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第16話(宴)

 

 モリーネは兄ラフィールの腕をとり、宴の会場へと足を踏み入れた。

 そこは壁や天井から吊るされた灯りが照らす広い空間だった。中央奥の少々高い位置にある場所が、ハラディルフ王国国王の席なのだろう。

 広間は着飾った男女で賑わっていた。多くの女性は胸元を大きく露出したドレスを着ており、その胸元には華美な宝石が飾られている。その艶やかな彼女達の様子にモリーネは圧倒されてしまった。タラントのドレスを着た自分はなんと地味に見えることか。

 モリーネの脳裏をちらりとミルダの発言が蘇った。アレグイルの前で背中のボタンを外したと説明した時のミルダの説教である。はしたないと思われるとか何とか言っていたけれど。


「私がちょっとくらい背中を見せたから何だっていうの? この国のドレスは胸元も背中も見せまくってるじゃない」


 モリーネがうっかり呟いた言葉には明らかな批難が込もってしまった。この国を批判するような発言は控えなければならないのに。失言を聞かれてないかとモリーネは慌てて周囲を見回す。

 そんなキョロキョロと落ち着きのないモリーネに兄が答えた。


「あぁいうドレスがこの国では人気だね。王宮へ来るような家柄の女性なら。でも、お前があんなドレスを家で着たら、母上は卒倒するだろうね」


 兄の声は冗談めかして笑っている。兄が咎めなかったのは、モリーネがすぐに気付いたのと他に聞かれていなかったせいだろうが、不注意には違いない。モリーネは言葉で謝る代わりに首を竦めて見せた。


「明日、ドレスを買いに行った方がいいと思う?」

「いや。我々はタラント国の者だから、それと一目でわかるドレスの方がいいな」

「私にはあれが似合わないと、思ってるでしょ」

「……そんなことは、ないよ」


 遅れた返事には兄のいろんな感情が込められているらしい。モリーネは兄を睨みあげたが、兄は目を合わそうとしなかった。

 私だってあれを着れば雰囲気が変わるわよと言ってやりたかったけど。ここは大人になってあげようとモリーネは兄と同様にあたりへ視線を流すことにした。


 タラント使節団の一行に混ざってモリーネは様々な人と挨拶の言葉を交わした。次々と人々が近付いてくる。残念なことに、言葉を交わす人々は皆この国にやってきた他国の使者ばかりだった。

 モリーネが親しく言葉を交わすべきなのは、ハラディルフ王国の人だ。モリーネの役割は、モリーネ自身をこの国の貴族に結びつく物件としてそれとなく売り込むこと。そして、モリーネの目的はこの国のどこかにいるだろうアレグイルを探すことだから。でも、まだそのどちらも果たせそうになかった。

 焦っては駄目だと、モリーネは辛抱強くハラディルフの男性とお近づきになれるのを待った。この場にもそういう男性が何人かいるのは確かなのだから。

 

「中々うまく行ってる。もうすぐ王族が現れるらしいから、どこかで一休みしてくるといい」

「休んでいていいの?」

「モリーネは王族には関わらない方がいい。特にこの国ではね」


 兄が告げているのは、ツィウク家が王族との血縁関係は結ばないという方針のためだ。それにしても、しつこいほど念押しするので、よほどこの国の王族とは関わらせたくないらしい。暗殺事件が起こるくらいだから、警戒するのも無理はないかもしれない。

 モリーネは兄のそばを離れた。そして、休憩場所へと移動する。

 会場の片隅にはゆっくり休憩するための椅子が置かれた場所が用意されていた。そこから広間は見えないけれど、喧騒は聞こえるので様子が全くわからないわけではない。

 そこでモリーネは飲み物を頼み、椅子に腰を下ろした。

 どっと疲れが押し寄せ、重い息を吐く。慣れない会話に神経を注ぐのは、非常に疲れる。しかし、今夜はまだ終わってはいない。ここで力尽きるわけにはいかないとモリーネは気を引き締めた。

 他国の人と挨拶ばかりで、肝心のアレグイル探しの方はこれからが本番なのだ。

 そうしている間に、広間の方から音楽が消え、王族の入場が宣言された。

 しばらく後、賑やかな様子が戻った。音楽や人々の声が聞こえてくる。モリーネは届けられた飲み物をグッと飲み干し、そっと広間を覗いてみた。

 関わりを持つべきではないと認識しているけれど、他国の王子様を見たいとは思う。第二王子がすごく美しいなどと聞けば、なおのこと見ずには帰れない。

 要は見られなければいいのよ。

 モリーネはそう考えた。タラント国のセイフィル殿下に会っても何もないのだから、うっかり見られたところで何も起こりはしないはず。

 しかし。ほんの、ほんの少しだけ、好きになってはいけない人との運命の出会いというものに、憧れはあった。もしかして見染められたら、なんて。万が一、でも、そんなことになったら、なんて。

