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第31話(夜の湖)

 

 アンデの湖に再度出現したモリーネはすっかり気力を取り戻し、アンデ領主館を訪れた。そして、街の人達に連れられ王都へやってきていた。

 緑の光である仔犬に呼び寄せられたモリーネは、今回はどうやら半年ほど時間を遡ってしまったらしい。王太子アレグイルがタラント国から帰ってきたところだという。

 タラントのモリーネは新しい館へと移っている頃で、今同じ時間、別の場所に自分が存在しているという不思議な状態だった。けど、モリーネにその実感はない。自分の姿を目にしているわけではないから。

 それでも、下手にモリーネの名前を使わない方がいいだろうということで、モリーネはテテというアンデ領主の親類の名を借りることにした。

 アンデの領主が快くモリーネへの協力を申し出てくれたのだ。

 ツィウク家からモリーネを助けてくれたお礼だといって財が送られてくるらしい。過分に思っていたところなので、モリーネに使ってもらいたいとのことだった。

 モリーネは、その出所が何となく予測できた。ハラディルフからツィウク家への贈り物の一部をここへ送ってきているのだろう。

 ツィウク家へ連絡するにしても、そこに自分がいるのではアンデにいる自分を本物のモリーネだと理解してもらえるのかと不安だったで、街をあげてモリーネに協力してくれることは、とても心強かった。

 協力を得られたモリーネは、すぐさま王都へ行くことを決意した。

 そうしてやってきた王都で。

 モリーネ達はアンデの領主の知人宅へと身を寄せ、アレグイルへの接近を試みていた。


「テテ様、王太子が外出されるようです」


 モリーネと一緒にアンデからついてきてくれたファシルが告げる。王宮の外郭の東門の外に並ぶ人だかりの中にモリーネとファシルもいた。

 モリーネがファシルの指す方向へ目を向けると、騎乗している集団が王宮の門から出てくるところだった。

 その中心に濃緑の衣装に身を包んだアレグイルの姿がある。相変わらずキリッと厳しい表情をした横顔が人垣の向こうを通過していった。

 ここで見張っていれば、外出するアレグイルに遭遇できるかもと思ったけれど。騎乗している彼等は目の前をあっという間に過ぎてしまい、アレグイルは騎士達の中にいて距離も遠い。

 目に止めてもらえるかもというモリーネの希望は、あっけなく消えた。

 でも。

 一瞬だけだったけど、彼の顔を見ることが出来た。アレグイルの険しい顔は健在で。モリーネは思わず溜め息を漏らした。

 久しぶりに見るアレグイルの姿に、モリーネは彼の後ろ姿が消えた後もうっとりと眺める。


「お元気そうでしたね」

「そ、そうねっ」


 ファシルの声にはっとモリーネは我に返り、周りを見る。すでに人垣はばらけ、ぼんやり立っているモリーネは通行人達に迷惑な存在となっていた。

 モリーネはファシルとともにとぼとぼと道端を歩き始めた。


「今回は、何が起こるのかさっぱりわからないわ」


 モリーネはアレグイルに会うため王都へ来たものの、何をどうするべきかわからず困っていた。

 緑の光のせいでこの国に来たのだから、アレグイルに何か危険が迫っているのだと漠然と考えていた。でも、それが何かと問われると、全くわからない。

 アレグイルに会えば何かわかるかもと、こうして彼の姿を見にきたのだけれど。それは、ただの気のせいだったらしい。気のせいというか、単に、モリーネが彼の姿を見たいだけだった。

 本当はアレグイルと直接話をしたかった。言葉を交わすことができれば、彼になら何かわかるんじゃないかと。もちろん、どんな理由でもいいから接近したいとの思いもあって。

 けれど、王太子である彼と簡単に連絡がとれるはずがなく。テテの名で手紙を送ってみたものの、王太子に届く前に処理されたらしく、不埒な手紙を送らないようにとの警告文が届いた。

 アレグイルの友人というファンテルグ氏の屋敷に行ってみたけれど、ファンテルグ家はこの国で地位の高い貴族家だった。知人でもないモリーネは、会う約束を取り付けることもできず門前払いを食らってしまった。


