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最終話

 

「アレグイルっ、じゃなくて、王太子殿下っ、ようこそ、アンデへ!」


 アンデの領主館の玄関口で、大声で歓迎を告げているのは、満面の笑みを浮かべたモリーネだった。

 アレグイルはその朗らかな様子に面食らう。モリーネの笑顔は、馬車内で思いつめた重苦しい気持ちを一瞬で吹き飛ばした。

 そして、心から思う事ができた。この彼女の笑顔を守っていきたいと。彼女を、それを見守る人々を、この国を、守っていこうと。


 モリーネの背後でアンデの領主も待っていたが、彼は気を利かせたらしく二人を居間へ案内すると部屋を出て行った。

 明るい室内で、そわそわ落ち着きのないモリーネが所在無げに立っている。


「モリーネ。ここでの暮らしはどうだろうか」

「つつがなく日々を過ごしております」


 アレグイルの問いに、彼女は少し腰を落とし俯き加減でそう答えた。

 態度は消極的で気取った言葉使いだが、彼女の声は元気で明るい。ここの土地の暮らしが合っているのだろう。


「手紙に、ハラディルフで結婚すると書いてあったが。ここで暮らす、つもりなのか?」


 はっと顔を上げたモリーネは、何かを言おうと口を開けてはまた閉じる。

 アレグイルはどうやら尋ね方が悪かったらしいと反省した。


「咎めているわけではない。ここは静かな場所だ。ただ……。いや、モリーネが望むなら、ハラディルフのどこで暮らしてくれても構わない。余計な口を挟むつもりはなかった」


 モリーネは困った顔でアレグイルを見上げている。アレグイルはふと視線を窓の外にそらした。

 一呼吸置いて、告げようと決めていた言葉を口にした。


「今まで、王族の暗殺事件や仔犬の王妃などの騒動に巻き込んですまなかった。これからは、仔犬の王妃が貴女を呼ぶような事態は起こらない。貴女を巻き込んだりはしないと約束する。だから、幸せになって欲しい」

「あ、……はい……」

「貴女に礼がしたい。以前は結局、事件に巻き込んでしまったが、今度こそ。だから、貴女の本当の望みを聞かせて欲しい」

「私の、本当の、望み?」

「ああ」


 アレグイルの短い返事の後、部屋には沈黙が降りる。

 モリーネは宙を睨むようにみていた。

 そうして。

 モリーネはアレグイルに視線を合わせた。


 アレグイルが彼女を間近に見つめるのは久しぶりだった。

 はじめて会った頃より頬がすっきりして、大人びた面立ちに変わっている。とはいえ、他の女性に比べると、相変わらず白い頬がぽちゃりとした印象を与える。小さな唇のせいでもあるのだろう。


「何でも望みを、叶えてくれるの?」

「ああ、私にできることなら」

「貴方にできることなら、何でもいいのね?」

「ああ」

「……本当に、何でも?」

「何でも、だ」


 しつこく繰り返す彼女に、うっかり、しつこい早く言えとばかりにアレグイルの口調は荒くなってしまいそうになる。

 落ち着くため、アレグイルは一息つこうと口を閉ざした。

 彼女の希望を叶えるべき立場であるのに、強制してどうする。

 と自分の態度を反省するのだが。

 だが、しかし。

 じれったい。

 だから、何でも叶えると言っているだろう!

 

「何でも?」


 もはや口を開けば、怒鳴りそうになるので、アレグイルは黙って頷いた。


「あのね?」


 彼女は言いにくそうに口を開く。


「あの……」


 もはや忍耐の塊と化したアレグイルは、彼女を見つめるだけとなっていた。

 口を開くのは、危険だったからだ。

 そんな眉間に皺をよせるアレグイルの様子を、ちらっと見ては目をそらし。

 また、ちらっと戻って、口を開ける。

 何か言おうとして。


「……あぅ……」


 苛々苛々。

 沈黙。

 キョロキョロ。

 あぅ……えぇ……と意味不明。

 苛々。

 アレグイルが我慢ならなくなった頃、扉の外から催促のノックが鳴らされた。

 ほっとしたのはモリーネだった。


「あ、また次にしましょ」


 さらっとそう告げると、モリーネは礼の姿勢をとった。

 このまま部屋を出るつもりらしい。


「モリーっ!」


 ありえない。どうしてそんなことができるのかわからない。

 なぜ言ってくれない? 叶えられないと思っているのか? そんなに言いにくいことなのか? 出来ることなら何でもすると言っているだろう? どうして言ってくれない?

 だから以前も違う望みを口にしたのか?

 本当の望みは、一体、何なんだ?

