第28話(悔恨)
王太子宮の執務室でアレグイルは報告書に丹念に目を通していた。
モリーネが巻き込まれた事件の詳細である。一年前の襲撃者達は首謀者を明かさなかったが、身元を辿ると高位貴族家を含む三家が関わっていたことが判明した。それらは、元王妃の実家と付き合いのあった家柄だ。すぐさま各家を押さえたが、どこかが幽閉中の元王妃と連絡をとっていたという情報はない。
そこにオルレイゲンの存在が浮かび上がってきた。
以前の王太子の妃達がこっそり使用していた隠し通路と王太子の寝室へ繋がる通路には共通点があった。どれも古い年代に作られた通路なのだ。王太子の寝室へ繋がる通路は改造を繰り返し、路順を変更することが可能となっているが、あの頃はたまたま古い路順となっていた。多少の罠が配置されてはいたが。そのため、暗殺を企てる首謀者は、王宮の古い情報を入手しているのではないかと考えられた。
そうして調べを進めるうち、王宮の古物保管庫にあるはずの王宮の古地図をオルレイゲンが持ち出していたことがわかった。直ちにオルレイゲンの部屋を捜索すると、該当の古地図が発見された。
オルレイゲンに問いただそうとしたが、それ以降オルレイゲンが王宮に現れることはなかった。
王宮から失踪してしまったのだ。
まるで、暗殺の首謀者が自分だと告げるかのようなその行動に、王は納得しなかった。
本当にオルレイゲンが王太子暗殺に関わっているのか疑わしい、誰かの策謀ではないのか、と。
王がそう思うのも無理のないことだった。
オルレイゲンはこれまで王位に全く関心を抱いている様子がなく、政務への興味も示したことがなかったからだ。
元王妃は、王へ何度も、王太子にもしもの事があった場合を考えてオルレイゲンにも王太子と同様の教育や政務へ参加させるよう進言していた過去がある。
アレグイル自身もオルレイゲンに敵意を持たれていたとは思えなかった。それほど彼は第二王子という立場を満喫している様子だったのだ。
だが、オルレイゲンの近くに仕えていた者からは、ここ数年で彼は急激に秘密主義になったのだと聞いた。それは大人になるにつれての変化だろうと思われていたらしい。オルレイゲンが固執していたのが王宮の古い情報、特に王ユェイルンに関する物であったという。その関係でその年代の古地図を入手したのだろうと。
王ユェイルンを調べることが王太子暗殺につながるだろうか。王位を狙うことにつながるのだろうか。母である元王妃に感化されてのことなのだろうか。
それはわからない。王にも、その点が腑に落ちないでいるのだろう。息子同士が王位を争うなど、望んではいないのだから。
しかし、状況は彼を王太子暗殺の首謀者であると告げていた。オルレイゲンの行動が明らかになればなるほど、元王妃が庇うようにその行動を消そうと動いていたことが明らかになっていくのだ。
首謀者がオルレイゲンだとすれば、モリーネを狙わせたのがオルレイゲンだった可能性がある。
オルレイゲンの目的は、王太子暗殺ではなく、王太子の秘宝である仔犬の王妃、を手に入れることではないだろうか。
古地図を手に入れたなら、王太子宮が王ユェイルンと仔犬の王妃の住居であったことはわかっただろう。だが、仔犬の王妃が王太子宮にあるなどとどうやって知り得るというのか。たとえ、王ユェイルンの情報を探していたオルレイゲンになら知ることができたとしても。あれは、人には見えず、触れられないものだとわかっただろうに。
他にも何かあるのだろうか。仔犬の王妃には、オルレイゲンが手に入れたいと思う何かが……。
「王太子殿下、ネセインが戻って参りました。如何いたしますか?」
アレグイルが顔を上げると、側近が控え目な声で問いかけていた。深刻な顔で報告書を読んでいたため、気を使ったのだろう。
アレグイルは手にしていた報告書を伏せた。
「ネセインには、後で奥の部屋の方へ来るよう伝えろ。オルレイゲンの捜索はどうなっている?」
「カイゼダの街とその周辺で目撃情報はありましたが、足取りがつかめません。商人の協力者がいるようです」
「商人、か。貴族達と違って行動範囲が広い。厄介な……。絞れているのか?」
「まだ絞りきれては、いません……」
「調査を続けろ。ツィウク家一行を狙っていた者たちは?」