「王太子って、簡単には会えない人、なのよね」


 モリーネはしょんぼりと肩を落とした。

 ファシルや他の一緒にきたアンデの街人達は歯痒い思いでモリーネを見守る。


「申し訳ありません。お力になれず」

「ごめんなさい。私が王都に来たいなんて言ったから……余計な手間をかけさせちゃったわね」

「いえ。モリーネお嬢様のためでしたら、あっ、テテ様のためでしたら何でもいたします。私達の大事な仔犬様のお声を聞く方ですもの」

「……アレグイルが無事なのはわかったから。アンデに帰りましょうか。あの仔犬様に直接尋ねてみた方がよさそうだし」


 モリーネ達はアンデの街へと帰った。何の収穫もなく。




 戻ったアンデの街で、ひっそりと寝静まった夜。

 モリーネは一人で湖に向かった。

 また街人達に無駄骨を折らせるのも悪いと思ったので、こっそりと。夜にしたのは、あの緑の光は、夜の方がはっきり見えるのではないかと思ったためだった。

 暗い林の中の道を抜け、湖へと歩く。前方が仄かに明るい。視界が開けた湖では、暗闇を背景に湖面がぼんやりと光っていた。


「モリーネお嬢様」


 背後から声をかけられモリーネが驚いて振り向くと。

 ファシルが立っていて、モリーネに歩み寄ろうとしているところだった。

 そして、その背後に男が迫っており、ファシルに腕を伸ばそうとしていた。


「ファシル、逃げてっ!」

「えっ? きゃああっ」


 男は軽々と彼女を抑え込み、首元に剣先を突き付けた。そして、林の木の陰から、もう一人、男性が姿を現し、モリーネへと近付いてくる。

 ファシルに剣を突き付けられていてはモリーネにはどうすることもできず、現れた二人の男性とファシルを見ているしかなかった。


「モリーネ、だったね。その娘を死なせたくなかったら、仔犬の王妃を取って来い。さあ、早く」


 傍に来た男性はモリーネの腕を掴むと、湖へと押しやる。

 その声は、聞き覚えのある声だった。


「オルレイゲン殿下……」


 ごくりと唾を飲み込み、モリーネは傍に立つ男性を見上げた。淡く緑に輝く湖面に照らされた美しい姿は、第二王子その人だった。


「モリーネお嬢様、私は大丈夫です。ですから、仔犬様をお助け下さい。こんな輩に渡してはなりません」

「黙れっ!」

「あぁっ、っ、」


 ファシルの声は震えていたけれど、しっかりとモリーネに訴えていた。

 男が乱暴に彼女の身体の首を絞めているらしく、ファシルの苦しげな呻きが漏れ聞こえる。


「やめてっ。ファシルに何もしないで!」

「早く仔犬の王妃を取って来いっ。何をもたもたしているっ、さっさとしないか!」


 モリーネはオルレイゲンに足で蹴飛ばされ、バシャンと湖水へと倒れ込んだ。

 ドレスが水を吸い、ゆらりと水に浮いて揺れる。モリーネの中に恐怖がわき起こった。水に濡れたドレスが身体に纏わりつけば、腕も足も重くなり自由に動けなくなる。溺れそうになった感覚が蘇る。

 ぐずぐずしているモリーネに業を煮やしたオルレイゲンは、モリーネの腕を掴みズンズンと深い水中へと引き摺って行く。

 そして、彼女の頭を水中へと抑えつけた。

 息ができない。

 モリーネは、ばしゃばしゃと水を頭を振り、腕をのばし水面へ出ようとするけれど。ちょっと息ができたかと思ったところを、頭を押さえされ、また沈められる。

 必死で彼の腕から逃れようとしても、男の力にかなうはずもなく。

 モリーネがぐったりしたのを見計らって、彼はモリーネから手を離した。

 ごほっ、ごほっ。

 ようやく水から顔を上げることができたモリーネは水を吐きだし、息をするのが精一杯だった。


「さあ、仔犬の王妃を取って来るんだ」


 彼はモリーネのそばで冷たく言い放った。


「モリーネお嬢様あぁぁっ」


 男に剣を突き付けられたままファシルはモリーネに向かって叫んでいた。

 モリーネは荒い息でぼんやりとオルレイゲンを見上げた。

 湖中からの緑の光に照らされたオルレイゲンの顔は恐ろしく冷ややかで、モリーネはぞっとした。

 だが。息をつめて、モリーネは問い返す。震えそうになる声をおさえながら。


「殿下には、仔犬の王妃が見えるの? 手渡しても、わからないんじゃないの?」

「ふんっ、何を言うかと思えば。私はユェイルンの生まれ変わりだよ? 仔犬の王妃が見えなくとも手にすればわかるさ」

「王の生まれ変わりなのに、仔犬の王妃が見えないの?」

「そんなことも知らないのか? 王には仔犬の王妃は見えないんだよ」

「見えないなら、あなたに手渡しても落としてしまいそうよね」

「つべこべ言わずに、さっさと取って来ればいいんだ! あの娘を殺さないとやる気がでないか?」

「やめてっ。やればいいんでしょ、やればっ」


 モリーネは深い方へと泳ぎ始めた。水中へと潜れば、緑の光を放つそれは、難なく見つけることができる。足は付かないけれど、割と岸に近い場所にいるのだ。

 明るい光に照らされた、水の底で。

 薄茶の仔犬はだらっと横に手足を投げ出した格好で半口開けて眠っていた。

 夜だから? 睡眠って必要なの? 人を呼んでおいて、この危険が迫っているって時に、寝てるって、どうなの?

