7-37
よじれ続けた周囲の空間は一点に収束。
それは小さな点となり、ランスの切っ先が歪曲した空間を貫いた。
空間の歪みが解除されると、周囲の景色が一辺。
魔宮の壁や床、天井が騎士を中心に消滅している。
残されたのは空中に浮かぶ魔宮の破片や瓦礫。
床を失い、騎士と彼の跨がる魔物は数フロア下へと向かって落下を始める。
騎士は盾を背中に留めると手綱を握った。
ディアスの『千剣魔宮』によって吹き飛ばされた魔物の翼が再構成されると、新たな獲物を求めて眼下のフロアへと向かう。
────その視界の隅に。
落下する瓦礫と瓦礫との間に垣間見えた純然たる白。
視界を赤く染める同胞の魔宮の効果が未だ健在にも関わらず、確かにそれは存在した。
魔人の騎士はとっさに視界の隅の白を追って顔を上げた。
その視界を魔宮の破片が一瞬遮り、視界が開けた頃にはそこに白い輝きはない。
ただ消滅を免れた通路の一部が何かを盾にしたように細く残されている様だけが見える。
騎士は細く伸びる通路の残骸を凝視した。
次いで自身に覆い被さる影が濃くなっているのを感じて。
さらに顔を上げて直上を睨む。
「『その刃、疾風とならん』」
同時に頭上から迫る数多の刃。
それはさながら雨のように魔人の騎士へと降り注ぐ。
すかさず手綱を操る騎士。
彼の操る馬を模した異形の魔物が嘶いて。
次いで魔物は加速と同時に進路を変えた。
迫りくる刀剣の雨を回避しようと。
だがそれは軌道を変えた。
剣身に走る溝が展開し、鋭い薄羽を広げて。
刀剣蟲は『その刃、疾風とならん』の勢いを殺すことなく鋭角に飛翔し、騎士とその魔物へと瞬く間に肉薄する。
騎士は追い縋る刃を肩越しに見ると鋭く双眸を細めて。
手綱を引き、魔物の旋回と同時にランスを横薙ぎ払った。
同時に素早く手綱を引くと、魔物が額から伸びる角を振り上げる。
視界を埋め尽くす刀剣蟲を薙ぎ払ったその先に。
そこには瞳を赤く燃やすディアス。
その傍らを旋回するアムドゥス。
ハルバードを構えながら瓦礫と瓦礫とを跳び移るエミリア。
そして巨大な刀剣の爪に抱き抱えられたキャサリンの姿があって。
「お姫様抱っこ、憧れだったのよー。このあいだの魔宮でのことディアスちゃん覚えててくれたのねぇ。 …………って違うわ! なんか私が思ってたのとこれ違う!」
キャサリンは自身を抱く硬く冷たい無骨な腕と爪とを触ると、体を左右に揺らしながら頭を振る。
「ケケケ、体格的にはぴったりじゃねぇか」
アムドゥスが言った。
「やーね。私こんな腕に抱かれるのがジャストサイズなほど大きくないわよ! ねぇ、エミリー?」
キャサリンがエミリアに同意を求める。
「けけ、確かに少し大きいかも?」
「少しじゃなくて、だいぶよぉ。殿方の胸の温もりもないし」
「ブラザーの肉体のほとんどは剣だぜぇ? 温もりなんて求めるのは無茶じゃねぇか、ケケケケ」
「……せめて抱くならそっちの腕で抱いてくれれば良かったのに」
キャサリンはディアスのマントの下から伸びる双腕の刀剣蟲に視線を向けた。
その腕は人の身の丈の倍はある長大な剣を握っている。
先程の騎士のランスによる空間歪曲をも無効にした高ランクの魔封じの剣『真白ノ刃匣』。
真っ黒な柄から伸びる純白の刃には金の装飾と紺色の精巧な紋様が施されていて。
両刃の剣身は片側の根元が半円状に切り取られ、そこには刃と同じ材質の柄があしらわれている。
それはディアスの抱く勇者のイメージの具象。
サイズこそ規格外だが、その姿は物語に出てくる勇者の剣の具現のようで。
ディアスはその長大な剣の切っ先を魔人の騎士へと向けた。
「ソードアーツ────」
次いでその魔力を解放しながら魔人の騎士へと躍りかかる。
振り下ろされる純白の刃。
