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序章 「ファースト・コンタクト」

おねがいします。

昨夜からほぼ一日中続いた長雨は、漸く落ち着いて、今夜は星々や月が綺麗に見える。

紺色の絵の具を敷いたように広げられた夜空には、点々と星が散りばめられて、その一つ一つが多様な光の色と強弱を見せている。注目してみれば一つとして同じものはなく、もっと広い目で見れば、いくつかの星座が浮き彫りになる。

特に今夜はオリオン座がその輝きを増しているように思われる。


目線で星を繋ぎ合わせて、その形を想像する。全く先人はよく星と星を繋いで何かに見立てるなんてことを考えたものだ。

どことなく感傷に浸っていると、まるでその宵闇に吸い込まれるように、身体に浮遊感を覚える。

このままあの宙へと消えてしまえたなら、とは考えてみるけれど、それはそれで幸福とは呼べなかった。安寧に近いものはあれど、あそこはきっとこの地上以上に退屈だろう。


呆と立ち尽くして、一体どれほどの時間が経ったか、周りに意識を戻せば、誰も居なくなっていた。ついさっきまで忙しく雑踏が右往左往していたように思われるけど、俺はその中で何をする訳でもなく、こうして独り、ただ夜空を長い時間眺めていたらしい。

意識と行動が一致しない。帰りたいけれど、身体は戻ろうとしない。背には最近オープンした大型の商業施設が堂々と構えている。

その周りに目立つものといえば、市役所と宅配センターぐらいのもので、気軽に立ち寄れそうな場所は無かった。


しょうがない。そんなふうにしてついた溜め息は、白い煙となって浮かび上がる。例年に較べて寒さは比較的弱かった冬が終わり、季節は春に移り変わろうとしていた。

かく言う俺も一昨日高校を卒業して、春からは華の大学生、社会人……というわけでもなく、ただなんの宛もない、要するに引きこもりになってしまうわけだ。

そんなわけで、春が近づくこの感じはなんとも憂鬱である。


結局、何の刺激も、娯楽も、苦境もない人生だった。

一日という退屈な映像を繰り返し見ているような、薄っぺらい人生だ。きっとこのまま、特別な何かを味わうことなく死んでいくんだろう。

そう考えると一時期は気に病んだものだが、今は目先の不幸と退屈にしか目がいかず、そこまで先のことは……いっそどうでも良くなっていた。

かと言って、自殺なんてことをやってのけたい気持ちはなく、何もかもが曖昧なまま、のうのうと生きている。

友人にも恵まれていたし、自分に対してコンプレックスも抱いてはいない。

贅沢な悩みだろうけど、それが分かっているからもどかしい。


──────祖父が、死んだ。


幼い頃に事故で死んだ両親の代わりに、永らく面倒を見てくれた祖父がいたからこそ、自分の人生は充実していたと言える。

そんな祖父は丁度一週間前、持病が悪化して呆気なくこの世を去った。

身体が家に帰ろうとしないのもわかろうというものだ。きっと本能が拒んでいる。

祖父のいない家を、無意識のうちに拒絶しているんだ。だだっ広い家の中に俺一人。何をするのも退屈で、何が起こることもない果てのない空白。

人生の全てが白紙に戻されたような気分だ。マイナスもプラスもない、純粋な“ゼロ”。それが今の俺だった。


何年かに一度見ることが出来るスーパームーン。今夜はその日らしい。言われてみれば、としか認識できないが、たしかに満月は少し大きく、より輝いて見える。

月明かりは、俺の首からさがるネックレスを、静かに照らした。

銀の十字架は、祖父の唯一の形見で、祖父の遺言からこれを身につけることにした俺には、もうこれしかすがるものがなかった。


ゼロを保ってられるのも今のうち。なんて風に考えてしまう。

きっとこれがなければ、俺は本当に、崩れ去ってしまうから ──────────



日付は三月十二日。最も、さっきまでは十一日だったが、こんなことをしている間に、すっかり日付までもが変わってしまったらしい。

祖父の葬儀等でドタバタしていて、疲れ切った俺の足取りは重く、ゆっくりと、家の真逆の方向へと運び出す。

あまり気は乗らないけれど、帰宅はもっと気が乗らないので、帰路に踵を返して、夜の逍遥を楽しむことにした。

夜風は涼しさを帯びていて、俺の陰鬱を少しだけ気軽にさせる。


伽藍堂の夜に俺の足音だけが響いて、ふと立ち止まってみれば、真夜中の空気は病的なまでに静かだった。ほんの少しの違和感を抱きつつ、その足を進める。

存在するものといえば、頭上の星と月、そして吹き抜ける夜風ぐらいで、あとはひたすら闇。街の電飾もみんな死んでしまっている。

時刻の確認も含め、携帯の電源を入れると、久しぶりの人口の光に目が眩んだが、やっぱりもうかなり遅い時間らしい。


通知を入れてある著名人のブログの更新情報と、政治の不祥事のニュースが届いていて、何となく指をスワイプさせていると、妙な見出しが視界に飛び込む。

“連続怪奇殺人事件”