 そのあまりにも呑気な仔犬の様子に、モリーネの中にふつふつと怒りが湧いてくる。

 人がこんなに困っているっていうのに、何故のんびり寝てるの?

 ちょっと仔犬様、助けてよ!


 モリーネは泳ぎながら訴えた。が。

 仔犬、動かず。全く、ピクリともしない。

 聞こえていないのか。

 モリーネは息苦しくなっていたけれど。どうにか水中へと潜り、緑の光に手をのばした。

 すると。

 仔犬はひょいっと寝転がって、逃げた。

 再び伸ばしても、また逃げる。

 どうして? 寝てるのに、逃げる?


 だって、あの人、嫌ぁいーー。


 仔犬が薄目を開けて答えた。そうしてだらしなく寝そべった仔犬はごろんと反対側に転がる。

 嫌い、って言われても!

 モリーネは息が切れ、疲れて水面へと浮上した。これ以上は無理だと、岸へと向かうと。

 オルレイゲンが待っていた。


「さあ渡せ」

「ま、まだ……」


 息を整えようとしているモリーネの顔を、オルレイゲンは容赦なく水面へと押し付けた。

 ごぼっ、ごぼっ。

 何度も水を飲み、意識が朦朧としていく。体力の限界がこようとしていたモリーネに抵抗する力はなかった。

 そうして何度も沈められた後、モリーネは解放された。が、モリーネには力が残っておらず、ゆっくりと沈んでいった。

 懐かしい声を耳に聞きながら。


「モリーーーっ!」




 オルレイゲンを捜索していたアレグイルは、アンデ領周辺に出没しているとの情報を得てここへ駆けつけたところだった。バルデスから、屋敷にモリーと名乗る女性がアンデ領の使いとして訪れていたという知らせを受け、まさかという思いで。

 今頃、彼女はタラントで暮らしているはず。だが、アンデは彼女が斬られた後に現れた場所だ。その時も彼女はオルレイゲンと会っている。

 自分を守ったように、モリーネはオルレイゲンを守るのだろうか。オルレイゲンを捕えようとしている自分から。

 アレグイルはそんなことを考えながら馬を走らせていた。

 到着は夜更けになってしまった。が、丁度その時、静かな林に女性の悲鳴が響き渡った。

 それは、モリーネの名を叫んでいる。

 アレグイルは連れていた騎士達とともに林の奥へと駆けこんだ。

 何人かの武装した男達を捕え、その奥の湖のほとりでは女性を楯にした男を捕えた。


「モリーネお嬢様がっ。助けてください、モリーネお嬢様が、湖にっ」


 助けた女性は必死で湖面を見ているが、この暗闇では簡単に見つけることはできない。だが、バシャバシャという水を跳ねる音が大きく響いており、そこに人がいることはわかる。

 アレグイルは騎士達と慎重に水音の元へと近付いていった。近くで見れば、そこに細身の男性が立っているらしい。

 水を跳ねる音は徐々に小さくなっていき、立っている人が振り向いた。背後に近寄るアレグイル達に気付いたのだ。

 湖面に反射する僅かな明りが、金色に光る髪と白い顔を照らす。


「オルレイゲンかっ、捕えろ!」


 アレグイルは、逃げようとするオルレイゲンを捕えるよう騎士達に指示を飛ばす。

 そうする視界の端に、ばしゃっという水音をたてて水中へと沈もうとする白い腕を捕えていた。


「モリーっ!」


 水中に沈んだ彼女の身体を手探りで探る。すぐに水に揺れるドレスを探り当て、彼女の身体を引き上げた。

 ぐったりとして意識がない。

 モリーネなのか? まさか。どうして。


「モリーっ、モリーっ」


 パンパンと顔を叩いても反応がない。

 アレグイルは急いで口を開いて、水を吐き出させる。なんとか息は戻ったが、意識は戻らないのか答えが返ってこない。


「モリーネお嬢様っ。お嬢様は?」


 その傍へ女性が駆け寄ってきた。


「大丈夫だ。息はある。すぐに屋敷へ」

「は、はいっ」


 アレグイルは彼女の身体を抱きあげ、アンデ領主館へと急ぎ向う。

 無礼者、私はユェイルンの生まれ変わりだ!と叫ぶオルレイゲンの言葉が湖に響いていた。

 


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