第15話(王都)
モリーネ達タラント使節団一行は、王都への入都時に王宮への正式な客待遇で受け入れられた。兄ラフィールの予想と異なり、王宮の外郭に位置する西宮の一角に滞在することを許されたのだ。
「どうしたんだろう、一体」
戸惑う兄に、カッセウ氏は喜びをあらわにした。
「交渉が前進している証拠じゃないか? 今回はいい結果が得られるかもしれないぞ。ハラディルフ王宮内がごたごたしていて時期が悪いかと思ったが、案外、チャンスかもしれん」
「そうだといいですね。うちも今回こそは確実な進展が欲しいところですから」
使節団一行は、西宮の一室で顔を突き合わせていた。そこにモリーネも同席していたのだが、彼等の会話に参加したくはない。ただの同行者でしかないのだから。
しかし、兄もただの同行者という名目でハラディルフの貴族達との交流を深めてようとしており、それはタラントの国益のための働きかけでもあった。そのため、その場にモリーネがいることに誰も何も不思議に思わなかったらしい。その存在を忘れていただけかもしれなかったが。
モリーネは、今後についての話し合いが始まりそうな雰囲気を察し、慌てて存在を主張した。
「私はどの部屋を使えばよろしいの?」
その声に、ようやくソファに腰を下ろそうとしていたカッセウ氏がモリーネを見た。
デイルダン卿は疲れているのか、先にソファに腰をおろしている。
「ザイ・ツィウク嬢には一番明るい部屋がいいだろうな。よろしいですか、デイルダン卿?」
「ああ。それでいい」
「こちらのお嬢様を、中では一番明るくて女性の過ごしやすい部屋を、そしてその隣に兄の彼の部屋を選んで案内してくれ」
「はい、承知いたしました。ご案内いたします」
カッセウ氏は部屋にいた女官に声をかけた。王宮に勤める女官らしく、すっきりとした濃灰色のドレスで胸元には黄色の横線が入った飾りを付けている。女官によって横線の太さ、線の数が異なるので、それによって女官の地位を示しているらしい。
モリーネは兄ラフィールとともに案内する女官に従った。
王宮だけあって、石廊下はつるりと見事な光沢を放っている。各部屋の扉は重く頑丈で、しかも美しく彫刻されていて、モリーネ達が滞在している場所はすべての装飾が鳥柄で統一されているようだった。
「モリーネは部屋でゆっくりくつろいでおいで。疲れただろうから、今日の夕食は部屋に運ばせよう」
「わかったわ」
兄はモリーネの部屋まで送ると、そのまま元の部屋へと戻っていった。これから、今後のことを話しあうのだろう。王宮には招待されないと思っていたようだから、いろいろと予定を変更することがあるのかも。
モリーネの部屋は、上品な薄桃色が基調の可愛らしい部屋だった。大きな部屋ではないけれど、一つ一つの品々が洗練されていて、王都の賑わいが成程と思わせるものだった。
王都の大きさも人々の多さも街の活気も、兄ラフィールの言っていたように、タラントとは比較にならなかった。
「モリーネお嬢様、早く服を着替えてしまいましょう。土埃を落としてしまわないと」
ミルダは忙しそうに荷物を広げ、棚に片付けていた。
「そうね。さすがに疲れたわ。もう出なくていいみたいだから、夜着に着替えるわ」
「わかりました。こちらに水盥と布があります。この水、いい香り付きですよ。さすがハラディルフの王宮だけあって違いますね」
ミルダは感心しているけれど、モリーネはすっかり気力がなく、返事をするのも億劫なほどだった。
濡れた布でテキパキと身体を清めると、ミルダが準備した夜着に着替える。着慣れた緩い服にふっと一呼吸ついた。
「ミルダ。ちょっと疲れたから眠るわ。夕食は、そうねぇ、何か起きたらつまめる物をテーブルに置いておいてちょうだい。それ以外はいらないわ。あなたも疲れたでしょう。片づけ終わったら休んでいてちょうだい」
「はい。長い旅程でお疲れがたまっているのでしょう。ラフィール様にはお伝えしておきます」
モリーネはぐったりとベッドに倒れ込むと、ほどなく眠りが訪れた。くたくたで、これ以上、何もしたくなかった。そして、その願いは叶えられた。素晴らしく柔らかな寝具がモリーネに心地よい安眠へと導いてくれたのだ。
ミルダが片付ける時にたてる音も、窓から聞こえてくる音も、モリーネの眠りを妨げることはなく。モリーネが、ぐっすりと深い眠りから覚めたのは、翌朝の遅い時間だった。
「すっかり遅くなってしまったわ」
「お疲れだったのでしょう。はじめての長旅ですから」
「そうね。到着してほっとしたけど、帰りも同じだけ時間がかかるのよね。二週間もすれば、また馬車に閉じ込められた日々がくるのかと思うと、気が重いわ」
「まだ到着したばかりですのに、もう帰りの心配ですか? せっかくのハラディルフ王宮での滞在ですのに、もっと楽しんだらいかがですか? 本当に美しいところですよ」
侍女ミルダは、この西宮で与えられた部屋はたいして広くはないけれど、実に洗練された品々が配置されており非常に興奮していた。