騎士は手綱から素早く盾へと持ち変えるとそれを構えて。
同時に上体を捻り、肩を引いてランスを構えた。
盾による反射と同時に追撃しようと。
「『偽りと欺瞞の偶像』」
だがその剣閃は騎士の構える盾をすり抜ける。
燦然と光を放つ剣が魔人の騎士とその魔物を斬り裂いた。
その大きく弧を描いた白い軌跡には無数の輝きが瞬き、白い星空のようで。
その輝きは魔力の灯。
騎士とその魔物から、真白の剣閃は根こそぎ魔力を奪い去り、それが光へと変わる。
次いで変容する騎士の姿。
魔人の騎士の魔結晶は『偽りと欺瞞の偶像』によって魔力を急速に喰われ、それを補うために騎士自身の身体を喰らって魔力を捻出する。
だがついには魔力の生成が追い付かず、その魔結晶は活動を停止した。
魔物の身体が瓦解し、無数の人骨へと戻って。
その人骨と共に全身の大半を自食に喰われた騎士の身体が落下。
そのままフロアの床へと叩きつけられる。
ディアスは魔人の騎士を追って降下すると、真白ノ刃匣の切っ先をその胸に突き立てた。
騎士の魔結晶を砕き、深々と刺さった大剣がその亡骸を床に縫い付ける。
魔結晶を砕かれて灰へと変わる騎士を見下ろすディアス。
その傍らにエミリアが着地。
降下してきた爪から遅れてキャサリンが飛び降りた。
アムドゥスはディアスの肩へととまる。
ディアスは真白ノ刃匣を引き抜くと、カツンと切っ先で床を叩いた。
そこから幅広の刃が床を這うように伸び、その側面からさらに無数の刃がそそり立って。
連なる刃は真白ノ刃匣を飲み込むと、『千剣魔宮』へと収納する。
ディアスは周囲を見回した。
辺りの様子を確認する。
「…………」
次いでディアスは刀剣蟲の爪を解除した。
双腕の刀剣蟲に取りついていた他の刀剣蟲が姿を消し、腕を形作っていた自食の刃がそこから剥がれ落ちるとディアスの身体へと戻る。
ディアスは再形成した足でとんとんと床を叩いて調子を確かめて。
「アーシュを探そう」
ディアスが言うとエミリアとキャサリンがうなずいた。
「そんなに慌てなくても、もう決着がつきそうだがなぁ、ケケケケケ」
ディアスの肩でアムドゥスが笑う。
「どういうことかしら?」
キャサリンが首をかしげた。
「おそらく魔人が一斉に冒険者へと攻撃に出たんだ。あれほどかたくなにに姿を現さなかった魔人が俺達の前にだけ現れたとは考えにくい。そして魔人の討伐が進み、複合魔宮の崩壊が始まってる。アムドゥスの眼なら魔宮の状態の推移が観測できてるはすだ」
「ケケケ。その通りだぜ、ブラザー」
ディアスの言葉にアムドゥスがうなずく。
「そうなの? アムドゥス。あたしにはあまり変わったようには見えないけど」
エミリアは左右に視線を走らせて。
だが切り分けられた複数の魔宮が形作る通路や床は目に見えて穴が空いていたりはしていない。
色や材質、質感の異なるブロックが整然と並んでいる。
「ケケ、目に見えた変化ならあるぜぇ? 俺様の眼でなくとも一目瞭然の変化が」
「あ」
エミリアはアムドゥスに言われてその変化に気付いて。
「色が戻ってる」
「あら、本当だわ。さっきまではディアスちゃんの魔封じの剣があったから周囲の幻覚が晴れてたけど、剣をしまった今も景色は元のままだわ」
「ケケ、そういうこった。途中から視線を外しても魔物に襲われることもなくなってたし、そんときからその魔人は他に魔力が割けないくらい切迫してたんだろうぜ」
「けけ。魔人が攻勢に出たってことは、そのまま殲滅できると思うまで冒険者がやられちゃったか────」
「攻勢に出なければならない状況──この複合魔宮の要か、この魔宮を形成する魔人達のリーダーと冒険者が接触したということだろうな」
エミリアの言葉を引き継いで、ディアスが言った。




