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第26話(湖へ)

 

 傷が塞がり出歩くことができるようになったモリーネは、さっそくあの湖へ行ってみたいとテラに告げた。

 すると、もちろん許可は出たのだけれど。

 街を上げての大騒動になってしまった。祭りかと思うほどの騒ぎである。

 仔馬がひく屋根のない小さな馬車に乗ったモリーネを、大勢の街の人々が道中に並んで見送った。人々の手からモリーネに向かって花が撒かれている。

 それだけではない。モリーネの前後には領主館の人々が行列を作り、その中には領主の姿もある。領主一家をさしおき、モリーネだけがゆっくりとした歩みの馬車に乗っているのだ。それはそれは大仰な行列になっていた。

 こんなことになるとは部屋を出るまで知らなかったモリーネは、人々に笑顔を返すことしかできなかった。

 この騒ぎを止めて欲しいとは、言えなかった。どの人々もみな、それは嬉しそうな表情であったし、馬車の前後にいる領主館の人々は誇らしげであったので。


「テラ……どうしてこんなに、皆が見ているの?」

「モリーネお嬢様がお元気になられて、喜んでいるのですよ」


 モリーネは笑顔を張り付けたまま馬車の横を歩くテラに問いかけた。

 それにテラがにっこりと笑顔で答えたけれど、その答えにモリーネは全く納得できなかった。客人の怪我の快復は喜ばしい出来事だというのはわかる。が、それだけにしてはこの人々の盛り上がりは、ちょっと考えられない。


「私のこと、仔犬の王妃の生まれ変わりじゃないって、みんな知ってるわよね?」

「ええ。もちろん存じておりますとも」


 テラのにこやかな笑みの中に、語らない言葉があることが感じ取れる。

 それを、モリーネは引き出す術を持たなかった。つまり、テラの無言に、負けた。

 そうしてモリーネが異様に持ち上げられた状況のまま到着した湖は底まで透き通るような澄んだ水で満ちていた。

 水辺に近付くと、水中からほんのりと緑の光が放たれているのを見ることができる。おそらく、あのあたりに沈んでいるのだろう。

 モリーネがその光の元に目をこらしているところへ、数人の男性が現れた。


「オルレイゲン殿下……」


 数人の騎士を連れた、ハラディルフ王国第二王子だった。金髪をなびかせ麗しい顔に頬笑みを浮かべていて、モリーネはその美しさに目を奪われた。


「何があるのかと思って来てみれば、タラントのお嬢様じゃないか」


 オルレイゲンは騎士達を制し、モリーネに歩み寄ってくる。テラやそばに付いていた女性達が、即座に警戒するようにモリーネの前を塞いだ。

 モリーネにはその彼女等の行動が非常に不思議だった。オルレイゲンはこの国の王子であり、それを知らないとしても見事な美貌の青年で非常に身分の高いことは誰にでもわかる。彼に付き従っている騎士達を含む彼等の身につけている物からは、高貴な身であることが滲み出ているのだから。

 それなのに、彼女達はとっさにモリーネを守ろうと動いている。モリーネがチラリと見れば、彼女達ばかりではなく、他の人々も騎士達の動きを警戒しているのが目に入った。

 その場の空気は、爽やかな晴天に似合わず緊張を孕んでいた。


「やぁ、久しぶりだね。タラントのお嬢様」


 気安くモリーネに話しかけてきたオルレイゲンは美しい笑みを浮かべていた。しかし、どうやら彼はモリーネの名前を忘れているようだった。

 あんなに振り回していたと言うのに、名前も覚えられていないとは。


「お久しぶりです、オルレイゲン殿下」


 モリーネはテラ達の身体越しに答えた。

 後ろに隠れたままのモリーネが気に入らなかったのか、彼はあからさまに顔を顰めた。先程までの笑みが冷笑に変わる。


「ところで、君はここで何をしているの?」

「別に、何も。この湖を見に来ただけですから」

「そうなんだ。王宮では暗殺者から王太子を身を楯にして守ったタラントの娘が消えたと大騒ぎしていたというのに。こんなところに隠していたとはね。王太子も人が悪い。仔犬の王妃がここから王宮へ向かったように、君がその役目を果たすのかな?」

「……そんな、こと、あるわけないです」

「じゃあどうして君がここにいるの? 君が仔犬の王妃の生まれ変わりを演じるつもりがあるからだろう?」


 仔犬の王妃の生まれ変わりを演じる? 王宮へ向かう? 何を言っているの?

 モリーネには彼の言葉が理解できない。

 彼の声は陰鬱で執拗だった。モリーネが否定しているのに、それを受け入れようとはしない。自分の考えが正しいと思っているからなのだろう。

 モリーネはオルレイゲンとの会話が苦痛だった。


「そんなつもりはありません。生まれ変わりだなんて嘘をついて何になるんですか?」

「何って、君。王妃になるんだろう?」

「……私が王妃? 妃にだってなる予定ありません。私はただのタラント使節団の連れなんですから」

「そうなんだ。ふうん」


 ジロジロと不躾な眼差しでオルレイゲンはモリーネを見つめる。

 そして。


「一つ警告しておく。王都に向かわない方がいい。王ユェイルンの生まれ変わりは、王太子ではなく、私だ」

「……生まれ変わり? 一体、何を……」


 何を言い出すのだろう、この人は。

 モリーネは彼の言葉に困惑した。彼が王ユェイルンの生まれ変わりだったら何だというのだろう。モリーネには彼の言いたいことが理解できなかった。


「私にははっきりとユェイルンだった時の記憶が残っている。君が仔犬の王妃の生まれ変わりなら、王太子ではなく、私を守れ」


 王ユェイルンだった時の記憶がある? だから従えって? 守れって? そんなのおかしい!