 アレグイルは踵を返そうとするモリーネの腕を引き寄せ、無言でそう迫った。

 ここで彼女を離せば、今言おうとしている望みとは違う事を口にしそうな気がする。何としても今ここで聞き出さなければ。

 彼の中では、すでにその前までの遣る瀬無い気持など彼方に飛び去っており。

 アレグイルは彼女を威圧的な目で見降ろした。

 意外にも。

 モリーネはちょっと視線を外しただけで、逃げようとはしない。


「モリー」

「何?」

「はっきり言え。何が望みだ!」

「……ごにょごにょ」


 彼女は口のなかで小さく呟いた。

 あまりに小さすぎてアレグイルには聞こえない。


「何だ?」

「だから、ねっ」

「だから?」


 両手をぎゅっと胸元で握り締め、モリーネはアレグイルを見上げた。諦めたような、やや不貞腐れた表情で、口を開く。


「……キス、して、欲しいな、って……」


 真っ赤になったモリーネを、驚愕の表情でアレグイルは見下ろした。

 キス? して欲しい?

 本当の望み、を、告げて欲しいと……。

 キス?

 それが、望み?

 アレグイルが凝視していると、モリーネは居たたまれなくなったのか眉を寄せ、唇を尖らせた。


「だから、言いたくなかったのに」


 拗ねたように小さく呟く。その表情は泣きそうに歪んでいた。

 アレグイルがモリーネを抱きよせても、彼女は目を潤ませ彼から逃げるように視線を落とす。そんなモリーネの目尻にアレグイルは唇を寄せた。機嫌を取るように、髪や頬にも。

 そうしているうちに、モリーネは様子を伺うようにチラリと顔を上げた。

 視線が絡む。モリーネの濡れた瞳がアレグイルを見つめる。そして、ゆっくりと瞼が降りた。許しを得られたアレグイルは、彼女の望みを叶えるために、唇を重ねた。




 部屋の外ではノックをしても中からの応答がなくどうしたものかと悩んでいた。

 王の側近からの使者が急ぎの書類を手にやってきていたのだ。


「いつまで待たせるのだ?」

「サイザーノ卿。只今、殿下は取り込み中です」

「ふんっ。こんなところで、私よりも重要な要件などあるはずないだろう!」


 王政で重要な任務を帯びているという認識のためサイザーノ卿はアンデの領主など相手にもしないと見下した態度を隠しもしなかった。しかし、使用人は彼に従ったりはしない。

 扉を頑なに開けようとしない使用人を押しのけ、サイザーノ卿は自ら扉を開いた。


「王太子殿下、取り急ぎ見ていただきたいものが」


 サイザーノ卿が室内へ足を踏み入れた途端。


「キャーーッ。な、なんでっ」


 女性の奇声が上がる。そして。

 ぺちょっ。

 部屋の中では、王太子アレグイルがモリーネに顔を叩かれていた。

 大した威力ではなかったようで、跡もなくアレグイルの動きを止めただけだ。

 動きを止めたアレグイルの腕からすり抜けたモリーネはドレスの裾を蹴りながら部屋から走り去った。振り向きもせず。

 去っていく彼女の顔は、赤く涙目になっており。

 サイザーノ卿は彼女を気の毒そうに見送った。いくら気が動転していたとはいえ殿下に手を上げるなど、彼女が後で罰されるのだろうと考えていた。

 部屋の真ん中では、アレグイルは叩かれた時のまま突っ立っており扉を眺めている。

 その様子は、いつもの殿下に比べると覇気がないようにも見えた。


「殿下?」


 サイザーノ卿が再度呼びかけると、やっとアレグイルは顔を彼に向けた。不機嫌な睨みをきかせた鋭い眼光で。


「何だっ」


 アレグイルの声は低い。彼はサイザーノ卿が差し出す書類を手にとり、さっと目を走らせた。


「この件はすでに処理済みだ。王太子宮の執務室へ任せてあるっ。こんなことでここまで来る必要はない!」


 書類をサイザーノ卿へと突き返す。

 そして、アレグイルは扉の方へと大股で歩きだした。


「どちらへ?」

「お前が知る必要はない」

「殿下? 殿下っ!」


 アンデ領主館の使用人達は心得たもので、黙ってアレグイルを奥へと案内する。そしてサイザーノ卿には、王都へ帰ることを勧めた。




 モリーネは火照った顔を誰にも見られたくなくて、部屋に戻るや一人きりで閉じ籠った。

 窓に身を乗り出すようにして外を眺めながら、頬に風が当たるのが気持ちいい。

 うふふふふふふっ。

 アレグイルったら、もうっ。もうっ、もうーーーーっ。

 素敵なんだから、もう困るわっ。

 と、さっきのことを思い出し、モリーネは一人悶えていた。


 そんなモリーネに、ふっと足下をすくわれる様な浮遊感が襲う。

 あの、感覚だった。

 モリーネは息を止めて、水に落ちるのに備えた。けれど。

 どさっと石にあたる感触と暗闇に包まれた周囲に、モリーネの気持ちは高ぶった。

 この闇の向こうには、暗闇の部屋があって……アレグイルがいる。

 さっき唇に触れたアレグイルでは、なくて。でも、同じアレグイル、で。

 ゴゴッと低い音とともに、光が差し込み視界が開けていく。

 もうすぐ。目の前に。

 ごくりと唾を飲み込み、モリーネはじっと石壁が自分の前を通過していくのを待った。