アニメや漫画にありそうな、詰めれるものだけ詰め込んだようなタイトルだ。連続で、怪奇で、しかも殺人事件らしい。

ゴテゴテした題名に、別の意味で目が眩んだ。


とはいえ何となく気が引かれた俺は、そのニュースを読んでみることにした。ぶつかる心配もないので、歩きながら読み進める。

どこかのライターが書いた回りくどい文章が、余計に怪しさを加速させる。

まぁ、大まかにいえば、内容はこんな感じだろう────


三週間程前から、連続殺人事件が跋扈(ばっこ)している。遺体はどれも人間による犯行とは思えず、胸の中心から左寄り、つまり、心臓の辺りの肉が、()()()()()()()ように血肉が乱雑に散らばっていて、助骨はボロボロに崩れていたらしい。

遺体から心臓を確認できないため、心臓を捕食したと考えられており、獣の仕業ではないかともされているが、それにしてはあまりにも規則性があり、そもそも事件が連続して起こっている地域はどれも自然からは離れた住宅密集地なので、獣そのものの気がないという。


まぁまとめてみればまとめるほど、気味が悪く、にわかに信じ難いような事件である。俺はと言えば、やはり獣の仕業か何かでは、と考えたが、その考察は呆気なく否定される。


“事件は、俺の住んでいる地域で起こっている。”


大都会、という程ではないが、大抵のものは揃っているし、緑よりもビル等の人工物の割合の方が多い。俺はさっきも言ったように、ここ最近忙しかったので、祖父が死んだ時期とほぼ同時期に起きた事件のことなど知る由もなかった。


ならば、この異様な夜の静けさも、説明がつきそうなものである。

人は皆、その“何か”に襲われることを恐れて、外出を控えていたり、足早に帰ったりしたのかもしれない。そうして何も知らない俺だけがこうして取り残されたのであれば、辻褄があうというとのだ。残念ながら。

事件は、夜に起こるらしい。


背筋が軋む。悪寒が全身を伝い、本能が警告する。

これ以上外にいるのは危険だ。胸騒ぎ、虫の知らせというやつか。

十字架のネックレスを握りしめる。祖父の加護紛いなものを期待して、是が非でも家に帰ることにした。

決心してからの行動は早く、気付けば家まで必死に走っていた。

みっともなく、不均等な吐息を撒き散らしながら、体中の震えを理性で押さえつけて。


誰か、誰でもいい。誰かいないのか。

誰かをみて楽になりたい、安心したい。誰か、誰か───

誰かが、角を曲がった。


いた……!俺は自分でも分からない内に、目的と願望が入れ替わっていた。未知の恐怖と不安と寂寥に苛まれた俺は、その誰かの背中を追いかけてしまっていた。

急げ、急げ!急げ!!


果たして、その角を曲がったが、そこには誰もいなかった。

コンクリートの壁が行く手を塞ぐ。何も無い、ありふれた行き止まりだった。

……何も無いけれど、思わず鼻をつまんだ。あまり嗅ぎなれない異臭がたちこめていたからだ。嗅いだことがない、というわけでもなく、そう、腐った肉のような匂いだ。

この辺りは住宅街だから、そういう匂いがしても、不思議というわけではないのかもしれないけど、何だか気味が悪くて、とりあえずここを離れることにした。


鼻腔にまだ若干あの臭気が残っている。不快感と倦怠感で疲弊した身体は余計に重くなり、気分転換に光る夜空を仰いだ。

「綺麗だな……」

思わず声に漏らすほど、今日の月はやはり美しい。

暫く見蕩れていると、一瞬強く頭が痛んだ。


直後、輝く満月を、横断する何かの影が写り込む。

飛んでいる、というより、翔んでいる、何か。

あろうことかそれは、人の形をしていた。

家に帰ることも、人を探すことも完全に失念して、その影を追いかけた。

純粋な興味だけで、影の翔んだ方を追いかける。


その影がどこに行ったなど知るはずもないのに、ただ無心に突き進んだ。探求心はもはや制御が効かず、自分の知らない道に出ていても、構わず走り続ける。

酷く盲目的だ。自分は確実に良くない方向に進んでいる。

頭の中を空にして、出鱈目に角を曲がりながら、止まることを忘れてしまったかのように、追い求める。


夜風に煽られる度、崩れそうになる意識を押さえ込み、朦朧とした足取りでも尚追い続けた。

けれどもう、気がついた時には……長い歩道橋の上で、ついに倒れ込んでしまっていた。


元々運動不足のくせに、よくこんな知らない街まで走り切ったものだ。下の広い道路にも車の通りはなく、冷たいアスファルトの上で、ただただ終わっていた。

夜の冷気を顔面に味わい、視界は朧気になる。単純に力尽きたらしい。馬鹿か俺は。


吐き気、目眩、頭痛、あらゆる症状を落ち着かせるために、薄れた意識の中でも深呼吸を忘れなかった。筆舌に尽くしがたい苦しみから、一刻も早く解放されたくて、涼しい空気から活力を搾取する。