 モリーネは、それなりに、お年頃なのだった。


 そうっと覗いた広間では。

 美しい女性を二人伴った立派な男性が、少し高い位置にある椅子に座っているのが見えた。

 あれがハラディルフ王国の王様らしい。

 王様の周りには女性しかおらず、王子様が見当たらない。


「あれ? まだ王子様は来てないのかな?」

「来てますよ」


 うっかり呟いた言葉に返事が返ってきて驚いた。モリーネがいる休憩場所には他に誰もいない。

 声の主は、モリーネが覗いていた壁のそばから姿を現した。すぐ近くに人がいたらしい。

 その人は、涼しげな声で恐ろしく美しい顔の若い男性だった。彼の体格はまだ華奢で、二十歳前だろうと思われた。

 さらりと流れる金髪が灯りに照らされ輝いている。柔らかな光が照らす顔には頬笑みを浮かべ、美の神の化身かと思うほど優美な姿だった。セイフィル殿下が手の届きそうな人とすれば、彼は雲上の人といった感じだ。

 これが、きっと、第二王子。

 モリーネはごくりと唾を飲み込んだ。意外にも、モリーネは驚き呆気にとられたが、一呼吸おけば素を取り戻した。緊張はない。彼があまりに美しすぎて、男性とは思えなかったのだ。むしろ、美しい芸術品を目の前にしているような。


「えっと。王子様、ですか?」


 モリーネはまじまじと無遠慮なほど彼を見つめてしまった。

 そんな彼女に戸惑ったのは彼の方だった。


「そうです。私は、ハラディルフ王国国王の息子オルレイゲンです。貴女のお名前を聞かせていただけますか?」

「はじめまして、オルレイゲン殿下。私はモリーネ・ザイ・ツィウク。タラント国から使節団とともにやってきました」

「あぁ、タラントから来た使節団か。長旅で疲れたでしょう」

「え、えぇ」


 なぜかオルレイゲン殿下は親しげにモリーネに話しかけてきた。

 これは、非常にまずい状況では……。この国の王族とは関わりたくないし。

 少し前まで、悲恋のロマンスが生まれるかもなどと思っていたはずなのに、モリーネはこの面倒な状況に顔をしかめた。


「私がここにいては迷惑?」


 オルレイゲンはモリーネのそばで小さく首を傾げて尋ねた。どうやらモリーネが嫌がっているのを感じ取っての言葉らしい。気落ちした様子の彼には、誰でも思わず否定しそうだ。が。


「いいえ。私は連れの元にもどりますから、ごゆっくりなさってください」


 モリーネは彼の横をすり抜けようとし、その進路を彼が塞いだ。あからさまな彼の妨害に、モリーネはむっと不機嫌な顔で彼を見上げた。

 オルレイゲンは涼しげな笑みを浮かべて見下ろしている。モリーネは彼の表情から何を考えているのか読み取ることがてきなかった。

 ちょっとからかうつもりの行動に思えるのだが、美しすぎる彼の顔はそんな感情を抱くように見えない。


「私が送っていくよ。そんなふうに逃げられると寂しいな」

「逃げてるってわかってて話しかけてくる方が変じゃありません?」

「やっぱり逃げてるの? はっきり言われると傷つくよ」

「全然傷ついてないみたいです」

「酷いな」


 オルレイゲンは苦笑しながらモリーネの腕を取った。彼が手を差し出しているのにモリーネが一向に従おうとしないからだ。


「モリーネの連れは、タラントの使節団の人だね。行こうか」


 モリーネは彼に引かれるようにして歩きはじめた。

 美しいオルレイゲンに腕を取られていると言うのに、モリーネは全くときめきを感じない。これがセイフィル殿下なら違っただろうが、オルレイゲンはモリーネにとって美しすぎた。美しい姿をした厄介な存在となっていた。

 モリーネは自分を良く見せたい相手でないと緊張しないこと、そして美しすぎるオルレイゲンはその対象外なんだな、と妙なことに感心していた。そんなことを考えるのは、王子オルレイゲンの隣を歩いている自分へ向けられる周囲の視線がとても痛かったためだ。

 広間の人々に見える場所にさしかかった頃から、モリーネは全ての目が自分を見ているのではないかと感じるほど多くの視線を浴びていた。人生かつてない出来事だ。

 美人な第二王子はハラディルフ王国でも注目度が高いと今更ながらに気付いたのだが、時すでに遅し。大注目の中、王子の腕を振り払うなどという行動に出られるはずがない。それくらいはモリーネにもわかっていたので、大人しく黙って歩くしかなかった。


「そんなに緊張しなくても。皆、見ているだけで貴女を襲ったりしないよ」


 オルレイゲンがモリーネに心配そうな声をかける。彼の笑みは美しく、途端に観衆がどよめいた。特に女性からの視線は凄まじいものがあり、モリーネに向け殺気を飛ばしてくる。

 これが、貴族娘の眼力……負けてなるものか。と、モリーネは眉間に力を込めた。

 そんなモリーネの隣で、オルレイゲンは周囲を流し見ていた。

 その様子に、人々が彼を見ていることを十分わかっていてモリーネに笑いかけているんだと気付いた。彼は自分の行動に周囲が反応することを面白がっているのだ。綺麗な顔をして、なんて悪趣味な。


