5-27
「エミリア!」
アーシュはエミリアへと駆け寄った。
ソードアーツを発動したままの輪刀を操作し、エミリアへと襲いかかる魔物を炎の刃で斬り裂く。
エミリアはぐったりとしたまま動かない。
アーシュは『真白ノ刃匣』も『その刃、嵐となりて』の操作に加えると、右腕でその身体を抱き起こした。
「…………そんな、これ自食が始まってる?」
見ると抱き起こしたエミリアの右手の甲が石のように変質し、ひび割れて。
それは徐々に指先と腕の方へと拡がっている。
アーシュは短剣の1つを手元に引き寄せた。
その刃で指先を切って。
「……痛った」
指先を深々と切り、そこから血が滴り落ちる。
「エミリア」
アーシュは切った指先をエミリアの口許に運んだ。
赤い滴がエミリアの唇を濡らす。
「飲んで、エミリア」
血で赤く染まっていくエミリアの唇。
だが意識のないエミリアはアーシュの血を飲んではくれない。
アーシュの血は唇から顎、首筋へと伝っていく。
アーシュがエミリアの右手へと視線を移すと、すでにそのほとんどが変質していて。
冷たく硬い灰色の外皮がひび割れ、そこから濃紺の毛がまばらに生えていた。
指先は黒く変色し、爪は剥がれ落ちている。
「エミリアお願い、飲んで」
アーシュは強引にエミリアの口を開けると、そこに血を垂らした。
1滴。
2滴。
3滴。
その時、エミリアがごくりと喉を鳴らす。
「…………」
エミリアは無言で小さな舌を伸ばした。
アーシュの切った指先に舌を這わせ、傷口を押し広げるように固くした舌先で突く。
ピチャピチャと湿った音を響かせながらアーシュの血を舐めとるエミリア。
そして突如エミリアの右手が跳ね上がり、アーシュの手を掴んで。
エミリアはアーシュの指先を咥えた。
舌先でアーシュの傷口をなぞり、次いでその傷口に歯を立てる。
「痛っ!」
アーシュは痛みに顔を歪め、思わず手を引こうとして。
だがエミリアが強く、その手を掴んでいて放さない。
チュプッ、と音を立ててエミリアはアーシュの指先から口を離した。
血の混じった唾液が糸を引く。
「エミリア、大丈夫?」
アーシュはエミリアの右手を見ると、自食の進行はかなり緩やかになっていた。
だが、まだそれが止まったわけではない。
「…………」
エミリアは恍惚とした表情でアーシュを見つめていた。
白い前髪の隙間から覗く瞳はとろんとしていて焦点が合っていない。
その赤い瞳はぼんやりとアーシュの顔を。
次いでその首筋へと視線を向ける。
「エミリア?」
エミリアはアーシュに答えない。
おもむろに口を開け、アーシュの首筋に────喰らいつく。
「────」
アーシュが痛みに声を上げるより早く。
エミリアは勢いよくアーシュの血を啜った。
瞬く間にアーシュの身体から熱が引いていき、力が抜ける。
アーシュは浮遊感にも似た感覚を味わって。
意識が遠退き、視界が白く光ったかと思うと闇に飲まれる。
アーシュが意識を失ったことで周囲を旋回していた剣がコントロールを失った。
それらは明後日の方向へと飛んでいく。
エミリアはアーシュの肉を食もうと。
その時、小さな黒い影が風切り音と共にエミリアに突っ込んだ。
それはエミリアの頭を強く打ち、そのまま彼女の頭に取りついて。
「嬢ちゃん! 目ぇ、覚ましな!」
アムドゥスが言った。
「…………」
「エミリア!」
アムドゥスがさらに呼び掛ける。
「……アムドゥ、ス?」
ぼんやりとしていたエミリアの焦点が合い、アムドゥスを見つめて。
次いで口の中を満たす、ぬるくて甘い鉄錆びの味に気付いた。
「気付いたかい、嬢ちゃん」
「……あたし、なんで」
エミリアは周囲に視線を走らせると、倒れたアーシュに気付いた。
虚空を見つめたまま動かないアーシュ。
その首筋の小さな、それでいて深い噛み跡に気付く。
エミリアはおぼろげに柔らかい肉の感触を思い出して。
「そんな、あたしが……」
「落ち着きな、嬢ちゃん」
アムドゥスはエミリアの視界に覆い被さって言った。
次いでアムドゥスが顔をあげると、その先には魔人の男が立っていて。
「父さんの……献身的な、愛。まさに家族だ。本当に家族って素敵……だね。母さん」
魔人の男はアーシュを見下ろしていた。
しゃがみこむとアーシュの艶やかな黒髪を手で払い、その頬を撫でる。
「アーくんに────」
エミリアは取り落としていたハルバードに手を伸ばした。
「触らないでっ!」
魔人の男目掛けて横薙ぎに払う。
エミリアの斧槍は床下から現れた骸骨の魔物の鎌に阻まれた。
「落ち着いて、母さん。このまま……だと。父さん、死んじゃうよ?」
魔人の男はアーシュの体を抱き起こして。
男の周囲には黒い靄がつらなり、そこから単眼の頭蓋と赤い鎌が姿を現す。
「身体を、弄るよ。血を吸われても平気な、身体に。血を……吸う代わりに、面倒を見るんだ。家族はそうやって、支え合って……きた」
エミリアは魔人の男の言葉を聞くと、彼の『家族』に視線を向けた。
次いでふるふると頭を振って。
「キャシー!」
エミリアはキャサリンに振り向いた。
「回復のスペルアーツを!」
キャサリンはエミリアに向かって首を左右に振った。
「悪いけど私は魔力切れよ。さっき『魔力吸収』使ってもうこれ以上のスペルアーツは使えないわ」
「……ま、まだ魔力欠乏の症状は出てない……! お願いキャシー!」
「ごめんなさいねぇ」
キャサリンは冷ややかな視線をエミリアに向けた。
「言ったわよね。私、無理はしない主義なの」
「そんな……」
エミリアは助けを求めてディアスに視線を向けようと。
「……大丈夫だよ」
だが魔人の男の声を聞いて、そちらに振り向いてしまった。
「大丈、夫。死ぬより酷い……ことはない。生きてれば……一緒に、いられるんだ」




