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枯凋

作者: 錦戸 繋

この頃の振り幅は、特に酷い、大きなものだった。これは、昔からの変わらぬ、私の性質であり、情熱的な自分と恐ろしく自己を嫌悪する自分とが、私の内にはいた。

情熱的である時は、頻繁に外出をしたり、何か新しい物事を始めたり、よく口をきいたりした。また反対に、鬱々としている時には、酷い自己嫌悪と戦わねばならなかった。その中心というのは、無かった。

最近になって、私は双方を、狭い間隔で往来するようになった。

今は、寝転がってこんな文章を綴っているのだから、憂鬱な方の私であろう。今日はとても寒い。多分、それも手伝って、私を憂鬱にしているのだと思う。これは私にも理解のし難い現象であった。今まで、こんな事はなかったのである。一日で両方の私になった時もある。

私は困惑していた。

黙々と流れて行く時と、老いてゆく身躯とに、私の精神は追いつく事が出来ずにいる。ただ、じっとそれ等の背中を、見詰める他なかった。



私はある時から、学校へ行かなくなった。学校は退屈であった。無事に高等学校まで進学したものの、入学試験に及第した時が、運の尽き。

それの気に食わぬは、例えば教師だった。私は教師を一人間として見た。これは非常に拙かった。突如として現れた、一人の、大人の人間に、一体どう接して良いのやら。教師は黒板の前で教科書を読むだけのものだと、私は思っていた。私は彼等の人間臭さに辟易してしまったのだ。それに、妙な虚栄心のある私は、人に教えを請うのが、嫌でみっともない事に感じられた。

これは何と阿呆な子供だろうと、きっと教師も呆れ返ったに違いない。今、自ら思い出してみても、顔から火の出る程恥ずかしい。

また、一つは友情であった。教師の話でもお分かり頂けるように、私は人付き合いが、極端に不得手なのである。周囲の華やかな若人達と、流行りも知らぬ言葉も分からぬの私と、何故釣り合いがとれようか。それは自分の、早合点であったやも知れないが。

私は学校において、居場所を見いだす事が出来なかった。つまり、私はあまりにも阿呆で、馬鹿であった。とどのつまりに、私は高等学校を中途退学してしまった。

それから新しく学校を探した。通信制の、無理なく通える学校である。母の哀願に私が折れた。入学し、面接をした。内容は覚えていないが、やけに引き締まった心持ちだったのは覚えている。然し私は、ちっとも通わないでいた。家で読書ばかりをして過ごした。江戸川乱歩の全集を買い込み、耽読していた。気に入りは、「人でなしの恋」。

家にいて気詰まりな時は外へ出た。

親も私も「何やら沢山のものを、諦めてしまったな」という気がする。事実そうであったろう。

それでも、たびたび私は情熱的になった。読んだ本の内容を、滔々と、他人に話して聞かせたし、沖縄の三線という楽器も始めてみた。上々である。日向は特に好ましい。陽のよく当たる畳の上で大の字に寝て、何時間もそうしていた。情熱的な私には、ほんのちょびっと、些細な出来事も楽しく思える。幸福でしょう。

幸福の後には何がある? また幸福か? 真逆、そう都合の良い話があるものではない。幸福の後、待っているのは、身悶える程痛い、チクチクする苦痛である。情熱的な私はいつも、この苦痛が来る事を知らないでいた。いや、忘れていた。忘れる度に、辛苦は拡大していった。

まったくこの世に、これ以上につらい思いが、あるものだろうか。

自己嫌悪

私は自己嫌悪を持っている。

全てにおいて、自分は間違っているのだ。何とまあ、大それた事を、口にしたのかしら。二度と口をきく気もしなかった。それは、他人が、私を嘲る為ではないのだ。私など、笑ってくれる人も皆無であろう。笑え笑え、笑ってくれ。ウフウフウフウフ、ウフフフフフフ……。

私は大きな罪悪なのではなかろうか。



私には一人、友がいる。気のおけぬ間柄である。然し憂鬱な私は、それを、親友だとは呼べなかった。私の心持ち次第で友は、かけがえのない人間にも、ただ鬱陶しいだけの一人の人間にもなり得た。

