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第3話(勉強)

「さあ、モリーネお嬢様。こちらの本を読んでみましょう」


 侍女ミルダがモリーネに差し出したのは、ハラディ語の書物だった。

 昨日宣言した通り、ミルダはハラディ語の勉強を強化するらしい。

 こんなつもりじゃなかったのに、とモリーネはぶつぶつ文句を言って抵抗してみたけど効果はない。

 お嬢様としてはハラディ語が流暢に話せるとカッコいいのは確かなのだけれども。

 けれども、モリーネは勉強が苦手だ。ハラディ語も苦手だ。

 ううっと唸った後、観念したモリーネは渋々とその書物を受け取った。


「声に出して読んでください」

「えぇっ、それは恥ずかしいでしょ。目で読むだけでよくない?」

「駄目です。ちゃんと発音しなければ意味がありません。公用語となりつつあるハラディ語を流暢に話せてこそ良家の娘というものです」

「話すことはできるのよ? ちょっと、変だったり、間違えることがあるだけで」

「さあ、どうぞ」


 モリーネの言葉をあっさり流し、ミルダは笑顔で促した。

 ミルダは笑顔を張り付けて待っている。

 逃れられそうにないと観念したモリーネは、物語を口に出して読み始めた。


 その物語は、ハラディルフ王国の昔話だった。

 何代も前のハラディルフでのこと。

 あるところに継母に追われて城を離れ一人さびしく暮らしていた王子がいた。

 そこで王子は人の言葉を喋る獣と出会った。その獣が気に入った王子は一緒に暮らすことにした。が、継母の王妃にうとまれていた王子は毒を盛られてしまう。毒に気付いた獣のおかげで王子様は助かったが、獣が身代わりとなって倒れてしまった。

 命を救われた王子が死ぬなと嘆くので、獣は王子と約束した。今は死んでも、後に女の子になって会いに行くと。

 獣が亡くなった後、王と継母の息子だった弟王子が病で亡くなったため、城から王子に迎えが来た。そして王子は王となった。

 王は大人になり素晴らしい王と讃えられていたが、城では寂しく過ごしていた。そんなある日、城に獣だった女の子が訪ねてきた。約束を信じて待っていた王は大層喜んだ。

 王は獣の少女をとても大事にし、二人仲良く城で暮らした。

 歳月が流れ、王が病に倒れた時、獣の王妃は王の命をもう一度助けようと言った。

 けれど、王はそれを断った。そんな王に獣の王妃は、この世に再び王が産まれてくるのを待つと約束した。

 獣の王妃は王の生まれ変わりを待つために、この王の血筋を守っているという。



「今一つ発音の切れが悪いのは、読み方に自信がない語句ですね?」


 読み終わったモリーネにミルダは流暢なハラディ語で問いかけてきた。

 モリーネもハラディ語で答える。


「言葉によって違う発音になるのがあるでしょ? フェッ、か、フィァッか! 難しいと思うの」

「モリーネお嬢様はその単語を覚えてないということですね? 意味がわからない単語がありましたか?」

「あ……え……意味は理解はできている、と……思う……」


 モリーネはそう答えたけれど、その顔はひきつっており顔は正直に白状していた。前後の文から理解したが覚えのない単語も確かに存在したわけで、意味がわかっていない単語はいくつもあった。

