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第1話(夜)

 夜の帳がおりた静けさの中。

 昼間の豪雨が嘘のように月が顔を出し、閉じた木戸の隙間から室内へ光が細い線となって差し込んでいた。


 ンギャッ。


 ドサッと鈍い音と奇妙な鳴き声。

 夜も更けた室内では、わずかな物音であっても簡単に耳へ届く。

 ベッドで眠りに就こうとしていた男は即座に目を開き、神経を研ぎ澄ました。慎重に上半身を起こし、その手は枕元の剣へとのばされる。

 窓から差し込む細い月明りのため、部屋の中は全く闇というわけではない。

 男は室内を入念に見回し、異常がないことを確認しつつベッドを降りた。そして、物音がしたベッド右手の壁へと足を進める。

 その間も声か物音が壁の奥から漏れ聞こえていた。

 男は剣を片手にその壁へ忍び寄り、壁に隠された仕掛けを操作する。

 ゴゴッという低い耳障りな音とともに壁が動きはじめた。そこは隠し通路の入口だった。

 開かれた壁から、男の眼前へコロンと何かが転がり出てきた。


「えっ、あわっ」


 奇声を上げるそれは、人だった。

 背中から床に転がった人物は、とても暗殺者や強盗には思えなかったが、気を緩めることなく男はその動きを注視した。

 その人物は膝をついた状態でキョロキョロとあたりを見回している。裾の長い服を着ていることから性別は女のようだ。


『何でこんなとこに落し穴があるの? もしかして、古い井戸とか。危ないわね、怪我したらどうするのかしら。でも、さっきは背中の壁が動いたのよね?』


 女は暗闇に目が慣れていないのか、わけもわからず手を伸ばし、手探りで周りを確認しようとしていた。

 その人物には物音をたてないようにという気配が全く感じられない。暗闇だと言うのに危険だと思わないのか、辺りの様子を伺いもせずに手で触れて探っている。

 男の存在には全く気付いていない。気付こうともしないようだ。

 独り言を普通の声の大きさで喋っていることからもわかるが、女の行動は全てが不用意な行動過ぎて、見ている男の方が苛々していた。

 そんなだから、男はうっかりとその人物に対する危機感を薄れさせてしまいそうになる。

 油断をさせるのが相手の作戦なのかもしれないと男は気を取り直そうとしたが。ぐっと息を詰めたそれがごくわずかな物音を発してしまい、男は身を硬直させた。


『何っ? ここは部屋なの? うちに地下室なんかあった? しかも、この敷物、ふかふかしすぎ! 何? 何なの、これ?』


 彼女は、その音に気付くどころか、手で触れた敷物の感触に興奮を高めていた。

 興奮につれ声も大きくなり、それは既に室外へも聞こえるだろうほどになっている。彼女は夢中で床を撫でていた。

 床に四つん這いになって興奮した口調で喋る女性の言葉は、男の国の言葉ではない。

 近隣国タラントの言葉だ。その言語を習得している男は難なく聞き取ることができた。だが、わざわざ他国の言葉で夜中にこの部屋で喚く女の気が知れなかった。


『あれ? ここ、寝室?』


 彼女はどうやら闇に目が慣れてきたのか、手を触れなくても見えるようになったらしい。

 女性には警戒心のかけらもなさそうだ。依然、声をひそめようとも、物音がしないように気を配る様子も全くない。

 彼女はおもむろに立ち上がり、ベッドへ歩み寄った。

 そして、ベッドの上面を手で確認したかと思うと、すぐさま頭から飛び乗った。


『きゃあーっ、これ何? すっごく柔らかいっ! こんないいベッドをこんなとこに隠してるなんてどういうこと? 父様か母様がこっそり使ってるとか? もしかして兄様が? いやーん。私のベッドと取り替えてー』


 彼女はベッドでバタバタ暴れはじめた。

 不審を察知した見張りが来るだろうことなど、まるで考えが及ばないらしい。

 そんな様子に、男は警戒しているのが馬鹿らしくなっていた。

 どうみても、全く考えなしの娘が入り込んでしまったとしか思えないのだ。

 彼女に対し、その汚い身なりでベッドを汚すな!という怒りが湧いていた。侵入を咎めるよりも。



「何かございましたか?」


 ドアの外から声がかけられた。

 おそらく見張りについている騎士のひとりだろうその声には緊張が感じとれる。

 男はそれには答えず、女性がどうするかと無言で待った。


『暗いから灯りをつけて頂戴』


 ごく自然な調子で女性が答えた。

 ドアが乱暴に開かれ、灯りを手にした騎士が剣を手に部屋へ押し入った。

 騎士達はすぐさまベッドに女性を見つけると、剣先をむけその周囲をとりかこむ。

 数人の騎士達が剣を向けているというのに、女性は平然とベッドで寝転んだままだった。


「貴様、何者だ」

『いやねぇ。自分家のお嬢様の事くらい覚えておきなさいよ? それに、ハラディ語じゃない、あなた』

「貴様。ふざけずに答えろっ」


 騎士が持つ灯りに三方から照らされ、彼女の姿が浮かび上がった。結い上げた金髪がいく筋もこぼれ落ち乱れているが、濃緑に黄色の装飾が施された昼着を身にまとう貴族娘のようだ。その身なりからは、この国の女性とは異なる服装でありおそらくは他国の貴族の娘か裕福な家の娘であると思われる。

