第21話(部屋)
アレグイルはモリーネの兄からやや強引にモリーネを王太子宮へと連れて行く許可を取りつけた。バルデスは渋い表情でアレグイルのやり方には反対しているようだ。しかし、モリーネを、独身の貴族女性を王太子宮へ招くと正式に申し込めば事態は大きくなってしまう。それは彼女のためにならないだろう。
タラント使節団であるカッセウ氏は喜んでいるが、モリーネの兄にとって王太子宮への招待は嬉しいことではないらしい。機会を改めれば、モリーネを連れて出られない可能性がある。
そうした諸々の事情から、アレグイルはモリーネを連れて出たのだったが。
「モリー、どうかしたか?」
王太子宮敷地内の小道を二人で歩いているのだが、アレグイルの横を歩くモリーネはぎくしゃくとぎこちなく歩いている。目の前にそびえる宮を見つめる表情は、笑みを浮かべているものの非常に硬い。西宮での彼女のような打ち解けた様子はなく、昨夜の彼女に似ており、アレグイルは戸惑っていた。
彼女の兄に無理に応と言わせたことが、彼女の気を悪くしたのだろうか。アレグイルは彼女の反応が気にかかり、歩きながらそっと隣のモリーネを見下ろす。
「……気に、しないで……」
モリーネの返事はごにょごにょと短く消えた。
明るい日差しの下、彼女は赤い頬でじっと前を睨むように見つめている。時折、アレグイルの方をちらりと見上げてくるが、すぐに前を向いてしまう。なんとも落ち着きのない様子だった。
ちらちらとこちらをうかがっている彼女の様子に、アレグイルは足を止めた。アレグイルの腕に手をかけているモリーネも自然と歩みを止める。そして、腕から彼女の手をとり、あれ?と見上げてくるモリーネと向かい合うように立った。
ちょうどモリーネの頭がアレグイルの顎くらいの位置にある。ダンスを踊るほどの近い距離のため、ぐっと顎を引いたモリーネの目がうろたえたように自分の胸元を彷徨っている。夜と違い、その様子がなんとはっきり見えることだろう。アレグイルは声を落としてモリーネに告げた。できるだけ、相手を威圧しないようにと、気を配って。
「モリーネ。嫌な事があるなら言って欲しい。私の目つきや態度が、女性を不快にするということは、わかっているつもりだ」
「ち、っ、違うの、よ……」
モリーネは慌てて言葉を発するが、音程は奇妙に不安定で頼りない。目をグルグルと彷徨わせ、チラリと見上げてはモリーネは困ったような顔で視線を落とす。その顔は、紅潮しているようで、ほんのり赤みを帯びていた。
「嫌な事、なんて……別に……」
モリーネはもじもじと手を揉むように動かし、居心地悪そうにそわそわしているのだが。何度もアレグイルを見上げては、表情を奇妙に崩していた。それは、とても嫌がっているという様子ではなく、むしろ……。
それをじっと見下ろしていたアレグイルは、口元を緩めた。くすぐったいような、いたたまれないような気分だった。
女性が頬を染めるというのは、こういうことかとようやく思い至ったのだ。
「違うなら、いい」
アレグイルの声も少々異変をきたしていたが、素知らぬふりで彼女を王太子宮へと促した。
横に並んで歩いている間は無言だったが、アレグイルにとってそれは気不味いものではなかった。何度か横をうかがうように見下ろしては、彼女がチラチラと見上げるのを好ましく気恥かしく感じていた。
「あの……不快とかじゃ、なくて……。その、かっこいいなって思うと、緊張してしまう癖があって……。だから、気に、しないで……」
モリーネは歩きながら途切れ途切れに必死で言葉を口にしたらしいのだが。それに、アレグイルは返事をすることができなかった。口元を手で隠し、照れ臭さを噛み殺すので精一杯だった。
無言のまま二人は王太子宮へと入っていった。
王太子宮で働いている者達は、王太子が女性を連れていることに驚きはしたが、そう簡単に表情には出したりしない。だが、多くは非常に戸惑っていた。
王太子暗殺の首謀者と思われていた元王妃が王宮を去ったとはいえ、まだ王太子宮は暗殺警戒にピリピリしている状況なのだ。
