第12話(兄とお茶)
侍女ミルダに懇懇と説教され、頭がパンクしそうになりながらモリーネは男性の前でしてはいけないことを詰め込まれた。
相手がアレグイルじゃなかったら、そんなことしないとモリーネは思う。そんなことより、結婚相手になりそうな男性相手だとまず普通に話ができないという問題があるのだから。
モリーネはやれやれと思いながら、ハラディ語やその他の勉強にはげみ庭を散歩する日々を送った。
そうした日の午後、庭を歩きながらモリーネは真剣に悩んでいた。
二回会ったのだから、庭を歩いていれば現象が発生してアレグイルに会える時が来るのだろうとは思うけれど。それが十日後のことか二十日後のことなのかわからない。うっかり外出している日がたまたまそういう機会が巡ってくる日だったりしたら、もっと先ということも考えられる。
次に会えるのはいつなんだろう。
十六になればアレグイルは連絡してくれるはずだけど、十六歳になるということはモリーネが結婚できるお年頃になるということなのだ。
まだ結婚の話をされたことはないけれど、いつ結婚相手が決まってここを出て行くことになるかわからない。
だいたい、アレグイルがあの場所のことを教えてくれなかったのがいけない。教えてくれてたら……。
教えてもらってもハラディルフ王国ではひょいっと簡単に行ける距離じゃないから、モリーネが会いに行くのは無理なこと。せめてタラント国なら、ツィウク家の名前を使えば行けるのに。
モリーネはふとツィウク家について考えてみた。
ツィウク家は、それなりの名家であることに加え、他国との流通に力を持っている。
領地を治めることももちろんだけれど、国の産物であるカフラの実と呼ばれるものを他国に売りまくっているのだ。その実は、滋養があるので食用にも用いられるけれど、加工され薬として使われることが多い。
国からその実の流通販売権を獲得してからというもの、ツィウク家は国内の他家との販売競争に打ち勝ち、その販売権をほぼ独占しているといってもいい。
その商魂から、名家でありながら卑しい家だと陰では言われているらしいけれど。面と向かって言える者はいない。その財力ゆえにツィウク家はタラント国に多大な利益をもたらしており、国王の信頼も厚いのだから。
そんなツィウク家なのだから、ハラディルフ王国とのつながりがあってもおかしくないのでは?
今度、そういう事を兄様に聞いてみよう。
モリーネはいいことを考えついたものだと自画自賛モードに入っていた。
その顔つきを見た侍女ミルダは、嫌な予感を抱いていた。今度は何の妄想を?と。
ミルダとしては、モリーネが本当に男性に会って背中にキスマークをつけてもらったと思ったわけではない。
ただ、素晴らしく見事な妄想だとモリーネに感心していたのは確かだった。
そういう特殊な才能が、ツィウク家を代々支えているのだろうと思っている。ツィウク家の旦那様も跡継ぎであるラフィール様も、モリーネお嬢様も、貴族家の人にしては少々突飛な行動をすることがあるからだ。
それは使用人の中では十分に知られたこと。
この家で働く時、その突飛な行動を遮るようなことをしてはならないと教えられている。それは、ツィウク家のためにはならないからと。
それに付いていけるかは自分次第。
ミルダは、溜め息をついた。名家の侍女も楽じゃない、と。
「兄様、ちょっといい?」
モリーネは兄ラフィールの部屋を訪ねた。
ちょうど外から帰って来たばかりで、従者がラフィールの上着を持って部屋を出ようとしているところだった。
兄の服や靴が土埃でうっすら汚れていたので、馬車に長く揺られるほど遠くまで出かけていたのだろうと察する。
ソファに腰かけた兄は少し疲れているようでもあったが、モリーネににこやかな笑みを浮かべた。格好いい兄だなと思う。黙っていれば。
「いいぞ。どうした、珍しい」
「兄様はハラディルフ王国に行くことはあるの? 時々、他の国に出かけることがあるでしょう?」
「そうだな、何回か行ったことがある。本当に珍しいな。他の国に興味をもつなんて。そういえば、最近、ハラディ語の勉強に力を入れていたんだったか」
「そうなの。ハラディルフ王国はこの辺では一番大きな国でしょ? だから。ハラディルフの王都は本当にこのタラントの街より大きいの?」
「大きいし、華やかだよ。規模が違うと言った方がいいな」
「そんなに?」
「あちらは大国だからね。それに、あの国は一夫一婦制が導入されている珍しい国でもあるから、人口も増えて活気があるんだ」
「一夫一婦制?」