 そこに、彼が立っていた。夜の部屋を背にした、アレグイルが。


「モリー」


 低く抑えた声でアレグイルが自分の名を呼ぶ。それが、嬉しくて、恥ずかしい。

 でも、近くに行きたい。

 この暗闇の方が、割と素直になるらしいとモリーネは自分に感心する。

 そうしつつ足を踏み出そうとしたけれど、壁に当たっているようで前に進めない。

 その壁は自分の部屋の窓際の壁らしい。窓の位置は空間があり前のめりに身を乗り出すことができた。

 その壁の向こう側にあたる足下には、緑に光る仔犬が蹲っていて、ちらっとモリーネを見上げた。ひどく投げやりに。


「何をしている?」


 いつもなら部屋へ進んで入り込むモリーネがその場を動かないので、アレグイルは不思議に思ったのだろう。

 モリーネの方へと近付いてきた。

 ここにいるアレグイルはさっきのことを何も知らない。そう思うとモリーネはどうにも笑い顔が納まらない。息苦しいほどに胸がドキドキと高鳴る。

 そんなモリーネの様子に、アレグイルの眉間の皺が深くなった。


「どうした?」

「あのね、アレグイル」


 モリーネは訝しげな表情で歩み寄る彼を見つめた。

 この彼は、おそらく王太子宮にタラント使節団として訪れた時より前の彼で。

 きっと、これが彼の示唆していた、三回目。

 過去の彼と未来の私。アレグイルが言ってたのは、こういうこと。

 説明されていても、モリーネが実感したのははじめてのことだった。


「あのね。あの……私の願いを、叶えてくれてありがとう」


 さっきのアレグイルに、キスしてくれてありがとうなんて言えないけど。ここにいる彼になら、素直に言える。

 モリーネは緩む頬を両手で押さえながら、彼に告げた。

 そんなモリーネの前で当のアレグイルは戸惑った顔をしている。

 彼にはモリーネの言葉の意味がわからないのだから仕方がない。


「何のことだかわからない」

「そうでしょうね。でも、いいの。伝えたかっただけだから」


 アレグイルが不思議そうな顔で手を伸ばしてきたが。ちょうどその時、背後からモリーネを呼ぶ声が聞こえた気がした。


「アレグイル?」


 モリーネが振り向くと、視界はすでに自室に戻っていた。

 急に明るくなった周囲に目が慣れず、パチパチと瞬きを繰り返す。そうしながら部屋に入ってくるアレグイルの姿をとらえていた。


 アレグイルは強張った表情で大股で歩いてくる。モリーネには彼が少しばかり狼狽えているように見えた。


「モリー」

「私、さっき、貴方に会ってたの。三回目の貴方に。貴方はもう知っているのよね?」


 アレグイルは目を見開いた。

 そして目を細めるようにして、ゆっくりと彼女の姿を確認する。


「ああ。……そうか。今、だったのか……。通路が危険だと、モリーネを部屋に招かないようにと伝えたか?」

「あっ、忘れてたわ」


 モリーネは笑顔で答えた。

 拍子抜けするほどに。明るく軽快に。


「……忘れて、いた、か」


 アレグイルはゆるゆると彼女を腕の中へと引き寄せた。それに彼女は照れくさそうな表情でぎこちないながらも彼に身を任せる。

 寄り添う彼女をアレグイルは複雑な思いで見下ろしていた。

 彼女が会った後の自分の判断は間違いだったと、今でも思っている。彼女の言葉が変わっていれば、過去を変えることができたかもしれないと今でも思う。

 一番最初に彼女が現れた時に、あの隠し通路を閉じてしまえばよかったのだ。そうすれば、彼女を巻き込むことも傷つけることもなかっただろう。そして、彼女がここにいることも、なかった……。

 結局、過去を選ぶことなどできないのだ。

 結果を知った今ならわかることも、あの時にはわからなかった。いつでもその時に最善と思える選択をすることしかできないのだから。間違いだったと後悔することになっても。

 あの時の自分にはそれが最善だった。

 それはモリーネも同じことで、今の彼女もまた選んでいるのだ。彼女なりの生き方を。

 そして、ありがとう、と告げたのだ。

 傷ついた過去を通り過ぎても。

 あの時はわからなかった彼女の言葉には、存外多くのものを含んでいたらしい。

 彼女自身が意図してはいなかったのだろうが。

 仔犬の王妃も、そうして選択しているのかもしれない。遠く時の先へと続く道を。


 モリーネはつま先立ちで顎を上げ、目を閉じた。

 んーっ、と待っている。

 そういうあからさまな態度の割に耳は赤くなっていて。

 アレグイルは不安定な彼女の背中に手を添え、顔を近づけた。

 彼女の望みを叶えるべく。

 できるなら未来もそうあり続けられることを願いながら。


「モリー。私は貴女が好きだ。私の、妃になってくれないか? そばにいて欲しい」

「はい。アレグイル」


 モリーネは照れ臭そうな顔でそう答えた。 

 湖では、趣味悪いのよねーと仔犬が呟き、水辺に犬がひれ伏していた。



~The End~


最後まで読んでくださいまして

誠にありがとうございました。 m(_ _)m


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