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「────おい、いつまで起きてんだ? いい加減寝ろよ」
背後から声をかけられて。
色褪せた桃色の髪の老婆──エレオノーラは眉をひそめた。
ぶっきらぼうな声のした方へと振り返り、その銀の瞳で視線を返す。
その先には窮屈そうに体を屈めて扉から顔を出す巨漢の男──エドガーの姿があった。
その巨体と剃り上げた頭、頬から首筋にかけて走る大きな傷跡が威圧感を放っていて。
だがエレオノーラが目を細めてエドガーを睨むと、むしろ彼の方が萎縮してしまう。
「はっ。そう睨むなよ。明け方には宿を出てラーヴァガルドのとこに行くんだろ。もういい歳なんだ、あんまり無理してっとぽっくり逝っちまうぞ。そうじゃなくたって寝不足のあんたは顔が普段の倍はしわしわだ。ラーヴァガルドに老けたなって言われるぜ?」
鼻で笑いながらエドガーが言った。
「ほんと『見た目とは裏腹に優しい』の。だが『言動はぶっきらぼう』で『言い回しは失礼』じゃな」
エレオノーラは呟くとデスクに向き直り、手に持っていた羽ペンの先をインク瓶へと浸した。
「いや、寝ろって言ったろ」
エドガーがボリボリと頭を掻く。
「あいにくと今、書く事が増えたからの」
「はっ。俺に失礼な事を言われて腹立たしいって?」
「失礼な物言いじゃったが、それでもわしの身体を気遣ってくれた、とな」
「わざわざ書くほどのことか?」
エレオノーラは書きかけの日記をそっと撫でて。
「じゃがその些細な記録の積み重ねがあるからわしはお前さんを信頼できるんじゃよ。最近は嫌に胸騒ぎがするんじゃ。いつ失ってもいいように備えなければのう」
「はっ。必要ねぇさ」
エドガーは拳を固めて持ち上げる。
「前に出るのは俺とフリードだけで十分だ。もうあんたの出番は来ねぇ。今はもう俺たちの時代だ。あんたは後方でスペルアーツとサモンアーツを使ってりゃいい。年寄りは後ろでおとなしくしてるんだな」
「わしもそうあって欲しいと思っておる。わしらの時代は終わった。今の世界はわしが知るものとは大きく変わっておるしな。魔人の打倒、そのためだけに一丸となっておったあの頃と今は違う。力をつけ、魔人と相対する力を得た人間は利権だなんだと人間同士でも見えない戦いをするようになった」
エレオノーラは遠い目でため息を漏らして。
「未だに人類にとっての根本的な脅威に対する解決はなされておらんのにの」
「6人の魔王と、地下の話か」
「あれを地下と形容するのは語弊があるがの。わしらはあそこの探索の果てに世界の有り様とその『意志』の一端に触れた。そして確信した。魔人を駆逐できても人類はあれの前に滅びる、とな。現に議会の一部の者達は滅びを前提とした上で動いておるとラーヴァが言っておったみたいじゃ」
エレオノーラが言うと、ちらりと彼女の日記に視線を向けるエドガー。
「不可侵の契約があるうちは大丈夫なんじゃないか? そうじゃなければなんのための契約だ」
「確かに契約は交わしたが、あれは途方もなく大きい意思の末端に過ぎん。あれの意思の大本はわしらの滅びを望んでおる。いずれにせよ現状維持はできぬ。魔人によって緩やかに滅びるか、なんとか持ちこたえ続けてもいずれこの世界が月へと変容する際にわしらは滅ぶ。そうなったとき、わしらは何を残すのかの」
エレオノーラは部屋の小窓から空に浮かぶ赤い月を見た。
「今夜は一段と月が赤いねぇ。今日みたいな夜は龍が騒ぐ。あの黒の坊やは苦労するじゃろうね」
「ああ、あの魔物の身体を接ぎ剥ぎしてる勇者か。でも結局その力、使いこなせないんだろ? できるのは魔物じゃないと死んじまうような特殊環境の魔宮の攻略と無差別な破壊だけ。はっ。真っ当な攻略ならA級相当の力しかねぇって話だ。情報から判断するに攻略じゃなく戦闘に関しても俺のが上。どちらにしろフリードや他の奴らと肩を並べるほどの実力はねぇ」
「あの坊やは体質的に恵まれなかった。いや、むしろこの世界に適応するという意味では恵まれ過ぎたのかね。だからあんな歪な戦い方しか選べなかったんじゃろ」
エレオノーラは羽ペンを持ち上げたが、すぐにペンを置いて。
「…………エドガー、もうお行き。わしもすぐに残りを書き上げて眠る」
「はっ。あんま無理すんなよ」
エドガーはエレオノーラに促され、最後にそう言うと扉をゆっくりと閉めた。
扉の先から廊下を歩くずんずんという足音が響き、遠ざかっていく。
エレオノーラはエドガーの足音が聞こえなくなると、日記の続きを書き始めた。
「エレオノーラ様、こちらでラーヴァガルド様がお待ちです」
ギルド本部の西側にある塔の上階で。
ギルドバッジを左肩に留めた若い男が言った。
その男の傍らには大きく重厚な扉がある。
「案内ご苦労様、ありがとうよ」
エレオノーラはトレードマークの大きなつば広帽子の陰から銀の瞳を覗かせて。
ここまで案内してきた若い男に礼を言った。
次いで外の喧騒に眉をひそめる。
「今日はずいぶんと騒がしいようじゃが、何かあったのかね」
「ギルベルト様が大部隊を率いて魔宮の攻略へと向かわれるようです」
「大部隊を率いて?」
「はい。東の渓谷に大型の複合魔宮が出現。その危険性からギルベルト様に白羽の矢が立ったわけです」
「…………複合魔宮、とはのう」
呟くエレオノーラ。
エレオノーラは少し思案すると重厚な扉に手をかけた。
扉は見た目とは裏腹に簡単に開く。