「君は、よく本を読んでいるね。一体、何をそんなに、熱心に読んでいるの」

ある日、友が言った。

私は憂鬱である。

「ウン、読むよ」

「それじゃ最近読んだやつで、一等だったのはどれだい」

「ウン、それはねーー」

仕方なく友に、大まかな話の筋と、感想とを話してやった。友は、ヘエだとか、フウンだとか可笑しな返事を寄越すばかりで、聞いているのかすら疑問であった。

「その女の子と男の子は、恋仲であると言ったっけネ」

本には女の子と男の子の、登場人物があるのだ。

友は私と、齢が一桁の時分からの付き合いがある。よく笑う奴であった。今頃どうしているかしらん。友が笑えば私も笑った。同時に、私は歯ぎしりもした。友の笑い声を聞いて、何故、歯ぎしりをしなければ、やりきれなくなるのだろう。私は笑いながら、心の中できりきりと、厭な音で歯ぎしりをする。

「ウンーーいいや、そうじゃないよ。でも、そうかも、知れない。二人の微妙な位置を理解するには、先刻よりもちっと説明がいるよ」

もう、友の態度と自分の言葉足らずとに腹を立てて、先を続けようとはしなかった。友がぽつり、

「君がそうしたいだけなんだろう」

きっと気付かなかったろう。私は友の言葉に憤慨した。後にも先にも無い程の、憤りを感じたのである。喉まで何かが込み上げてきて、私は、叫びだすかと思われた。

「君がそうしたいだけなんだろう」

これだけ。一行を満たすことも出来ぬ短さ。疲れているのだ。私は大いに閉口し、だのに目だけを、大きく見開いていた。悔しくて堪らなかった。泣き出してしまおうか。いっそ、泣き出してしまいたかった。

その日は絵を描いた。友も描き、私も描いた。真っ白な紙に、ぐちゃぐちゃと、汚ない線をのせてゆく。二人で見合い、「下手くそ」と言っては、笑っていた。



散歩にでた。表通りは気に食わぬ。自己主張の激しい、ビカビカ光る看板もいけなかった。空に見惚れて歩いた。風も雲も無し。どこまでも延びる青天井の、本当の果てしなさ! 私は、人気のない道へ入って行った。


山が見える。濃い霧を纏っており、うまく形はできていないが、あれは山であろう。山に登ったことはない。山とはあんなにも、小さなものなのか。山には神がおわすと言う。神様には、ちょっと狭いんじゃないかしら。でも、あれは中々美人。結構、結構、である。霧は道を湿らせていた。道には、哀れにも車に轢き殺されて臓物の飛び散った、蛙の屍体があった。

九州のどこかーーどこかも知らぬーーは、母の故郷である。私の従兄弟がいた。叔母だとか、叔父だとかもいたはずだ。今はもう、名前しか覚えておらぬ。思い出は霧散してしまった。私は母に連れられ、何ヶ月かを九州で過ごした事があった。私がまだ、小学校に上がる前だったと思う。

田舎の家には祖母がいた。祖母のつくる味噌汁が、無性に好きであった。味をはっきりと覚えている。仄かに甘く、さつま芋の味がするのである。それは毎朝でてきた。

人見知りの激しい私は、親戚の殆ど、祖母にもあまり近づかないで、母の足にしがみついてばかりだった。私がそれより幼い時分、祖母は大層、私を可愛がってくれたらしい。片時も私を離さなかったそうだ。嬉しいというより、薄気味の悪かった。祖母は他人と同様に、馴染みの無い人であった。こんな事を書いて、ああ、御免なさい。

ある日、祖母は何やら見慣れぬ物を持っていた。何であろうか。母に尋ねる。

「あれは、マゴノテ」

マゴノテか、ふむ、名前はわかった。が、使用方法がまったく想像のつかない。私は祖母に直接尋ねたくはなかったので、再び母に尋ねた。

「なににつかうの」

「婆ちゃんに、きいてみい」

母は答えてくれず、代わりに私の背を叩いた。

私は顔をしかめて母に訴えたが、母は無責任に、私をそのまま、奥へと引っ込んでしまった。暫くもじもじとして、その場から動こうとしなかった。泣きたくはならなかったけれど、いやに緊張して、心臓が脈打つのを感じた。

