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第19話(お忍び)

 

 モリーネはアレグイルを振り払い、兄ラフィールの元へと戻った。広間を彼女一人が歩いていても、注目を浴びることはなかった。

 ラフィールのもとにはまだ何人もの人が残っていて、王太子と一緒でないモリーネに視線を向けた。彼等は一様にがっかりした表情を浮かべて。

 モリーネはそんな人々の集団に躊躇したが、兄ラフィールだけは、ほっとした様子でモリーネを迎えた。


「モリーネ。今夜はもう十分だ。戻ろう」


 兄ラフィールは戻ってきたモリーネの手をとり、すぐさま人々の中から抜け出した。必要な挨拶はすべて終わっているので、これ以上ツィウク兄妹が残る理由はない。若い娘が一緒なのだから、早めの退出はむしろ当然のことだ。後のことはカッセウ氏達にまかせ、兄妹は会場から足早に立ち去った。




「さて、モリーネ。どういうことなのか聞かせてもらおうか」


 モリーネを部屋まで送ったラフィールは、そのまま室内に入るとすぐに彼女へ話しかけた。


「何を?」

「とぼけるんじゃない。オルレイゲン殿下と王太子殿下のことだ。何かしたり、その、されたりしたのか?」

「何もしてないわよ。されてもいないし」

「……王族には近付くなと言っておいただろう?」

「近付いたわけじゃないわ。あっちが勝手に近付いてきたのよ? 兄様だってっ」


 モリーネはつい大声を上げそうになり、はっと口を押さえた。夜の空気は、思ったより声が通ってしまうのだ。片隅に控えている侍女ミルダも顔を顰めている。

 モリーネはやや声を潜め、疲れたような素振りで兄に訴えた。


「兄様、話は明日にしましょ? もう眠いし」

「いや、しかしだな。王族と下手に関わりを持っては……」

「向こうが勝手に来る場合は、防ぎようがないじゃない。兄様ったら、全然助けてくれなかったし」

「うーっ、確かに助けてやれなかったが……」

「と・に・か・くっ、明日。明日にしてっ」


 むうっと頬を膨らませたモリーネに、兄は渋々頷いた。本当は今すぐ詳しく訊き出したかったのだが、夜更けに声を荒げるような話になってもまずい。モリーネも慣れない異国の宴に出て疲れてもいるだろうし、少々混乱しているようでもあった。ラフィールも、王太子に対して断らなかったことを負い目に感じており、モリーネの言い分を飲むことにした。


「仕方がない。明日、朝一番に話を聞く。いいな?」

「はーーい」


 兄ラフィールの頭の中には様々な疑問や問題が駆け巡り、とても眠りなどつけそうにない。

 とにかく明日の朝を待つしかないと、ラフィールは重い足取りで自室へと戻った。その少し後にはデイルダン卿とカッセウ氏も戻り、タラント使節団の泊る西宮は夜を迎えた。




 翌朝、モリーネは長くベッドで愚図っていた。兄と話をしなければならないことが億劫で、とても起きる気にはなれない。うーんと呻きながら、モリーネはベッドでごろごろ転がった。

 昨夜のことは、モリーネだって驚いているのだ。何がどうなっているのか聞きたいのはこっちの方だと思っていたりする。


「モリーネお嬢様、さすがにラフィール様が苛々なさっていますよ。このままだと部屋まで乗り込んでくるんじゃありませんか?」


 ミルダがドレスの準備をしながらベッドで粘るモリーネに声をかけた。病気でもないのに何を甘えているのやらと呆れているらしく、その視線は冷たい。

 昨夜はとっても疲れたんだからもっと労わってくれてもいいのにと自分勝手なことを思いながら、モリーネはようやく起き上がった。


「昨日は疲れたのよ」

「そうですか」


 冷たい。冷たすぎる。と、モリーネがベッドに座ったまま項垂れているところへ、ミルダは容赦なく言い放つ。


「何をもたもたしているんです。良家のお嬢様は一夜の夜会くらいで疲れたりしません。昼会と昼中会と夜会のセットを二週間連続でこなしてから疲れてると言ってください」


 えーっそんな無茶すぎるとのモリーネの心中は、口に出す前に切り捨てられた。容赦なくミルダにベッドから追い立てられ、モリーネは今日の仕度に取り掛かった。




 兄ラフィールは、なかなか起きてこないモリーネに苛々していたのだが。朝から女性を急かすものではないとカッセウ氏に諭されていた。

 デイルダン卿はすでに王宮へ出向いており、カッセウ氏は昨夜のことを把握したいと居間に残っている。モリーネから話を聞こうと待っているのだ。

 カッセウ氏もデイルダン卿も、今朝はそこはかとなく機嫌がいい。二人は、昨夜の様子からモリーネ嬢がハラディルフ王国との交渉に十分役立ってくれそうだと期待しているらしい。前回までの交渉と打って変わり、順調に進んでいる今回の交渉開始早々に、あのような場で王族がタラントの女性に声をかけるとは。ハラディルフの王族がタラントを毛嫌いしているという過去の払拭には十分な効果を期待できるのではないか、と。

 そんな期待を抱く二人と違い、ラフィールの心中は複雑だ。交渉を進めたいのは山々だが、妹を王族と関わらせたくはない。昨夜だけで十分だろうと思っていた。だが、カッセウ氏達は、今後もモリーネを王太子達の前に出そうとするだろう。どうにかしなければ。