「襲撃者達からは情報屋を介した依頼だったため依頼主の情報は得られませんでした。ただ、かなり急に依頼した仕事らしく、その日にアンデ周辺を訪れた人物のようです。その線で調査を進めています」
「そちらも、新しい情報が入り次第報告しろ」
「はい」
「では、その他の案件を聞こう」
アレグイルは日々の執務に取りかかった。
夜になり部屋へ戻ると、ネセインが待っていた。
「すまん。待たせたか?」
「いえ」
「では、聞かせてくれるか」
ネセインは淡々とアンデの街の様子を語り始めた。
アンデの領民は王族に対してはひどく不審感をもっており、容易には口を開こうとしない人々だったようだ。
ネセインがモリーネが斬られた現場にいた騎士だと知ると、やっとその情報と交換に話をしてくれたらしい。
もちろんネセインは王太子宮の秘宝についての情報は口にはしなかったが、彼等にとって欲しいのはそれではなかった。むしろ、それについては彼等の方が情報を多く持っているとネセインは感じていた。
領民が欲しがったのは、モリーネの様子だった。そして、ネセインがアンデの領民から聞きとりたかったのもモリーネのことで。
その話の途中で、双方ともモリーネを守る立場にあるとの見解にいきつき、彼等は情報を提供しあうことになった。
モリーネは二か月ほど前に大きな傷を負った姿で突然アンデに現れた。普通なら助からないだろうと思われる傷だったが、モリーネは一命を取り留めたばかりか驚異的な回復をみせた。特別な加護を受けている娘だと、領民は彼女を歓迎したらしい。
その彼女を丁重にもてなしていると、第二王子がアンデの街に現れた。その様子から、モリーネを狙っているのではないかと警戒しはじめた。
彼女の実家からの迎えが来る時にも、不審者が近辺の街に滞在していたのでこっそりモリーネをアンデの街から出し、不審者の邪魔をし続けていたのだという。
「ツィウク家の一行をつけ狙う者達が複数いたのですが、一方は彼等だったようです。あちらも、ツィウク嬢を守るために私と不審者と両方を邪魔しようと大変だったと言っていました」
「そうだったのか……」
アンデの街に、オルレイゲンが現れた。だから、オルレイゲンはモリーネを狙っていたのか。
「アンデに、仔犬の王妃、がある……可能性が高いな」
「はい」
オルレイゲンにモリーネがアンデに現れるのがわかっていたとは思えない。オルレイゲンはアンデの街に用があったのだろう。仔犬の王妃があると知って……。
しかし、オルレイゲンはどうしてアンデの街に行ったのか。それはアンデの街が仔犬の王妃と関わりがあるからだ。
アンデが、王ユェイルンと仔犬が出会った場所だと推測したのだろう。書物には王子を毒殺しようとしたために街は破壊され消滅したとの記載が残るのみで、場所は特定されていない。その候補地は国内にいくつもあるが、アンデは重要視されていない場所だった。
「アンデが、王ユェイルンと仔犬が出会った場所だとすれば、オルレイゲンがあの街に現れたことの理由がつく。再び、オルレイゲンがあの街を訪れる可能性も高い。あの街を監視させよう」
「領民も殿下が再び現れることを警戒しているようでしたので、協力は得られると思います」
「……モリーネは、なぜオルレイゲンに狙われたのだろう」
「彼女が、仔犬の王妃を見ることができるからではないでしょうか?」
「見えるのか?」
「緑色の光をにつつまれた仔犬の姿を彼女が見たと街人が漏らしていたのを耳にしました。どこで見たのか尋ねても誰も答えてくれませんでしたが、彼女というのがツィウク嬢のことではないかと」
「緑の光、だけではなく?」
「はい」
死が迫っている者に見えるという仔犬の王妃。モリーネは、緑の光だけでなく仔犬の姿まで見ている。それは……死の直前であったということにほかならない。
アレグイルは身体を強張らせた。あれから一年が過ぎたというのに、彼女のことを思い起こせば後悔に苛まれる。あの時、なぜ、と。
彼女をあの時あの部屋へ連れて行ったからこそ、襲撃者から逃れることができた。彼女が望まなければあの通路の扉を開くことなく夜を迎えただろう。彼女がいなければ、あの夜、暗殺が成功していた可能性は高い。
あの時、一体どうしていれば正しかったと言うのだろうか。
彼女の本当の望みは、あの部屋を見ることではなかったのだろうか? もっと他の望みがあったのか?