そこへ、誰ともしれない他国のドレスを着た女性が入ってくることに疑問を持たないはずはない。王太子が同伴しているとはいえ、こんなことは全く予定にないことで。普段の王太子からは考えられない行動だった。
そんな周囲にかまわず、アレグイルはモリーネを連れて奥の自室へと進んだ。
アレグイルでも、自室にモリーネがいる姿を見るのは、感慨深いものがあった。不思議な出来事が、事実であったことの証明でもあるのだ。
モリーネを寝室へ導く時には、さすがに控えている女官達や騎士達が無言で咎めるのをアレグイルは苦笑で返した。後で何か言い訳をしておく必要がありそうだ。
そんなアレグイルと彼等のやり取りにはいっさい気付かないモリーネが感嘆の声を漏らした。
「あぁ、ここ、が……」
彼女は寝室へ足を踏み入れた途端、息を飲んで立ち尽くした。ぐるりと室内を見回すと、壁際に置かれた家具へと走り寄り、手を触れる。そして細かな細工をじっくりと確認した後、足下の敷物や石壁、天井などへ視線を巡らせながら、ふらふらと歩いて手で触れることを繰り返した。
アレグイルの存在すら忘れているかのようなモリーネを、アレグイルは笑みを浮かべて見守った。
モリーネは気に入っていたベッドへ近付き、そこから隠し通路のある石の壁までを歩き、膝をついてその場の敷物を撫でた。まだその感触を覚えているのだろうか。
遠慮もなく無断であちこちに触れては懐かしむ彼女の様子は、部屋の隅に控えている者達には理解できないことらしく、皆、疑問や戸惑いを露わにしていた。だが、モリーネはキラキラと瞳を輝かせている。
「この壁でしょう? 開けてみて?」
壁を叩いていて催促するモリーネに、そこに通路があることを知っている騎士は驚いていた。訝しむ感情が読み取れる。
王族でもない彼女に何故教えたのかと思っているのだ。教えたわけではないと、後でどうやって誤解を解くべきかと思いながらアレグイルは壁を開く操作を行う。
ゴゴッという石の擦れる音がして、壁がゆっくりと動いた。
その石壁の前で待っていたモリーネの目が大きく見開かれる。
「あっ」
と、開いた口のままに立ちつくす。
石壁から突き出た剣先が、彼女の胸元を横に滑った。
赤い血が飛び散り、モリーネがその場に崩れるように膝を折る。
アレグイルの目には全てがゆっくりと映っていた。
「モリーーーーっ!」
アレグイルはモリーネの側に駆け寄ろうとした。が、通路から現れた男達が立ちはだかった。
「殿下っ」
「侵入者だっ!」
「殿下をお守りしろっ」
部屋にいた警護の騎士達が剣を抜き、男達に対峙する。その男達は、黒ずくめで顔を隠すように頭にも黒い布を巻いていた。
アレグイルも黒い男が繰り出す剣を避け、腰の剣を抜き相対する。だが、今日腰に携えているのは、いつものアレグイルの剣ではなく貴族子息が持つ飾りの剣だ。防ぐのがやっとだった。
男達は皆手練れらしく騎士達もすぐに切り捨てることができない。
立て続けに上がる怒号、悲鳴。
複数の剣が合わさる度に響く金属音。
そして、ガシャッ、ガシャンと壊れる物音。
アレグイルが男の剣を受けつつモリーネを見れば、彼女のドレスの上半身は赤く血に染まっていた。モリーネは上体をゆっくりと前のめりに傾いでいく。
早く、早く彼女を助けなければ。
しかし、目の前の敵を簡単に押し返すことはできなかった。焦りが手元を狂わせ、切りつけることはできても致命傷を与えることができない。
剣の音だけが響いていた時間は長く感じられたが、それほどの時間ではなかった。
隣室から駆け付けた騎士が寝室へ入ってくると、男達は観念したのか隠し扉へと逃走を図った。その方向にはモリーネが、と目で探せば。
彼女は開いた石壁のそばで四つん這いになっていた。
「モリーーっ、逃げろぉっ!!」
彼女に向かってそう叫んだが、モリーネは反応しない。聞こえていないのか、彼女は石壁の方へと身体をのばしている。
そっちへ逃げては駄目だ!