「少しくらい声を聞かせておくれよ。怒っているのかい?」


 近くにいた若い女性がその言葉を聞きとったのだろう。モリーネをギッと睨んできた。睨まれなければいけないなんて理不尽過ぎる。モリーネは段々我慢がならなくなってきた。この隣を歩く美人に。


「もう黙って」


 アレグイルなりきりをしているわけでもないのにモリーネの目は据わっており、前方に顔をむけたまま。その態度はオルレイゲンを冷たくあしらっているかのようで、更なる怒りがモリーネへと向けられた。


「わかりました、モリーネ。貴女のお望みのままに」


 気落ちした風を装う美人の声にはほんの僅かにからかいが込められていた。それに気付く人はいなかったが。

 どうして私が睨まれないといけないわけ? 私を遊びに巻き込まないでよ! と叫びたいのをモリーネはひたすら我慢していた。




 兄ラフィールは愕然としていた。

 冷笑を浮かべた妹が第二王子に連れられ、大観衆の中を歩いてくるのだから。

 王族には近付くなと言っておいたのに、やはりあの美貌に負けてしまったのかと最初は思った。しかし、近付く二人の様子は、思っていたのとは違っているようだ。


「あのオルレイゲン殿下をモリーネ嬢が袖にしているように、見えるな」


 カッセウ氏がラフィールの横で呟いた。信じられないとでもいうように。

 しかし、兄ラフィールの目にもそう映っていた。カッセウ氏と同じく。

 冷ややかな笑みを浮かべたモリーネは、最近人前に出る時の表情であり、まさか殿下相手にそれを実行するとは思わなかった。そして、殿下がそんな妹の腕をとり機嫌を取るように微笑みかけている。殿下がモリーネ相手にそんな行動に出るなんて。

 目の前で見ている光景を理解できない信じたくない兄ラフィールだった。



「タラント国使節団の方ですね」

「はい、殿下。私はラフィール・ザイ・ツィウクと申します。妹がお世話をかけたようで」

「モリーネが戻るというので連れてきただけだよ。とても楽しかった」


 爽やかなオルレイゲンの言葉に、モリーネはぴくっと口端を動かしたが、黙って兄を見つめた。

 見つめられた兄は顔を引きつらせることしかできない。妹よ、何か言ってくれ、状況が全くわからないじゃないか。そう視線で訴えるのだが、モリーネは黙ったままで不機嫌な感情しか読みとれない。兄を助ける気はないようだった。

 そればかりかモリーネはオルレイゲンの腕から手を抜こうとしている。公衆の面前で男性を振り払うような真似をしては相手に恥をかかせてしまう。それを知らぬ妹ではないだろうに。

 オルレイゲンはモリーネの腕を簡単に逃がしたりはしなかった。面白そうに彼女を見降ろしていた。


「ありがとうございました。殿下」


 モリーネが何も言わないので、兄ラフィールが礼を述べた。本来なら、妹が殿下に言うべきだというのに。恨みがましい目を向けても、妹は不機嫌な顔を崩そうともしない。どうやら歯を食いしばっているらしいのだ。

 この状況で何を考えているのか。相当の理由があるんだろうな?という思いを込めてモリーネに手を差し出した。

 オルレイゲンから兄ラフィールへとモリーネの手が移され、モリーネの顔にはほっとした表情が浮かんだ。

 モリーネが苛立つような何かをしたのか、この王子が。兄ラフィールにとって、第二王子は政務に関与しない人物であるため特に気にも留めなかったのだが、わずかに不信感を抱かせた。


 モリーネが兄の横に立ち、オルレイゲンの方へ向き直った後、彼女は驚いたような表情で一点を見つめたまま棒立ちになってしまった。

 何処を見ているんだ? 送ってもらったのだから、オルレイゲン殿下に言葉をかけなければいけないだろう?

 そう思ったが、モリーネの視線の先を見て兄ラフィールも驚いた。

 数人の妃を連れた王太子がこちらを見ていたからである。

 

「アレ、グイル?」

「王太子殿下だっ。王太子殿下のお名を口にするなっ」


 ラフィールは慌ててモリーネの耳に告げた。

 モリーネの呟きは小さくて、聞き取りにくかったが。恐ろしいことに妹は王太子の名前を呼び捨てにした。第二王子には聞こえてしまったらしい。僅かに目を見張っている。

 ラフィールは冷やりと背筋が寒くなった。

 そして。

 王太子の視線は、第二王子がいるせいでこちらに向いているのではないことに気付いた。彼は妹モリーネを見ているのだ。

 何か咎められるようなことをしたのだろうか? さっきまでの第二王子に対するモリーネの態度のせいか?

 王族と関わるべきではないのに、よりによってきな臭い国の王子達と関わるとは。後でたっぷり言い聞かせておかなければ。

 兄ラフィールはモリーネと王太子、そして第二王子の様子を窺いながら硬直した笑みを浮かべていた。





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