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第8話(友人)

 

 翌日、アレグイルはさっそく心許せる数少ない友人を呼び出した。

 日差しはまだ明るいものの影が長くのび陽が暮れようとしはじめる頃。


「バルデス・ファンテルグ様がいらっしゃいました」


 女官の声の後、がっしりとした体格で髭面男が室内へと入ってきた。紺色の上着を羽織ってはいるが少々着崩れた様子の彼は、アレグイルとさほどかわらない若い青年である。

 彼はこの国でも有数の貴族子息であり、将来の王太子側近候補でもあるのだが。

 身なりにルーズなところがあり、いつも服装のどこかが歪んでいたり整っていなかったりする。そういった服装で王宮を歩いているため、現側近達にはよく睨まれている存在だった。


「遅れてすまん。珍しいな、お前が急に呼びだすとは。なんだ、ネセインもいたのか」


 室内にはすでに到着していたネセイン・ワーナートがカップを手に茶を飲んでいた。バルデスと同じくがっしりとした骨格の上に筋肉がついており、より大きな体型だ。騎士姿ではあるが、場所が場所であるだけに、剣を携帯してはいない。扉に配置された警護騎士が彼の剣を預かっているのだ。

 ネセインは、すっきりとした顔立ちに真っ直ぐサラサラとした髪を後ろで一つにまとめて縛っている。几帳面な性格なのか、乱れはない。

 ソファに腰掛ける姿は、その体格に似合わずどこかこじんまりとした印象を与える。


「いつもながら遅いな、バルデス」


 呆れた口調でネセインはバルデスに言葉をかけた。が、咎めているわけではない。

 ネセインはアレグイルの警護にあたる騎士であり、今は非番だったため時間に余裕があった。だから、早めにやってきたのだ。

 一方バルデスは、側近達の下っ端として複数人から仕事が与えられるため時間の融通ができそうでできない。意外に忙しい男だった。


「悪い悪い。で、アレグイルは?」

「ああ、ここだ。急に呼んですまない」


 バルデスがきょろきょろしていると、部屋の奥からアレグイルが姿を現した。

 それを見つけると、バルデスもソファへ腰をどっかと降ろした。あまりに乱暴に動いたものだから、その拍子に埃が舞い上がった。

 ネセインはそっとカップに手をかざした。茶の中に埃が入るのを防ぐためだ。眉を寄せて隣の男を睨んだが、それに気付くような輩ではない。

 ネセインは軽く首を振り諦めた様子で正面を向き、カップを死守することにした。

 隣の男バルデスは何事もなくアレグイルに問いかけた。


「で、どうしたんだ、殿下?」


 この部屋でバルデスがアレグイルのことを殿下と呼ぶのは、畏まっている時である。

 彼等がいるこの部屋は王宮の王太子宮の中にあり、その中でもアレグイルの個人的な空間だ。ここには親しいものしか入ることが許されない。この場所は、彼等が友人として身分に関わらず話のできる数少ない場所でもある。

 いつもならアレグイルと呼ぶのだが、今回は気楽な雑談ではないと感じ取っていた。

 アレグイルは落ち着いた表情で話を切り出した。


「昨晩、また彼女が現れた」

「彼女?」


 女官が新たな茶を王太子アレグイルとバルデスの前に置く。

 その後、アレグイルが目でみなに退出を命じた。

 ささっと数人の女官と騎士が部屋の外へと出て行き、室内は三人だけとなる。

 扉が閉まったのを確認して、バルデスはニヤニヤしながらアレグイルに尋ねた。


「彼女ってのは?」

「五年前に現れた、モリーネ・ザイ・ツィウクだ」


 アレグイルはちらっとそのニヤけた顔を確認したが、それには何も言わずに答えた。

 その答えに、二人は驚きを隠さなかった。


「あの取り逃がした小娘か? 今度こそ捕まえたんだろうな?」


 バルデスは身を乗り出すようにしてアレグイルに尋ねる。五年前、彼等には事細かく話していたため、彼女のことも何があったのかも全て知っていた。


「まさか、あの通路から? また侵入されたのか?」


 ネセインは顔色を変え、奥の寝室へと視線を向ける。あの当時、彼はまだアレグイルの警護にはついていなかったが、今では彼の身辺を守っている騎士の一人だ。その警護の厳重さはよくわかっている。その警護をすり抜けるとは。ネセインは侵入されたことが信じられなかった。


「あの娘はあの壁から出入りしていた。今回も、石で造られた何の仕掛けもないあの壁に消えたのを、この目で見た。間違いない」


 アレグイルは前回も確かにそれを見ていたはずだった。だが、信じられなかったのだ。そんな途方もないことは。

 石壁の表面の石を剥いで通路の壁と床を掘って確認したが、何も発見することはできなかった。

 むしろ、そんなところで人が消えることはありえないと証明しただけだった。


「今回も壁にってことは、また娘を見逃したのか?」

「何だってまた……。あそこから誰かが自由に出入りすることができるなら、あの寝室は危険じゃないか!」


 ネセインは顔を顰めて沸き立つ不満を抑えようとしているようだった。バルデスは大げさに驚いている。

 五年前のことは王太子宮の極秘事項として処理していた。王太子宮内で揉み消したのだ。

 こんな警戒厳重な場所に侵入者が現れ、その上、その侵入者を逃がしたなどと大きな声で言えることではなかった。もちろん、その事実を伏せることに誰も異を唱えなかったわけではない。

