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「ふむ、それがそなたの本意なら構わぬが。だがよいのか? 我が力を持ってすればあらゆる脅威を退けることができる。それは貴様ら人間が【魔王】の称号を与え、呼称する6人の魔人の魔宮ですら例外ではない」
ジルヴェスターはギルベルトの目を。
次いで視線を左右に走らせ、周囲を取り囲む冒険者達を確認して。
「戦う意思は消えぬ、か。良かろう。だがもし違ったのであるなら、素直に胸の内を明かすべきであったな」
ジルヴェスターは自身の掌握する複合魔宮を操作した。
ジルヴェスターを中心に切り分けられた魔宮のブロックが揺れ、それが波紋のようにフロア全体に伝播する。
次いで冒険者の視界が揺れて。
冒険者達の立つ床が凄まじい速度でせり上がり、同時に天井が降下。
魔宮そのものが冒険者達へと襲い掛かる。
魔宮は冒険者達を押し潰そうと。
だが冒険者達は迫り来る魔宮へと反射的に得物を振るった。
ギルベルトが幾重にも付加し、相乗されたそのバフは冒険者に大きな力を与えていて。
その攻撃は容易くこの複合魔宮を構成するブロックを打ち砕く。
ブロックは砕いた先から新たなものが冒険者達へと執拗に迫るが、隙を見て冒険者の一部がジルヴェスターへと躍りかかった。
帝を名乗るこの複合魔宮の主へと向かう冒険者達。
その冒険者達をギルベルトが見つめる。
ジルヴェスターは玉座にもたれ、頬杖をついたままで。
「やれ」
ジルヴェスターは短く命令を発した。
すかさず魔人の騎士達は冒険者の迎撃に動く。
構えられた大弓。
引き絞られる太い弦。
だが引き絞られた弓に矢はつがえられていない。
魔力が矢を形作って。
次いで放たれたのは実体を持たない矢。
だがそれは冒険者の身体を貫くと同時に実体化し、その胸を穿った。
冒険者の胸の真ん中に握り拳ほどの穴が開く。
実体化した矢は冒険者の身体をすり抜けると同時にまた実体を失って。
それは対象を貫く時にだけに実体を持つ防御不可の一撃。
その一射は緩やかに弧を描いて幾人もの冒険者を貫いた。
目の前にいた冒険者が胴を穿たれ、その赤い飛沫がぴしゃりと顔にかかった。
顔の半分を飛散した血肉にまみれて。
だがその暗く沈んだ紫の瞳は血に染まっても瞬き1つしない。
ギルベルトの『召喚の印』によって強制転移させられたアーシュ。
アーシュは遅れて頬についた血を指先で拭った。
わずかに粘り気を帯びた鮮血で指先が真っ赤に染まったのを見る。
貫かれた冒険者の傷はギルベルトの術によって瞬く間に塞がり、冒険者は臆することなく魔人の騎士達とジルヴェスターへと向かって行った。
前線では冒険者達が魔人の騎士達と交戦。
激しい怒号と剣戟の音がこだまし、新たに飛来した矢がアーシュのすぐ隣の冒険者を貫いて。
だがアーシュはそちらには目も向けず、両膝を着いたままでゆっくりと自身の身体を確認する。
折られた指。
潰された指。
切断された指。
貫かれた指。
引きちぎられた指。
まずはそれらの指が元通りになっている事を確認。
次いでその指先で身体をなぞって。
額を。
こめかみを。
眼球を。
鼻筋を。
頬を。
唇を。
顎先を。
首筋を。
そして鎖骨から肩へ。
肩から胸へ。
胸から脇腹をなぞり、腹部、局部、太ももから膝、すねへと指先を滑らせる。
その肢体が元通りになっているのを確認したアーシュ。
アーシュは次いでびくりと体を震わせた。
そばを横切った戦鎚を持つ冒険者の姿にアーシュは恐怖する。
それが人違いである事にアーシュはすぐに気付いたが、震えだしたその体はもう止まらない。
冷や汗がどっと吹き出し、口の中はからからに乾いて。
その瞳は小刻みに揺れ動き、焦点がまるで定まらなかった。
頭の中へと周囲の音が際限なくなだれ込み、反響して飽和する。
その時、そっと後ろからアーシュに腕を回して。
「見つけたわ、アーシュガルド」
スカーレットは震えの収まらないアーシュの体を抱き寄せた。
「大丈夫よ、落ち着いて。ここにはあの戦鎚使いはいないわ。あの時いた他の冒険者も。ここにはあなたに危害を加える人間はいない」
アーシュの耳許で優しく囁くスカーレット。
「スカーレット……ねぇちゃん?」
アーシュはその声を聞くと震える声で呟いた。
次いで思い出したかのように周囲を見回して。
「スカーレットねぇちゃん、どうしよう。シアンにいちゃんも……。シアンにいちゃんが……!」
「大丈夫よ」
「シアンにいちゃんもあいつらに」
「知ってる。大丈夫よ、アーシュガルド。傷はギルベルト様の術で塞がってる。ちゃんと無事だから。だから落ち着いて」
スカーレットがアーシュをなだめる。
だが彼女自身も顔色が悪く、その瞳は生気がない。
それでもスカーレットは得物を手に取ると、立ち上がった。
「私はギルベルト様のところへ行く。アーシュガルドはディアスさん達と合流して。ギルベルト様が進行してきた道は敵も掃討されてるはず。でも、だからって油断はしないでね」
スカーレットは強くアーシュの背中を叩いた。
そのまま駆け出して。
アーシュが振り返った時にはその姿は多くの冒険者に紛れて見えなくなっている。
アーシュは呆然とスカーレットが消えたであろう先を見つめて。
「ディアスにいちゃん……エミリア、アムドゥス…………」
次いで小さく名前を呟くと、ゆっくりと立ち上がった。
冒険者達の流れに逆らい、求めるようにふらふらと通路へと向かう。
アーシュは意思を持つように蠢き、冒険者へと襲い掛かるフロアを出て。
あてもなく通路をさ迷い歩いた。
朧気で不鮮明な意識。
判然としない五感。
それでも左腕に纏わりつくような違和感だけは鮮明に感じ取られて。
アーシュは気付けはその感覚に意識を集中させる。
深く深くその意識が沈んでいき、ついにはその視界は現実とは異なる何かを投影した。
アーシュの目の前に広がるのは膨大で広大な光。
その光は胎動して。
だがその光を大きな黒い影が捕らえていた。
影に浮かぶ無数の巨大な眼がその光を見据えている。
その瞳の1つがアーシュを捉えた。
虹彩に虹色の光が幾何学的に走り、その瞳孔が拡大と収縮を繰り返してアーシュに焦点を合わせる。
巨大な瞳がアーシュを見つめると、その縁からいくつもの黒い影が触手のように伸びてきた。
触手の先が人の手を形作り、その手がアーシュを捕らえようと。
「────ここにいたらダメだよ」
カツンという靴音と共に背後から子供の声が響くと、アーシュの視界が暗転。
真っ暗な空間にはアーシュと、声をかけてきた子供の姿だけが残された。
コツコツと靴音を響かせ、その子供はアーシュへと歩み寄る。
アーシュは子供の方へと振り返った。
そこにいたのはアーシュと背格好がさほど変わらない少年。
少年はその出で立ちから察するに貴族のようだった。
細やかな金の刺繍が入った上着を羽織り、首もとには青いリボンがとめられている。
「君は……誰?」
アーシュが少年に訊ねると、少年はにこりと微笑んだ。