馬鹿な男の吐息は、蜃気楼のように当たりをぼやかして、浮かんでは登って消えていった。

もし今、連続殺人事件の犯人なんてものと出くわした暁には、俺の肉なんて抵抗する間もなくズタズタに食いちぎられるだろう。

無防備で、無気力な俺は、自分の脈を整えるだけでも精一杯だった。


そんな時、前方から何かの足音が聞こえた。

人間のものとは想像し難い。なぜなら、靴の音ではないからだ。肉が直に地面を伝う音。つまり、獣じみた足音であった。

距離を詰めるように、じっくりと近づいてくる。死神のような気配。俺はきっと─────ここで死ぬ。

寒さも相まって、自分の終わりを想像した途端、身体が小刻みに震えだした。それを止めることも出来ず、整いかけた脈はまた狂ったように乱れだす。


せめて、せめてその姿だけでも、足音の主の全貌だけでも視界に収めようと、余力を振り絞り、面を上げた。

ピントが合わず、ぼけた風景が徐々に輪郭を取り戻し……俺は絶句する。

人だ。女の人が、目の前で俺を見下していた。

月を横切った、あの影の正体だ。俺は根拠もなく確信した。

彼女は不思議という概念そのものを纏っているような、謎めいた雰囲気に包まれていた。


玉のように透き通った白い肌、身につけているのは、赤い花弁が所々にあしらわれた丈の長い白のワンピースのみで、靴は履いておらず裸足であった。見た目的には、俺と同年代くらいの少女で、どことなく外人のような顔立ちをしている。


それがまた絵に描いたように整っていて、一種の才能に近いような美貌を突きつけられる。

夜の闇にくっきりと浮かんだ妖精のような神秘と、妖艶なまでの身体の瑞々しさが、視線を奪い、拘束して離さない。


夜空をそのまま写したかのような紺色の髪は、肩口ほどまで伸びていて、風に流れる様は、どこまでも冷たく、切なかった。

総合して、この世に存在していること自体が奇跡のような美しさに目が眩み、先程までの恐怖も、興味も、全てが白紙に戻され、空っぽのままその少女を見つめることしかできなかった。


少女は笑う。その微笑はどこか、嘲りに近いものを含んでいた気もする。

いや、違う。例えるなら、イタズラをした子供のような、純真とほんの少しの悪意が混じったような笑みであった。

……俺は、今ようやく気づいた。


彼女のワンピースにあしらわれていたのは、赤い花弁などではない。

生々しく、鮮やかな、強烈な赤を放つ、血だった。

背筋が一瞬で凍結した。体の芯まで凍てつき、言葉も、感情も、表情も、何一つ外に出せず、石のように固まってしまった。


彼女の瞳は紅い。釣り上がる口元から除く歯は、八重歯が異常に鋭利であった。こんな、馬鹿な話があるか。

これじゃあまるで……“吸血鬼”みたいだ。


街灯は焦り出すように忙しく点滅し、風も慌てて強く流れ出す。

全てが逃げるように動き出し、全てが逃げるように俺に告げる。

冷淡な瞳で、紅く染った瞳で、俺を捉える。

爬虫類のような瞳だ。楕円形の蛇目から、純朴な殺意を感じる。

『いまからお前を殺す。』

はっきりとそう告げられた。その殺気が、はっきりとそう告げたのだ。


─────彼女の手が、指先が、俺の凍った首元に触れる。温度はまるで感じない。彼女はおもむろに腰を低くして、その殺意と美貌が完璧なバランスで混在する顔をゆっくりと近づける。

肌と肌が触れてもおかしくない距離で、彼女の息が顔にかかる。

その吐息だけは、少し温かった。甘い匂いがすり抜けて、意識が飛びかける。


何も出来ずにただその瞬間を待つ俺の目を、彼女はもう一度見据える。近くで見れば見るほど、おぞましいものだ。

吸血鬼なんて、小説とか漫画とかアニメとか、そういう世界の話だろ……!

どうしてこうなったかなんて振り返るまでもなく、馬鹿みたいな興味の一心で、ここまで追いかけた俺が愚かだった。

全く。全部自業自得じゃないか。同情の余地もない。


首元の衣服を撫でるように剥がし、俺の顔のすぐ横まで、彼女の頭が来た。間近で見て気付いたが、耳も尖っているようだ。髪はやはり綺麗で、叶うことならすこし触れてみたかった。

何を呑気なことを考えているのか、自分でも呆れ果てる。

どういう訳かもう、気持ちが安心してしまって、身体が固まった、というより、力が全く入らないだけの、だらしない状態になったようだ。


自分の肩まで視線を落とすと、今まさに、彼女の歯が、俺の肌に刺さったところだった。注射に似ているけれど、もう少し痛いぐらいの、一瞬の痛覚が終わると、それから程なくして、意識が遠のき、視界はもう、真っ暗に暗転していた。


──────俺は、呆気なく死んだ。

がんばります。

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