石壁の小棚に置かれた燭台の一つから、顔を拭く布の一枚、壁にかけられた絵や暖炉周辺の装飾。昨日到着した時には部屋は薄暗くよくわからなかったが、朝陽の中で見ればその素晴らしさは歴然だった。
使者が泊る部屋ですらこの調子なのだから、王宮の部屋などがどうなっているのかと思うと空恐ろしいほどだ。
タラント国でも財力豊かで館も豪華なツィウク家に仕えているミルダである。それなりに贅沢も目にしてきたのだが、違いは大きかった。
そんな美しい部屋に、女性なら興奮して当たり前だと思う。ミルダはモリーネが早く目を覚ました時どんな風に驚くかと楽しみにしていたというのに。
モリーネはミルダの予想を覆し、全く関心を示さなかった。賑やかな王都にも美しいこの場所にも。
「兄様はどうしてるの? お仕事?」
「はい。皆様、王宮の本宮へ行っておいでです。モリーネお嬢様には、ゆっくりするようにと」
「そう。私の出番は夜かしらね」
モリーネは今後の予定が気になるようだった。確かに、ハラディルフ王国へやってきたのは、この国の人々との交流し、ラフィール様の助けになることだ。そして出来ればツィウク家のために役に立ちそうな家柄の男性に気に入られること。
それに注意が払われてしまい、他のことが見えていないのだろうか。ミルダは窓の外をのんびりと眺めるモリーネに戸惑っていた。
モリーネは、この部屋の美しさに関心がなかったわけではない。以前アレグイルの部屋で見た時と同質の品の良さを、この部屋や西宮のあちこちに感じ取っていた。
そして、ハラディルフへ来たことをしみじみと実感していたのである。
とうとうアレグイルのいる国に来た。きっと見つかる。本当に彼がこの国にいることは間違いないのだから。
モリーネは兄を捕まえて、早く交流の催しに参加させろと迫りたかった。アレグイルを探すためには、この国の人に会わなければならない。交流場でモリーネはそれとなくアレグイルという名の人を知っているかと尋ねるつもりなのだ。そのために対策を考えて乗り込んできた。
その成果を発揮する時が目の前に迫っているのだから、うずうずせずにはいられない。モリーネはそうしたある種の興奮状態にあった。そのため兄を待つのも苛々するほどモリーネは外の景色を睨んでいたのだった。
「モリーネっ、今夜の王宮の宴に我々も招待されることになったよ」
夕刻前に部屋へやってきた兄ラフィールは明るく軽快な口調でモリーネに告げた。それは、たいそう喜ばしいことのようで、ラフィールはモリーネを抱き締めたり叩いたりと忙しい。気取った仕草が好きな兄にしては、珍しいことだった。それほどのことなのだろう。
しかし、モリーネ的にはあまり嬉しい報告ではなかった。
王宮の宴などよりも、ハラディルフ王国の貴族邸で行われる催しに参加する方がよほどいい。そんな畏まった場では、アレグイルって名前の人知っていますかなどという不躾な質問などできないと思われるからだ。
しかも、王族の前でアレグイルなりきり作戦を実行することは、さすがに躊躇われる。何せ、思いっきり見下した視線で相手を見るのだ。王族相手にあんな態度では不興を買ってしまいかねない。せっかく今回は好待遇だと言うのに。
しかし、なりきり作戦が実行できないとなると、モリーネは口が利けない状態になる可能性が高い。それはそれで不興の元になるのでは。
思い悩んだ末、モリーネは兄に向って参加したくないことを表現してみた。
「兄様。王様の前で、私の態度は、失礼になってしまうと思う。だから、今夜は、私、参加を控えた方がいいのではない?」
「いや、それが。お前には是非参加して欲しいと言われているんだ。強制ではないんだがね」
言いにくそうに兄がどうしてモリーネの参加が必要なのかを説明した。
今夜の宴は、タラントを含む他国からの使者達を労うために開かれるらしいのだが。参加する使者達は、圧倒的に男性が多い。そのためモリーネには是非参加して欲しいとの要望があったらしい。他の使者たちにも、伴侶を連れている人には一緒にと声をかけているのだという。
「今夜は無口になると思うけど、大丈夫?」
「大丈夫だ。私が一緒にいるのだから、何とでもなる」
今夜は兄に任せておけばいい。そうと決まれば、モリーネも頷くしかなかった。そばには、最近では慣れてきたカッセウ氏やデイルダン卿もいるだろうから何とかなるかも。
気が重いモリーネに反して、兄ラフィールは上機嫌で去っていった。
すでに夕刻であり、宴までの時間は少ない。モリーネは悩むよりも準備することに集中した。女性の支度には非常に時間がかかるもの。王族の前に出るようなしたくともなれば、一日かけて準備したいところなのだ。
もっと早くに教えてくれないと仕度が間に合わないじゃないのっ。
モリーネは兄ラフィールに対する罵りをミルダとともに繰り返しながら支度を急ぐ。そうして時間はあっという間に過ぎていき、宴の時刻はすぐそこに迫っていた。