 そうか。彼は自分が生まれ変わりだと思っているから、自分がアレグイルの立場ならやりそうなことを考えるんだ。だから、私が仔犬の王妃として王都へ行こうとしているなんて。

 モリーネはやっと彼の意図を知った。


「私は仔犬の王妃の生まれ変わりじゃないし、アレグイルを守ったわけじゃないわ。結果的にそうなった、のかも、しれないけど」

「……王太子殿下ではなく、アレグイル、と呼ぶんだね?」


 しまった。うっかり口にしてしまった。

 モリーネは唇をかんだ。アレグイルを王太子殿下と呼ぶことに、まだ慣れてはいなかったから、咄嗟には出てこなかったのだ。


「まあ、いい。あれから一年。そろそろ動くだろうと思っていた。タラントのお嬢様、こんな形で再会するとは、とても残念だよ」


 オルレイゲンは冷ややかな表情で騎士達とともに去っていった。その顔が非常に美しすぎて簡単に記憶からは消せそうになかった。モリーネにはオルレイゲンが狂気に染まっているように見え、その存在に不安を掻き立てられる。

 姿が見えなくなり、モリーネはほっとその場に膝をついた。


「モリーネお嬢様、大丈夫でございますか?」

「え、ええ、大丈夫。大丈夫よ」


 彼は、あれから一年と言った。あれから、とは、王太子宮のアレグイルの部屋へ入った日から、ということだろうか。

 モリーネは声を落してそばにいるテラに尋ねた。


「ねえ、テラ。王太子宮に不審者が入り込んだ事件があったこと、知っている?」

「はい。知っております」

「それって、いつのこと?」

「そうですね、一年ほど前、でしょうか」


 テラは、この街に噂が届いたのは事件からしばらく経ってからでしたが、と苦笑しながら言葉を続ける。その表情は、言葉が真実であることをひしひしとモリーネに感じさせた。

 モリーネは、必死に頭を働かせて無い知恵をふり絞る。

 あれから、一年も経っている、って。そういえば、アレグイルが言ってたじゃないの。彼にとって数年の時が経っていたって。

 あの現象が起こる時は、時間を越えるということ、で。

 一年? どうしてそんな時が流れているの?

 それを言えば、どうして場所を移動してるのかってことになるし。

 モリーネの頭は混乱でぐるぐるしている。そんなモリーネに、控えめな口調でテラが問いかけた。


「モリーネお嬢様。もしかして、王太子殿下をお守りするために暗殺者の前に立った女性というのは、モリーネお嬢様なので、ございますか?」

「王太子宮に不審者が入り込んだ事件が他にあるなら、たぶん違うわ。私はアレグイルじゃなくて王太子殿下を守るために暗殺者の前に出たわけじゃないから。ただ、暗殺者の前に私がいたから邪魔で、真っ先に斬られただけよ」

「その傷が……」

「王太子殿下をお守りした傷……」

「だから、違うのよ。たまたま遭遇して避けられなかっただけだから」

「王太子殿下をお守りするなんて、やはり仔犬の王妃様の生まれ変わり……」

「違うわよ! 絶対に違うわよっ! 仔犬はそこにいるから! 湖に入っていったからっ」

「湖に入って行かれるのを、ご覧になったのですか?」

「見たわよ。見た見た。ええ、見たわ。にって笑って歩いて行ったから。だから、私じゃないから」

「仔犬様がお戻りになったのですか?」

「この湖に、仔犬様がお戻りに!?」

「やはり仔犬様はこの湖を大切に思っておられたんだ」

「仔犬様がお戻りになってる!?」


 モリーネの周りにいた人々は口々に歓喜の声を上げ始めた。モリーネはさっきのオルレイゲンの応対から立ち直っていないと言うのに、そんなことはまるでなかったかのように大騒ぎになっていた。

 仔犬様が湖に戻られた!と叫びながら誰かが走っていく。

 あぁ、他の街の人々に伝えに行ったらしい。

 そんな風に目に映る景色を冷静に判断する一方で、モリーネを取り囲む人達の興奮には押されすぎで満足な返事ができないでいた。


「仔犬様のお姿を拝見できるなんて」

「本当にモリーネお嬢様は、仔犬様に選ばれた方なのですね」

「いやっ、ち、がっ」

「仔犬様はどのようなお姿なのですか?」

「私もそれをお聞きしたいです」

「さすがモリーネお嬢様は只者ではないと思っておりました。あの第二王子が何をしようとも、私達が必ずお守りいたします」

「もちろんです。モリーネお嬢様をお守りいたしましょう」


 否定しようとすればするほど深みにはまり、モリーネはいつの間にか、仔犬様に選ばれた人として祭り上げられていた。

 その日は仔犬様が戻ったと街中が歓喜に沸き、アンデの領主にも感謝されたモリーネは作り笑顔を返すしかなかった。

 

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