 ミルダにはバレバレだった。何を誤魔化そうとしているんですかという冷たい視線がモリーネに突き刺さる。


「もう一度、最初から読んでみましょうか。次はわからない単語を確認しながら」

「は、はーい」


 モリーネの返事は力ないものとなった。

 だからハラディ語は苦手なんだって!という主張は、口から出ることなく。

 モリーネは大人しく最初の頁を開いた。



 そうした勉強をこなした後、モリーネは庭でお茶を飲むことにした。

 喉が渇いたし、昨日の現象に遭遇するため今日も庭を調べようと思っていたからだ。

 ハラディ語の勉強が思いのほか長引いてしまい、今日は外に出られないのかと焦れ焦れしていた。

 やっと出られた庭は、昨日に比べると曇り空で天気が悪い。昨日のように輝きが感じられなかった。

 でも、もう一度あの場所へ行きたい。

 モリーネは曇り空の庭を歩いた。昨日はたしかこの辺を歩いて、と思い出しながら。

 しかし、昨日の現象が起こった原因や理由をそう簡単に見つけられるはずもなく。結局、モリーネは庭の小道をミルダが呆れるほど歩き回ることに終始した。

 今日も呆れたようにミルダがモリーネにお茶の準備が整ったことを告げるまで。


 散歩の後、喉が渇いたモリーネは用意されたお茶を一気に飲みほした。

 空のカップをミルダに差し出し、二杯目を待ちながら、モリーネは呟いた。


「ミルダは、ハラディ語の発音、完璧なのね……」

「そうですか? まあ、身内にハラディルフ王国から嫁いできた人がいますから。彼女から直接教えてもらったのでモリーネお嬢様よりは発音がいいのでしょう」


 ミルダの言葉は相変わらずはっきりと、モリーネの発音が悪いと告げていた。

 だからもう少し何かに包んで柔らかい表現を……。

 そう思いながら、モリーネは二杯めのお茶を啜った。今度はゆっくりと。


「あのお話は、ハラディルフでは有名なの?」

「有名らしいですね。あの王妃を祭る神殿が、王宮の近くにあるくらいですし」

「獣な女の子、ねぇ」

「仔犬が王様を助けたのは本当ですし、仔犬の王妃がいつまでも歳をとらなかったというのも有名な話ですよ」

「そうなの? 死んだ時も獣の姿だってこと?」

「……おかしいと、思っていましたが、モリーネお嬢様。お嬢様の言う『獣』とは、ハラディ語の『仔犬』のことですか?」

「そ、そうよ? 獣のことよね?」

「獣って……。たしかに動物ですけど、仔犬のことですよ? 仔犬の王妃とは、小さなかわいい王妃という意味なんです! まさか、野獣王妃だと思っていたんじゃないでしょうね? 頭が獣でとか思ってたんじゃ?」

