序章:ある老婆の遺言
世界に異変が始まってから35年を一般人として生きてきた老婆の回想。
あれは初孫が小学校に入った翌年の事。
最初に異変があったのはどこだったか。巨大な魔物が出現した、いくつもの街や村が破壊され消滅したとテレビで放送されていた。
次は確か大陸の方。強力な魔物が複数現れてどこの国も逃げ惑っているとか報道されていた。
それから疫病の大流行が始まった。2か月足らずのうちに人口が急激な減少したために各地の行政機関が機能しなくなり情報が錯綜してその後の細かい動向は分からなくなってしまった。幸い日本は高齢者を中心に5分の1程度が減少したが、他の国々よりもずっと被害が少なかった。
その間に南の大陸は巨大魔物が暴れたせいで大陸が約3分の1にまで小さくなってしまったとか。
結果的には疫病と魔物の双方から打撃を受け、他にも強力な毒素が噴き出して人の住めない毒の大地となってしまった場所すらもある。
原因についてはいろいろと説が流れたが判然とせず、ある宗教団体では神の怒りだと祈りを強くし、ある集団では人の仕業だと敵対する国や宗教を攻撃し、そのまま戦争へと発展したことも多々あった。
そんなこんなを繰り返しながら諸外国の情報はほとんど入ってこなくなった。
世界中で起こる異変は私たちの生活を劇的に悪化させた。
食料自給率?
衣料自給率?
輸入品を原材料とする製品?
そんなものは知らない。
ただ、当たり前に手に入っていた物が熾烈な争奪戦に勝ち抜かなければ手に入らなくなってしまった。
息子は外資系の企業に勤めていたため失業し、嫁は資材不足でパート先が倒産した。
幸いにして夫が定年後始めた農園で我が家が食べていく程度だけは作物ができた。
そのうち日本でも魔物が出現し始めた。
最初は小さかったが、報道のたびに少しずつ大きくなっていった。
ある日魔物が出るのは外法師の津田征也のせいだという報道がなされた。
それを言ったのが大臣だったこともあったのだと思う。
きっと何かに縋りつきたかったのだろう。
私たちは、いや日本中の皆がその報道に飛びついた。
彼さえいなくなれば、元通りの生活が送れるようになると。
そうでなくても苦しみの矛先が欲しかったのかもしれない。
異変が起き始めて半年、私たちの心は変化に耐えられず荒廃しきっていた。
そうして私たちは日本中で彼を責め立てた。
彼は何も反論しようとしなかった。
しつこく何かを言わせようとする報道陣に向かって彼は、
「では皆さま、さようなら」
一礼をして足元から砂が風に舞うようにサラサラと消えて行った。
呆気なかった。
だが、狂喜した。
狂喜したのもつかの間、さらに強い魔物が発生した。
それも各地で、より強力に、より多く。
誰もが思った。
どうして?
何故?
脅威は去ったはずなのに、と。
でも違ったのだ。
専門家、と言われる者が直撃インタビューで答えた。
うるさそうに、うっとうしそうに
「津田君がいればこんな酷くはならなかったのに」
と。
「彼がいたから日本はあの程度で済んでいたのに」
と。
「どうして何も言ってくれなかったんだ!」
と憤る者たちに対して
「私たちはきちんと警告したわ。聞かなかったのは貴方達じゃない」
と呆れられた。
件の津田征也氏が消えてから、魔物の出現は増加の一途をたどり疫病の流行も止まらなかった。
専門家は魔物を退治し邪気を抑え頑張ってくれたようだが、それでも恐怖と不安は人々の生活に付きまとっていた。
津田氏の加護が戻ってするように、あわよくば津田氏本人がこの世界に帰って来るようにと、祈りを伝えるため各地に津田神社が整えられた。
それから数年して、疫病が落ち着いた頃には日本の人口は異変が起こる前の4分の1足らずにまで減少していた。
魔物は個体数と威力を増しながら出現し続けていた。
そのころには空も海も魔物の脅威にさらされ各国の港と空港が破壊されて使用できなくなったことから、国外への移動手段も連絡手段も失われていた。
諸外国との貿易で産業や輸入を失った国は失業者や魔物による多大な被害に耐えきれず、ある日とうとう国家破綻をしてしまった。
誰かが声を上げた。
「専門家だけだは数が足りない」
「魔物を倒す組織を作ろう」
そうして、津田征也氏が消えてから5年目。
魔物討伐協会が設立された。
魔物討伐協会が設立されて、ようやく津田征也氏が実際に何をしていたのかを知らされた。
津田氏はダンジョンを設立して、魔物が発生する原因である邪気を浄化していたのだ。
当時、警察庁捜査霊課が管理していたそのダンジョンは魔物討伐協会に貸し出され、魔物を討伐することのできるハンターの養成に使われることとなった。
津田氏が姿を消して、もう35年になる。
息子も夫も瘴気と病によって亡くなった。
最愛の孫息子すらも魔物に殺されて亡くなった。
私の血を引く最後のひ孫よ。
どうか生き延びておくれ。
ごめんね、さようなら
そして老婆は永い眠りについた。