プロローグ:事の発端
ここは協会警察。
魔物を討伐するために作られた魔物討伐協会の中にある、霊力を持つ人間が犯罪を起こした場合に取り締まる部署である。
魔物を討伐するために鍛え上げられた霊能力者の犯罪は霊力のない人間では力が強すぎて取り押さえることができないのだ。
「がーっ!!! 在庫が! 在庫がぁー!」
倉庫で悲鳴が上がる。
「またか」
「またですね」
倉庫にあるはずの霊札がないのだ。相手が霊力者のため護身用にと容疑者や関係者と接触するときには結界札と身代わり用の札を持っていくのが通例なのだ。
「最近多いですよね? 札師の方、また納めていないのですか?」
「いや、協会に属する札師が1人減ったんだ」
先月まではこんなに悲鳴が上がることはなかったのに、と年若い職員が首をかしげる。
「そうなのですか? でも、1人でしょう?」
他にも多数いるはずなのに? と。
「その1人が7人分くらいの枚数を卸してくれていたんだ。しかもその担当が札の代金を横領していたから生活に困って協会から月影会に逃げ込んだ。もう協会はこりごりと言ってね」
中年の職員がため息をつきながら聞き覚えのない言葉を言った。
「? 月影会、ですか?」
「ああ、月影会ってのは反政府・反協会組織だよ。
……昔、霊力があるとわかったら誘拐同然に連れてきて無理やりハンターにしていた頃の被害者団体を母体にしている。
まあ、今も霊力者が発見されればハンターになるように圧力はかかるし、搾取された被害者が逃げ込むことには変わりないか」
魔物が公式に確認されて51年、協会ができて40年、ほんの十数年前まで発見された霊力者は拉致されてハンターを強要され、断れば家族や友人を人質にされた。しかも怪我すれば治療もされず使い捨てだったのは広く知られており、該当者やその家族は逃げ回っては捕獲されていた。
それが一変したのは15年前の月影会による征華学園襲撃からである。征華学園は1級・2級市民の子弟のみが通える超名門学校だ。そこを襲撃されて百数十人の死傷者を出したことで上級階級にハンターになることを強制された者たちの怒りが協会の力では抑えられないことを知られてしまった。
甚大な被害を出した協会の上層部は締め付けを厳しくしたが逆効果になり、慌てて融和政策に切り替えることにしたのだ。だが、遅きに失した対応は13年前と8年前、2年前にも襲撃を受けて非難を浴びた。
現在の社会は魔物の出現した折に民主主義では対策が遅いと批判を浴びた挙句、物資不足が深刻化して国家破綻を起こしてしまったがために階級社会に逆戻りしている。
最上位に位置する政策議会に参加できる1級市民、その議論を補佐できる高級官僚や学者と一定以上の税を納める高所得者の2級市民が支配階級となっている。その下にほとんど差はないが公務員や企業の幹部などの3級市民と一般市民である4級市民がいる。
ちなみに50年前から増え始め現在は約7人に1人と言われている霊能力者は、ハンターや札師などの分類ごとにランクがあり、そのランクによって階級が変わってくるのだが。
協会5階、第三会議室にて―
「では、始めましょう」
そこには十数人の幹部たちが集まっていた。
「先日、月影会に逃げ込んだ札師は未だ発見には至っておりません。件の担当は他の札師にも同様に圧力をかけていたようで、声をかけられたものは彼以外全て協会の札師を辞めてハンターチームに所属するようになっています。
現在担当と見逃して利益を得ていた上司は全財産没収の上霊力吸収の刑になっておりますが、あまり霊力がないので被害分には到底足りません」
「札師の技術を持つものは貴重だ。それを使い潰すとは……」
それぞれに頭痛がする、とでも言うように苦虫をかみつぶした表情になる。
「このままでは協会の活動にも支障が出る。
ただでさえ札師は数が少ないというのに……その性質から隠者のように研究に没頭するものが多く札を卸してくれるものも少ない。
これは前々から議題に上がっていたことを実行するべきだと思うがね?」
初老の男が発言する。
「ああ……。若く将来有望な札師に現場の苦労を知ってもらい、研究に没頭しても札を供給してもらえるようにするという企画か」
上座に座る中年の男が思い出したように呟く。
「確かに他の案がない以上、試してみるのもいいと思いますがね」
「今、札師候補の該当者は?」
入り口に控えている男は
「札師コース最高学年の7年生は4名ですが中級札を書けるのは1名のみです。他が書けるのは下級の札のみですし、卒業札はギリギリ間に合うかもしれませんが……今後上達しても上級札の書ける見込みは薄いかと推測されます」
と返答した。
国家破綻後に義務教育は短縮され、初等教育が4年、中等教育が4年となっている。
霊力者は中等科から協会の学校に入学し10歳から17歳まで7年間の修行を積む。順調に卒業すれば義務でない高等教育の卒業と同じ年齢だ。その後就職するかハンターとして独り立ちするか専攻科に入る。
勿論、飛び級制度もあるが一般教養の授業は基本的に飛び級なしで学年ごとに受ける。
「下級の学生から始めるとするか?」
「だが、中級札を書けるものは少ない。逃すには惜しい」
札師コースは希望者が多いが基礎科からの進級時に基礎札が書けることが入る必須条件としてほとんどが落とされ、中級の卒業札が書けるようになることを卒業の目標としている。この卒業札で約半分が落とされて補講科行きになるのだ。
中級札が在学中に書けるものなど3年に1人いれば良いほうである。
「しかし、現場で揉めて協会から離れられても困りますな」
「それはそうですが」
「議長、何故か後方支援の専攻科に通う札師で最近札を卸さなくなってきたものがいます。その辺りから試してはどうでしょう? 上級札も書けるようですし、目が覚めれば使えるかと」
末席の一人が手を挙げて発言した。
「ふーむ」
「上級札が書けるのであれば多少時間にも余裕があるでしょう。持つ者の義務だとでも言えば本人にも学校にも融通が利くのでは?」
議論は長時間続き、結局のところ金の卵を手放したくないと企画を試してみることになった。
『 討伐専攻科 後衛ハンターコース 3年 清水忍
上記の者、協会警察にて10か月の実地研修を命ずる。
魔物討伐協会 学院院長 斎藤勘助 』
「…………は?」