「……」


 思ってましたと、モリーネは言えなかった。

 ハラディ語の『仔犬』がわからなかった。その音が架空の凶暴獣と似て聞こえたので、そんな獣の類を想像していたのだ。

 モリーネは凶暴野獣を懐かせた王子の話だと思っていたのだ。それが、まさか可愛らしい意味合いの仔犬だったとは。

 失態の露呈になんとも言い難く。

 モリーネは、黙ってお茶を飲んだ。


「そんな、間違い……」


 ミルダは顔を手で覆い項垂れた。

 長い時間を費やして読んでいたのに、今やっと重大な間違いに気付くなんて。今までの時間は何だったのか。


「間違ってもハラディルフの人に野獣王妃の話をしないでくださいね。馬鹿にしていると激怒されるかもしれませんし、教養のなさに呆れられてしまうかもしれません」

「ええ、もちろん」


 溜め息まじりのミルダに、モリーネはおもいっきり力強く頷き返した。

 モリーネとしても自分の馬鹿さ加減を広めたいはずはなく、ミルダの意見には賛成だった。

 そして、これを兄ラフィールの耳に入れないよう気をつけなければと思った。

 これを知った兄が一人笑い転げる分には構わない、いや、それはそれで気に入らないけれど。それだけなら被害は少ない。

 それを友人知人に話し広めるのが問題なのだ。

 兄は妹の失敗談が大好きだったから、こんな話を知れば黙っているはずがない。

 ある意味、妹が大好きな兄なのである。


「大国の王子様も大変。でも、けも、じゃなくて先祖の王妃が見守っているなら、ハラディルフの王子様は将来安泰なんでしょうね」


 モリーネは話題を変えようとした。が、その方法はあまり上手とは言えなかった。

 それは口に出したモリーネ自身にもわかっていたので、庭を眺めるふりをしてひやひやしながら待った。話題がハラディ語のことに戻りませんようにと祈りながら。

 その祈りは、通じた。


「安泰かどうかは疑問ですね。あそこの王太子は狩りの事故で亡くなったらしいですから」

「えっ、そうなの?」

「なんでも亡くなった王太子は、自分の兄弟と好き合っていた女性を無理やり自分の妃にしようとした人らしくて。評判が悪かったようです」

「まぁ、嫌な人だったのね。で、女性は好きな人と一緒になれたの?」

「さあ、どうでしょう。よその国からの噂ですからね」

「無理やり妃にされそうになるなんて。きっぱり断っちゃえばいいのに」

「王太子から望まれたら断れないでしょう?」

「ええっ? だって、うちは王太子から私を妃にって言われても断るんでしょ?」


 モリーネはツィウク家から王家へ嫁ぐことはないと言われて育ってきた。

 だから、てっきり王家から望まれても断るのだと思っていたのだ。


「ツィウク家でも無理だと思いますよ。できるだけ王家から望まれないようにするくらいじゃないですか? でも、まあ、それは王家から強く望まれた場合、ですしね」

「そりゃ、私が王子様達に指名されることはないと思うけど! 万が一の話よ」

「本当に、万が一、ですね」


 そんなにしみじみ、万が一、を強調しなくてもいいでしょうに。

 と、モリーネは膨れて見せた。

 が。

 モリーネにもそれが万が一であることは痛いほどわかっていた。

 父に連れられ訪れた王宮にいたのは、笑顔の素敵な王子様達だった。中でも優しげな第二王子セイフィル殿下にモリーネは一目で恋に落ちた。そして、あっという間に失恋した。

 モリーネの苦い思い出だった。

 けれど、モリーネとしては、初恋の人である。王太子殿下だってかっこいい。そんな王子様達から望まれないと断定したくなかった。夢ぐらいは、抱かせて欲しい。もしかしたら、恋われるかも、しれないじゃないの。

 万が一、上等。ないよりマシ。何をきっかけに恋が生まれるかわからない。恋ってそういうもののはずなのだから。

 モリーネはミルダの言葉を必死で否定しながら、ふと昨日の人を思い浮かべた。

 彼は、初恋のセイフィル殿下と全く違うタイプだった。

 優しい笑顔を浮かべない。険しい表情にきつい眼差し。横柄な態度。女性に触れるのに、一言も声をかけなかった。

 とてもいい印象を抱くはずないんだけど。

 やっぱり、思い返すだけで、動悸が激しくなる。顔も緩み、ミルダの言うニヤニヤになってしまう気がする。


「セイフィル殿下も素敵だけど。悪い顔の男性も、いいかもね」

「……盗賊や悪人にうっかり付いて行かないでくださいよ」

「いやあね。そんなことするわけないでしょ?」

「夢の中と同じ男性が、この屋敷に盗みに入ったところに遭遇したらどうします?」

「……話しかける、かも……あ、えっと、咎めないと、ね……」

「駄目でしょ」

「……駄目、かな」

「駄目ですね」

「……確かめないと、ね?」

「絶対違います。確認する前に殺されますよ」

「……」

「悪人を相手には、近付こうとしたり、会話しようなんて絶対に考えてはいけませんよ?」

「も、もちろんっ」


 笑顔で答えたモリーネは、庭に視線を移した。そして宙を見つめる。

 盗賊になって会いに来てくれたりしないかな。こっそり深夜のツィウク家に入り込んできた彼とばったり遭遇して。運命の出会いよ。で、彼は宝石よりも私を盗んでいくとか……。

 いやいや、そんな甘い夢を期待してはいけないわ。待ってたらいつになるかわからないんだから、自分で探さなくては。あの現象が起こるきっかけを。

 ふるふると頭を振る緩んだ顔のモリーネを見ながら、ミルダは黙ってお茶を片付けた。

 モリーネは否定したが絶対に嘘だ、そんなことが読めてしまうだけにミルダは溜め息が出る。

 盗人が簡単に入り込めるような屋敷ではないし、そうそうモリーネのイメージと同一の人が現れるはずがないから心配しなくてもいい。そうミルダは自分に言い聞かせた。

 空想ばかりしている大人しい名家ツィウク家のお嬢様は今、ニヤニヤ笑いが不気味だった。


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