 しかし、その後の調査でもめぼしい侵入の痕跡が見つけられなかった。石壁の手前にある埃を踏んだ跡と、実際に娘の姿を見た数名の証言のみだったのだ。

 結局、下手に騒ぎを大きくするよりも、隠し通路に侵入者防止の対策をした方がいいと判断したのだ。そして調査を終えた通路の壁や床の周辺にはいくつもの罠を仕掛けた。

 その仕掛けは彼女に対しては全く意味をなさなかったようだが。

 そのことからも、見間違えたり小細工をしたわけではなく、彼女が本当に壁から現れ壁に消えたことがわかる。

 アレグイルはモリーネが話した内容を彼等に語った。


「モリーが自邸の庭を歩いていると突然現象が発生してあの隠し通路に移動してしまうらしい。彼女が望んであそこに来ているわけではない」

「モリー、ね。だが、とにかく早急に他の部屋に移るべきだな。いくら内からは開かないとしても、勝手に知らない奴が何処からともなく現れるとは。全く、ここを守っているっていう仔犬の王妃は何をやってるんだ?」


 バルデスはぼやいたが、本気でそう思っているわけではない。昔話を愚痴に使っただけだ。

 だが、その昔話はアレグイルの部屋に関係することだった。


「代々王太子の寝室として使われてきた、特にいわれのある部屋だ。王太子が部屋を移るには、相応の理由がいる」


 バルデスの愚痴に、ネセインが答えた。

 それは前回も検討されたことだった。侵入者が現れるような危険な部屋で寝起きするなど危険極まりない。部屋を移るべきとは早々に検討された。

 だが。王太子の寝室には特別な理由がある。この国で有名な仔犬の王妃が死にゆく王と再会を約束した部屋なのだ。

 すでに昔話と化しているとはいえ、暗黙の了解として受け継がれてきた。この部屋で次代の王太子が生まれ育ち、何時の日か仔犬の王妃が約束した王の生まれ変わりである王太子と再会すると。

 侵入者の件をもみ消した以上、部屋を移ることはできなかった。


 アレグイルもその昔話を知っている。

 亡くなった王が再び産まれるなどと信じているわけではない。仔犬の王妃などというお伽噺は空想の産物だと思っていた。

 しかし。

 実際に壁に消えた彼女のことは。

 あれこそ、お伽噺のような出来事だった。その場所が、いわれのある部屋ならなおのこと。

 仔犬の王妃が守っているというお伽噺が、何らかの不思議な要因が今回の現象に介在しているという意味ではないのか。

 アレグイルはそう考えていた。


「命の危険には変えられないだろう? いくら、馬鹿な小娘とはいえ、二度目なんだぞ」

「アレグイル。どうして娘を逃がしたりしたんだ?」

「そうだ。可愛い娘だったかもしれないが、侵入者なんだぞ? 前も失敗してるというのに一体どうしたっていうんだ?」


 バルデスとネセインはそれぞれアレグイルに詰め寄った。


「おい、アレグイル! 黙ってないで、何か言えよ。あの娘を何とかするために、俺達をここへ呼んだんだろう?」


 いつまでも会話に参加しないアレグイルに、焦れたバルデスが投げやりな言葉をかけた。それにようやくアレグイルが口を開いた。


「彼女をどうこうしようというのではない。彼女がやってきた意味を考えていたんだ」

「意味? アレグイルを殺すわけでもなく、取り入るわけでもなく、なぜ侵入してきたのか、か」

「彼女がそれについて何か話したのか?」


 ネセインは以前も話していたことを思い出しそう呟いた。バルデスはすっかり投げやりな態度で尋ねた。


「もうすぐ十六歳になるモリーは、ハラディルフ王国の王太子は事故で亡くなったと言った」


 アレグイルは冷静な顔でそう告げた。

 バルデスもネセインも怪訝な顔で彼を見返した。彼等には彼が何を言おうとしているのか理解できなかったのだ。

 あの娘が、この国の王太子が事故で亡くなったと誤った発言をしたからといって何だというのか。

 彼女を咎めようというのか、それはおかしい。アレグイルは少し前に彼女をどうこうするつもりではないと言ったばかりなのだ。

 では、どうしようというのか。

 二人は顔を見合わせた。互いに戸惑いを隠せない様子であり、アレグイルの言葉が理解できていないことを見てとった。

 彼等がアレグイルへと視線を戻すと。


「今の彼女は、十四歳くらいのはずだ。昨晩現れた彼女は、今から約二年後の彼女だと思う」


 続く言葉に、二人は一層意味を掴めなくなった。

 静かすぎるアレグイルの態度に薄気味悪いものを感じていた。


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