しかしアレグイルの嘆きは彼女には伝わらない。
その通路へ向かい逃走しようとする男が剣をふり上げた。それは邪魔な彼女をなぎ払うためのものに違いない。
黒ずくめの男達の何人かは、その背後から騎士の剣に倒れる。だが先頭の一人がそれを逃れ、モリーネへと迫った。
モリーネはなんとか寝転がるようにして通路へと身体をすすめている。彼女が姿勢を低くしたため、男は剣を握りなおした。薙ぐのではなく突き刺せるように。
逃げるならそのまま走ればいいものを。彼女に留めを刺そうというのか、道連れにしようというのか。男は縦に握った剣を降ろす。彼女の横腹に向けて。
間に合わない。それは自分だけでなく、どの騎士が動いても、おそらく。
だが、それがわかりきっていても。
それでも足を止めることは出来ない。わずかな可能性があるなら。
彼女の上へ振り下ろされる切っ先が光る。
あと少し。
時間がかせげたなら。間に合う。
倒れた男達の動きに神経を研ぎ澄まし、突き出される剣を雑に払い、身体を前へ進める。目はモリーネの身体を捕えていた。
彼女の上半身の一部はすでに通路の奥へと隠れて見えない。彼女の動きは遅い。
その彼女へ向けて、下がる刃。
あと一歩。
ガシャッという石に当たる金属音がした。
剣を振り下ろした男がそこで動きを止めた一瞬。アレグイルはその背を斜めに一閃した。
男が血飛沫を上げその場に倒れる。
その男の剣の先に、彼女の姿はなかった。
そこには、石壁へむかって擦られた血の跡が残っていたが、倒れた男の作る血だまりに飲み込まれていった。
ガッ。
アレグイルは手にしていた剣を感情のままに振り下ろした。
剣先が敷物を通り抜け到達した石床へ届き、固い衝撃がその手に伝わる。
柄を握り締めた拳を緩めることはできず、やり場のない感情をどうすることもできなかった。
彼女の姿がないことは、あの石の壁に向こうに彼女が帰ったのだと頭の隅で理解してはいた。だが。
彼女の血とそこに倒れた男から噴き出した血の色に、湧きおこる狂気を鎮めることは出来なかった。
なぜ。一体、なぜ。
三度目に会った彼女は笑っていた。いつもと違い、非常に短い遭遇でしかなかったが。
彼女は自分の願いを叶えてくれてありがとう、そう言ったのだ。それはとても嬉しそうな笑顔で。
それなのに、なぜ、彼女が、こんな目にあわなければならないのか。
……彼女の願いを、間違えたのか?
間違えたなら、傷ついたモリーネがあの彼女ではないなら、彼女の未来は? 未来が、消えるということも、あり得るのか?
そんなはずはない。生きている。彼女は、きっと生きている。そうでなければ、わざわざ姿を消すはずがない。空間を時間を越えるはずがないのだ。
今までなら、ここと彼女の時間は数年違いで向こうが未来だった。
ならば、今度もそうなのか?
一年後か? 三年後か? 五年後か? もっと先か?
モリーネはきっと生きている。未来に。
あの傷を負って。
すぐにでも手当てをしなければならないというのに。
今、どこにいるのか。今、どうしているのか。
こんな目に合わせると知っていたら、絶対ここへ連れてきたりはしなかった。
もしも、自分が何かを間違ったのなら。三度目に会った彼女へとつながる未来は、もうないのだろうか。
アレグイルは虚空を見つめて立ち尽くしていた。