ならば、どうして本当の望みを口にしてはくれなかったのだろうか。
彼女を恨む筋合いなどない。彼女があそこに立って刃をうけることになったのは、彼女を巻き込んだのは自分自身であることは十分にわかっている。
それでも。
それでも、なぜ、と。思わずにはいられない。
なぜ間違えてしまったのだろう。なぜ助けることが、できなかったのだろう、と。
彼女が生きているはずだと思いつつも、あの流れた血を、切られた彼女の姿を、倒れた姿を見ていれば。もうこの世にはいないのかもしれないと思う事は一度や二度ではなかった。
どこか知らない場所で力尽きていく様を、ドレスを血に染めた彼女に獣がたかる様を夢に見ては飛び起きた日がどれだけあるか。
そうした悪夢に自分が苦しめられることが、彼女の望みだったのだろうか。そんな意地の悪いことすら考えた。全ての原因は己にあると知りながら。
アレグイルは大きく息を吐き、ネセインに向き合った。
「わかった。ネセインは、以後、私の警護に戻ってくれ」
ネセインにそう告げると、彼はやや心配そうな表情を見せたが、そのまま部屋を出て行った。
アレグイルは自分の暗い様子のせいで彼が心配していると知っていた。この一年、ネセインやバルデスに何度も向けられた表情だった。
アレグイルは寝室へと重い腰を上げた。そこには、例の隠し通路の石壁がある。すでにその通路はその多くを埋められており、脱出通路としての役目を果たさない。
それでも、その石壁が開き、暗く狭い空間がそこに存在している。それを、アレグイルが望んだからだった。
彼女の血が残っていた床石は、今も黒ずんだ染みを残している。この場所を潰さなかったのは、彼女がまた現れる可能性を考えてのことだ。神殿の者達も、王太子宮の秘宝があった場所を潰すことには反対していたため都合が良かった。
だが、アレグイルにはわかっていた。
きっともう彼女がここに現れることはない。
これまでは王太子の秘宝がここにあったために、彼女はここに現れたのだ。それが失われた今、ここは何の意味もなさない。
それでも。もう一度、彼女が現れるかもしれない。
その思いは消せず、どこへも繋がらない通路への石壁を潰すことはできないでいた。
国境を離れるツィウク家の一行の中にモリーネがいたことをネセインが確認している。彼女は、生きて、タラントに戻った。
これでツィウクの娘の失踪事件は解決した。彼女の犠牲を償うため、タラント国やツィウク家との交渉を行っているが。彼女を使ってタラントが王太子暗殺に関わっていたのではないかとのあらぬ噂がハラディルフ国内に流れ、関係改善には時間がかかりそうだった。
特にツィウク家は流通関係の交渉には応じるが、モリーネの話になると口をつぐみ、一切を拒絶している。
彼女が戻ったことで、今後の交渉は進むだろうが。
モリーネ自身へは、どう償えばいいのだろう。あの時、自分が判断を間違えなければ得られただろうものを彼女に与えることができるだろうか。
彼女の望みは何だったのか。何が正解だったのか、今でもわからずにいる。
彼女は、何を思っているのだろう。
アレグイルはじっと壁を見つめていた。