結局、私は黙ったまま、祖母のマゴノテを手に取った。思っていたより軽かった。

「どうしたの」祖母が言った。優しい、母性に溢れた声で。

私は震え上がった。息が詰まり、頭は雑音で支配されてしまった。音と音がひしめき合っている。私は慄き、一秒が、一分にも三十分にも、一時間にだって感ぜられた。多分、い、きっと祖母は怒ってなどいなかったに違いない。祖母の言葉を皆まで聞かず、私はマゴノテを放り投げて、祖母から逃げた。逃げても逃げても、安心できぬ。今に捕るぞ……逃げて逃げて、蛙の肉を踏みつけて、死に物狂いで走っていった。気が付けば、夜。隣で寝る母の寝息が、そっと聞こえた。他には何も無し。

その翌る日、朝食には矢張り味噌汁があった。いつもの事だ。たいへん美味であった。

暫くして祖母は亡くなった。



消えてしまえたら、どんなに良いだろう。死ぬのではいけない。駄目である。私が見る死の夢には、常に現実が伴っている。

第一に迷惑である。死後、金もかかる。両親は悲しむだろう。友は私を罵るだろうか。場所は、方法は、色々な事との折り合いは……云々。馬鹿らしい。


死んではならぬ。消えなければならぬ。初めから無かったように、誰にも知られず、こっそりと。必ずいつか、消えてしまおう。それができたならば。

馬鹿らしいったら馬鹿らしい。何を書いているのだか、自身も分からぬ。読み返すのも億劫だ。もう、いたずらに用紙を汚すのは、止してしまいたい。然し、あと少し、



私はある日、私物を全て処分してしまう。残るるは一着の着物と、数冊の本、ペン、紙。母に如何した尋かれても

「セイリセイトン」

とだけ言う。父にも同様。何食わぬ顔で飯を食って、床に就く。そして、日が照り出す前に、僅かな荷物を持って家を出るのだ。京都だか何処かへ行きたい。金は無いから、歩いて行こう。途中で腹が減って、倒れてしまう。ウーン、腹が減ったナア。などと呟いてみるが、母の料理も祖母の味噌汁も、もう無い。遂には死んでしまった。

書かせてくれ、ね。読むのを止してしまっても構わない。ここまで、退屈だったろう。

死の瞬間を思うのが、私の楽しみの一つなのである。家族にも友にも打ち明けず、たった一人で死んでゆく。これ程甘美な、想像があるか。

馬鹿にしているね。それで良いのだ。死にたいのなら死ねと、突き放してくれたら、どんなにか嬉しいことだろう。君が罪悪を感じる必要はない。自分くらいは、背負えるはずなのだ。馬鹿にするのはいいが、甘く見ないでくれ給え。


私は焦りを知らぬ。どうにかなると、昔からの口癖が、それだった。

「試験は」と、母。

「どうにかなるさ」と、私。

「遅刻」と、友。

「どうにかなるさ」と、私。

「将来」と、父。

「どうにかなるさ」と、私。

「どうにもならなかったよ」

「そうだね。でも、いいじゃないか。先はあるのだ。今が駄目でも大丈夫だよ。なに、そう言う根拠か? 根拠は、特にはないけれど、元気に生きているなら、きっと大丈夫」

どうにかなろうと、ならずとも、どちらでも構わないのだ。そんな態度でいた為に、こっぴどく叱られたのも、一度や二度では、ないのだけれど。


焦燥。


無気力と、懈怠と、自棄で私はできている。生活を営んでいく上での欲ーー食欲だとか、そういったものだーーですら、持ち合わせていなかった。友が一度、心配したのかパンを一つ、家まで持って来てくれた事があった。私はそれを食って、腹を壊した。

知らぬ合間に死んでいる。羨ましくて仕方がない。

もう少しだ。本当にもう少しであるから、ここまで来たのだ。ええいままよと、どうか読了して頂きたい。


もし、叶うことならば、切に願っている。然し兎に角、今すぐにでは無理であろう。大切にしたい物もあるのだ。嗤うかい。嗤ってくれ、それでも私は、大切な物を手放そうとはしないだろう。どうにかなろうと、ならずとも、死ぬ算段のつくまでは生きる心算だ。

外をご覧。雪が降り始めたよ。


ーー二○十四、十二月(日)ーー

こちょう[枯凋]( 名 ) スル

草木が枯れしぼむこと。また,物事の勢いが衰えること。 先立つ状態よりも劣っていること。徐々に劣っていく過程。

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