう」
ラーヴァは襟を整え、翡翠のあしらわれたループタイの位置を直した。
姿勢を正し、軽くお辞儀する。
「お前さんと恋仲だったなんてよしておくれ。あれは人生最大の汚点じゃ。それにラーヴァが紳士だって?」
失笑すると頭を振るエレオノーラ。
「あんたは紳士なんかじゃなく戦士だったはずだよ、ラーヴァ」
エレオノーラが言うと、ラーヴァガルドは肩をすくめて。
「だが今は違う。私も、そしてお前さんもな。私はもう剣を振るわない。私の剣は今、戦うためではなく守るために使っている」
「あの【嵐の覇王】が今は孤児院の院長なんてやってるんだってねぇ。…………ほんとに変わっちまったねぇ、なにもかも」
エレオノーラは部屋へと踏み入ると、後ろ手に扉を閉めた。
次いでその扉に寄りかかる。
「わしはいつまでも戦士のままでいられると思っておった。あの馬鹿共とずっと一緒に戦って戦って、さ」
エレオノーラは伏せ目がちに言うと、懐にしまっている日記へと手を伸ばした。
その表紙を撫でる。
「そういえば他のみんなは元気かい? ドクターとはわしも連絡をとっておるが、シルヴァとグレゴリはまだ生きとるかね。少なくとも5年前にお前さんから健在だと聞いたらしいが」
エレオノーラの問いを受け、その表情を曇らせるラーヴァガルド。
ラーヴァガルドはソファに腰かけると、うつむきながら答える。
「シルヴァはスキルツリーの侵食がさらに進んだ。身体の半分は幹に呑まれて口も利けなくなってから久しい。樹も結局シルヴァの体外に出て魔力に曝された部位はほとんどが枯れてしまった」
ラーヴァガルドはそこで顔を上げ、エレオノーラに視線を向けて。
「が、今もまだ【黄鍵の魔王】をその無限の斬擊で封じ込めている。だがもういつ事切れるかも分からん状態だ。あれには魔宮封じが通じぬからシルヴァ以外にあれを押さえ込むことはできん。おそらく斬擊の檻が解除された瞬間に『扉』を繋いで逃げるだろうな」
「【黄鍵の魔王】……個人の脅威自体は他の魔王に劣るがなかなかに厄介な能力じゃ。それが解き放たれるとなると人間側はまた不利になるのう」
「だが現状打つ手はない。自身の魔結晶を『扉』で囲んでいるからこちら側の攻撃が通らんのだ」
ラーヴァガルドはソファの背もたれにもたれると腕を組んだ。
「エレちゃんとこのフリードに斬らせてみたが、一撃必殺の剣でもまだ『扉』の許容量を超える威力を与える事はできんかった。結局周辺の山々が消し飛んだだけで魔結晶は無傷。グレゴリの『天誅滅却』ならばと思う事もあったが…………」
ラーヴァガルドが口ごもると、エレオノーラは眉をひそめた。
大きな帽子のつばの陰からラーヴァガルドを見つめて。
「グレゴリがどうかしたのかい? あいつが戦えなくなってるのは記録にあったから知っておる。あいつの弟子がその拳を砕いて【魔物砕き】の名を踏襲したのも」
「グレゴリはその2代目【魔物砕き】に殺された。3年前の話だ。そして2代目はグレゴリだけでなく兄弟弟子や彼をよく知る人間を皆殺しにしたあと消息を絶ったらしい」
「2代目【魔物砕き】…………確か名は、ギャザリンじゃったか」