 大体、ごく普通の貴族娘である妹になぜ王子達が声をかけていたのか。一夜明けて、やはり王子達の確執のせいではないかとラフィールは考えていた。

 王太子暗殺に関わった母をもつ美貌の第二王子。彼が声をかけた妹に王太子も興味を持った。そんなところではないかと。

 カッセウ氏は、モリーネに興味をもつ理由などさして重要と思っていないようだったが。


 焦れ焦れとモリーネを待つラフィール達のもとへ客の来訪が告げられた。

 客の名は、バルデス・ファンテルグ氏。ハラディルフ王国の王宮で執務に関わる官僚の一人だが、これまでの交渉で接触はない。彼の担当は外交ではないのだろう。

 そんな人物が何用でこんなところへわざわざ足を運んでくるのか? 何の前触れもなく。普通なら、前もって面会の日時を連絡するものだが。

 ラフィールには昨夜のモリーネのことが頭をよぎった。ハラディルフ王国の男性には、ひょっとしてモリーネのような地味な娘が意外に受けがいいのだろうか。王族ではなく、ファンテルグ氏のような将来有望な貴族の息子と縁が結べるなら……。

 ラフィールはカッセウ氏とともに、客を居間へと招き入れた。

 入ってきたのは、おそらくファンテルグ氏だろうと思われる男性と、普通の貴族を装っているらしい、王太子だった。

 ラフィールの顔も、カッセウ氏の顔も、一瞬で強張る。

 昨夜会ったばかりである。王太子の顔を見間違えるはずもない。たとえ普通の貴族子息のようにやや地味な服装で身を固めていたとしても。

 ラフィールの中で、妹とファンテルグ氏との縁は、脆く崩れ去った。

 彼等がここを訪ねてきたのは、紛れもなく妹モリーネが目的だ。ファンテルグ氏は、王太子が隠れるための人物であり、ここへきたのは王太子の意向と考えて間違いない。

 鋭い眼光でこちらを威圧し、この部屋すべてに圧力をかける鬱陶しい王太子。なぜ、モリーネがこんなのに目につけられるような事態を招いたのか。今朝、部屋に押しかけてでもモリーネに話を聞いておくのだった。いや、昨夜少しでも話を聞いておけば。

 ラフィールは激しく後悔した。後悔など何の役にも立たないと知ってはいたが。


「バルデス・ファンテルグです。以後、お見知りおきを。私の友人がどうしても貴方の妹モリーネ・ザイ・ツィウク嬢と会いたいと申しておりましてね」


 にっこりと愛想のよい笑みを浮かべファンテルグ氏が挨拶を述べた。険しい顔の王太子の横で。




「どうしたのよ、兄様。急いで来いだなんて」


 そう軽口をたたきながら居間に入ってきた妹に、ラフィールは慌てて歩み寄る。妹をファルテング氏達から遮るようにしながら。

 ラフィールは、早く来いと急かしたが、王太子が来ているとは告げなかった。

 王太子はファンテルグ氏の友人と名乗っており、訪ねてきたのはお忍びでの行動だ。そのため、女官へ告げるのを控えたのだ。

 モリーネは部屋の中を見た途端立ち止り、ぽかんと口を開けた。呆けた顔で、ソファに腰掛ける面々を見つめている。

 ラフィールはすぐさま小声で告げた。


「モリーネ。お前に客だ」


 モリーネはぱくぱくと声にならないまま口を動かし、ソファとラフィールを交互に見やる。何度か繰り返した後、我に返ったモリーネが小声で尋ねる。


「な、んで、アレ……、来てるの?」

「わからない。やっぱりお前が昨夜何かしたんじゃないのか?」

「してないって言ってるでしょっ」

「じゃあ、どうして殿下がお前を訪ねてくるんだ?」

「私にわかるわけないじゃない? 何しに来たの?」

「殿下がお前に会いたかったらしい。一応、お忍びらしく、ファンテルグ氏の友人として来ている。殿下と呼ぶんじゃないぞ?」

「何、それ?」


 兄妹がごちゃごちゃと戸口付近で話している間、カッセウ氏はソファで非常に居心地の悪い思いをしていた。

 目の前に座る王太子が兄妹を睨みつけており、その隣のファンテルグ氏がまあまあと宥めているのだから。

 カッセウ氏には、王太子がモリーネに対して好意を抱いているのか不興を抱いているのかの判断がつかないでいた。何となく後者かと思いはしていたが。できれば前者であって欲しいのだ。タラントとしては。

 ようやくモリーネがソファへと歩み寄ってきた。ハラディルフの客人はようやく表情を緩めていた。

 王太子はすっと立ち上がり、モリーネの前に首を垂れた。彼女の手をすくいあげると、最上礼の姿勢をとる。

 モリーネは二度目なので、それを冷静に受けていたが。周囲の男達は驚きに目を見開いていた。

 王太子が最上礼を行うなどと我が目を疑っても不思議ではない。モリーネを誰かと間違えているのか?と思っても、王太子相手にそれをここで告げるのは憚られた。

 奇妙な表情の三人に見守られ、モリーネはアレグイルと再び向き合うことになった。昨夜と同様、状況が全く飲み込めないまま。


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