エマ・レイスとの接触
リズベット・オブシディアンは一旦退学となり、彼女の成長次第でベアトリズ・スーとして転入という形で復学する手配を整えた。
学園における三大勢力図は、大きく変貌を遂げた。
私の出現で白薔薇の会は崩壊し、エリーナも肩身の狭い思いをしている。
日頃からリズベットに対する仕打ちは上手く隠されていたが、私に関わったことで露見し女王として振る舞っていたエリーナは見る影もなくやつれていた。
あれだけ持てはやされ傅かれていたのに、波が引いたように一瞬で彼女の周りから誰も居なくなった。
そう、事実上干されたと言っても良い。
オブシディアン公爵も、日頃からのリズベットの虐待が明るみになったことで信頼は地に落ち、誰からも相手にされなくなった。
リズベットもといベアトリズを貰い受ける時に、その経緯を公言してはならないという制約は交わしていない。
私が吹聴したわけではなく、一部始終見ていた生徒が自発的に喋り、ウワサとなり尾びれ背びれが付いて、勝手に一人歩きしただけの話だ。
保守派の存在が減ったことが喜ばしいかと問われれば『否』と答えるだろう。
改革派の中には、過激な思想を持つアホがいる。
下剋上が悪いとは言わないが、貴族社会のルールを根本から変えるつもりはない。
私は、オブシディアンの代わりに足りうる人物にコンタクトを取った。
「ご機嫌よう、エマ・レイス嬢。同席しても宜しいかしら?」
「……どうぞ」
アメジストのような紫の瞳が、一瞬揺らめいた。
今まで会話も接触もしてきていなかったのだから、身構えられても仕方がないだろう。
「エマ嬢とお呼びしても宜しくて? わたくしのことは、リリアンとお呼び下さいませ」
「構いません。リリアン様、私に何か用事でもあるのですか?」
「あると言えばあるのかもしれないし、無いと言えば無いのかもしれない」
問答のようなことを唄いながら、肝心なことをはぐらかす。
エマの眼が、私の思惑を見抜こうと躍起になったところで話を本題に移した。
「わたくしとオブシディアン家のいざこざは、すでに耳に入っていらっしゃるでしょう?」
「ええ、今季の学園中の話題を掻っ攫う勢いでしたね」
独特な表現に、私はクスリと笑みが零れる。
そんなことを面と向かって言われたのは、初めての出来事だ。
「その後、彼女たちがどうなったのかもご存じの様ですわね」
「ええ、それなりには存じ上げています」
エマは曖昧に答えを返し、私の反応を伺っている。
慎重を絵にかいたような人物だ。
「単刀直入に言うわ。貴女に、エリーナ嬢の後釜になって貰いたいのよ」
笑みを浮かべて告げると、エマは怪訝そうな顔をした。
うん、この様子だとこの言葉の狙いまでは見えていないようだ。
「簡単な話、この国でのパワーバランスの均衡が崩れつつある。学園では、すでに崩れてしまっているけれども。保守派の神輿になっていたエリーナ嬢は件のことで失墜。穴を埋められるだけの人間がいない状態で、保守派の筆頭になろうという人が現れない」
「リリアン様に目を付けられるからですか」
「飲み込みが早いから話すのも楽で良いわね。貴族の柵がなければ、わたくしの部下に勧誘したのに本当に残念だわ」
「……それで私になれと仰るのですか?」
「命令でも強制でもなく、あくまで一個人としてのお願いよ。どんな事柄にもバランスが大切なのは、貴女のご実家がよくご存じなのではなくて? わたくしとしても、改革派筆頭貴族ではあるけれども保守派を潰そうなんて考えてないのよ。寧ろ、保守派も必要な存在だと認識しているわ。伝統を重んじることが出来ない人間が、改革なんて出来るはずがないでしょう。改革派なんて言っているけれども、実際のところ技術開発に力を入れているだけで、それに付随してよりよく働ける環境や安全な場所の確保などをするための整備をしているだけに過ぎないわ。それをどう歪曲して解釈したのか、改革派の人間の九割は保守的な考え方を捨てるという選択をしているのが現状なの」
「だから、抑止力が必要になってくると……」
私の言葉に、エマは少し黙り何か考えている。
卒業をすれば、レイス家の跡取りとして切り盛りしなければならない。
大半の政治的な事柄は男が担っているが、女性でしか出来ない仕事もある。
イーサント王国の歴史を振り返っても、一度均衡が崩れてしまえば様々な問題が浮上し内戦に発展した事もある。
改革派が活気づき、学園内で何を勘違いしているのか、大きな顔をして闊歩しているアホ達が多数大勢いるのだ。
保守派だけでなく、中立派からも不満の声が上がってもおかしくはない危うい状況にある。
「何故、私なんですか?」
「今の現状を正しく理解し、子爵と言えども貴女の実家に一目置いている貴族は多い。貴女自身が会長にならなくても、貴女の選んだ人が会長になれば良いと私は思っているわ」
「私ではなく、私が選んだ人間ですか?」
「そう。子爵を馬鹿にするアホな貴族令息は五万といる。立派な親の背中を見て育った子は、賢い者を囲いたがるものなのよ」
「リリアン様のようにですか?」
「そうね……。私の場合は教育して使えないと判断したら即切るタイプよ。賢くなくても使えるか使えないかで判断しているから、少し違うわね。対立がしたいわけじゃない。でも、仲良くしたいとも違う。不可侵条約のようなものを結びたいのよ。付かず離れず要らぬ衝突を出来る限り避けたい。お互い、学園生活を円満に過ごしたいでしょう」
畳みかけるように選択肢を提示しているが、実際には提示された選択肢は全て『YES』と答えるしかないため、最初から選択肢など無いのだ。
『NO』と答えれば、国が荒れることくらいは想像が付くだろう。
長い沈黙の後に、彼女は大きなため息と共に「是」と答えた。
「賢明な判断に感謝するわ。表立って手を貸すことは出来ないけれど、わたくしの力が必要な時はキャロル・チャイルド嬢を頼りなさい。彼女は、わたくしの数少ない友人ですの。お時間を取らせてしまって申しわけなかったわ。そろそろ失礼するわね」
保守派の友人を頼れと伝え、私は席を立った。
その数日後に、エマは私の友人と称したキャロルを白薔薇の会の会長に据えて再興を図った。
キャロルが私とも交流があり、友人であることから保守派の尊厳と地位がある程度守られる形となり、威勢の良かったアホ達は漸く今まで自分の仕出かした愚かさに気付いたのか、学園の片隅で縮こまって過ごしている。
ヘリオトロープの会からも追放され、他の会にも入れず孤立している様は滑稽だった。