「夫一人に妻一人っていう制度だよ。タラントでは、主人が妻、または夫を何人も持てるが、あの国では一人につき一人なんだ」
「えぇっ、珍しい。うちみたいに父様と母様だけっていうこと? でも、どうしてそんな制度なの? そんなんじゃ貴族家では不満が上がるはずよね?」
「貴族家では不満だろうけど、庶民には大歓迎されているよ。貴族家が女性を一人占めしようとしたりできないからね。それに、どこの国でも人口は増加させたいから、その対策の一環なんだ。なんでも、男性一人が複数の女性を妻にした場合に子供は男子が産まれる比率がかなり高くなってしまうそうだから」
「男の子が産まれるなら、別に問題なさそうだけど」
「一人の男親と四人の女親の家で五人中女の子が一人か二人だったら男ばかりが増えるだろう? 女の子が減ると結果的に子供が増えなくなるんだよ。ただでさえ出産で女性が死亡するケースは多いからね」
「じゃあ、女主人で夫をたくさん持てば、女の子が多く生まれるんじゃないの?」
「女性は夫の人数に関わらず三人産めば多い方だから、そこが問題かな。男児出生率が高めの男主人に複数妻、女児出生率が高めの女主人に複数夫。それを混在することでなんとか保っているわけだけど。あの国の手段はそれを大きく覆したわけだ」
「へえー、そうなんだ。それで、人口は増えているの?」
「増えてるよ。特に庶民の人口増加が早いね。あの国の勢いは他の国では太刀打ちできないだろうな。王都の賑わいもタラントとは比較にならないよ、残念ながら」
「そんなに違うの。兄様が行ったことがあるっていうことは、うちはハラディルフ王国と取引があるの?」
「ない」
「えーっ、ないって、どうして? すごく賑わっているんでしょ?」
「まだ、ないんだよ。まったく取引がないわけじゃないが、細々すぎて……。大国だから是非流通ルートを確保したいんだが。タラントとハラディルフは、両王家の仲が悪い。これがもう、百年以上続いていてね」
「そ、そうなん、だ」
「ハラディルフから嫁いだ王女の処遇が悪かったという恨みをずっと引きずっているわけだ。ハラディルフが」
「そんなことで?」
「そんなことだ。そう思うんだがなぁ。本当に惜しい。あの国で商売できたら、がっつり儲けてみせるんだが」
「じゃあ、どうして兄様はハラディルフに行ってるの? お仕事じゃないの? 遊びに行ってるの? ずるいっ!」
「まてまて。遊びに行ってるわけじゃない。国の使節達に交じって交渉してるんだよ。兄はこれでも立派に働いてるんだぞ!」
立派に?とモリーネは胡散臭そうな目を兄に向ける。
仕事をしているところを見たことはないし、実際に父や兄がどんな風に仕事をしているかなんて考えたこともなかった。けど、ツィウク家が揺るがない名家なんだから、それなりに頑張ってるんだろうなと納得する。
それなりにとしか思えなかったけど。
「えっと、頑張ってね?」
「おうっ。お前のお兄様はかっこいいとそのうちわかるようになるさ」
お兄様はかっこいい……そう言われたいらしい。
モリーネはその台詞をしっかり覚えておくことにする。もちろん、ここぞ!という時に兄に対して効果的に使うためだ。
こういう言葉を安易に使ってはならない。
効果を薄れさせるから、ね。
モリーネは兄の言葉を聞きながらそんなことを考えていた。
兄は兄で、ハラディルフ王国に興味を示す妹をじっと観察していた。
かなり興味を引かれているらしい妹。もうすぐ十六になるので、父は妹の嫁ぎ先を選別中だった。
一夫一婦制のハラディルフ国は、妹にとってかなりよい嫁ぎ先になるのではないか。
タラント国内に嫁げば、嫁家において他の妻達と諍いを抑えて第一夫人たる地位を確立しなければならない。ツィウク家を実家にもつ妹を蔑にするような家を嫁ぎ先に選んだりはしない。が、常に複数の妻と競い合うのは気苦労が絶えないと母は語っていた。
地位を確立するまでの最初の数年が辛いらしい。父と母は結婚した当初から二人きりではない。複数の妻がいて、その中で母だけが残ったのだ。
できれば、好きな人を見つけて一人だけと結婚してくれたらと母は語っていた。タラント国内では、それはとても少数派なのだが。
その母の言葉は、一夫一婦制というハラディルフ王国が実現している。
その国でなら、妹も他の妻と競い合う苦労をしなくていいのではないだろうか。
そう考えていた。
そういう点よりも、やはり、ハラディルフ王国との交流を進めるための家に妹を嫁がせられたらという思惑あってのことなのだが。
兄と妹、それぞれに色々と思うところはありながら、にこやかにお茶を楽しんだ。