 緑色の瞳でややふっくらした頬に小さな唇。彼女は小柄なのか、ベッドが非常に大きく見えた。

 ベッドに寝転んだまま瞳を見開き首を傾げているが、そこに緊張感はない。


「剣を降ろせ」


 男は暗闇から足を踏み出し、言葉を発した。それと同時に騎士達は剣先を下げた。

 騎士達は男の存在に気づいてはいたが、侵入者の手前、居ないように振舞っていたのだ。


『誰っ!』


 だが、娘は驚いた様子で辺りを見回し、声の主を探した。今はじめて気付いたといった様子だった。

 騎士達の灯りの中に男が姿を見せると、娘はようやく目的を発見することができたらしい。ぽかんと口を開け男を見ていた。

 彼女が驚いたのは最初だけで、後は興味深げに男を眺めているようだ。それは見たこともない物を観察しているようであり、彼女は男のことを知らないのではないかと思わせた。


「引け」

「しかし……」


 男がベッドへと歩み寄る。騎士達はジリジリと男に場を譲りながらも引くことを躊躇っていた。侵入者を捕えるのが彼等の仕事なのだから、男の身の安全を考えれば戸惑うのも無理はない。


「私がいいと言っている」

「はっ。では外に控えておりますので、何かありましたらお呼びください」


 騎士達は男の言葉に渋々といった様子で部屋を出て行った。

 ベッドの上に起き上がった娘は眉をひそめて男を見つめている。


『貴方がハラディ語だから、彼等もハラディ語で話しているのね?』


 娘は男にそう問いかけたが、そうに違いないと事実を確認するためにかけた言葉だった。男の返事を必要としていないのだ。

 しかし、男にとっては、彼女が話す内容には理解できない事ばかりである。

 自国の言葉で話すのはおかしなことではない。男がハラディ語で話すということが何の理由になるというのか。

 騎士達への彼女の発言は、まるでここの主は自分だとでも思っているかのようだった。

 頭がおかしいのか?との疑問も浮かぶ。

 しかし、一応、招待客がうっかり通路へと入り込んでしまった可能性を考えた。

 厳重に仕掛けが施されているはずだが、どこかが侵入可能となっているのかもしれないからだ。

 男は滞在中の客人の中にタラント国の者がいただろうかと記憶を探った。

 しかし該当する者は思い浮かばない。

 タラント国とこの国は国境に高い山を挟んでいるため交流が盛んではないのだ。滞在者の中にいれば忘れたりはしないないだろう。

 ここに滞在している客でないとすれば、この娘は厳重な警備の網を抜け外部から潜入したことになる。

 彼女の現れた通路は中で分岐しており、外にも庭にも通じるようになっている。

 しかし、外出口の辺りはとりわけ警備が厳重な場所だ。

 こんな不注意な女がそこをすり抜けたなどとなれば、警備に問題がある。

 だが、さすがに娘がふらふらと迷い込むなどとは考えにくい。

 彼女が現れた場所は極秘の通路なのだ。その場所を知っていて潜り込んだとしか思えない。どこかから秘密が漏れたのか。

 その深刻さと相反する彼女という存在。

 まるで自分を隠そうとしない彼女は、侵入者としてこれほど不適任な者はいない。


「ハラディ語はわかるのだろう? こちらの言葉で話せ」

『何よ、偉そうねっ。私に命令しないで!』

「従わなければ、殺す」


 男は剣を娘の喉元に突きつけた。じっと見つめ男の本気を感じとったのか、娘は嫌そうに顔を歪め口を尖らせた。


「私は、ハラディ語、苦手」


 そう言う彼女の言葉はたどたどしかった。


「構わない。お前、名は?」

「……モリーネ・ザイ・ツィウク」

「ザイ・ツィウク?」


 彼女の名の響きは、この国内ではない名と思われる。

 タラント語を話すことからもタラント国の者なのだろう。

 彼女が別の者の名前を名乗っていたとしても、彼女の身元を知る手掛かりにはなる。


「あなたは?」

「……アレグイルだ」

「ふうん。聞いたことのない名前ね」

「どこから来た?」

「上からに決まってるでしょ。どこに穴があったのかしら。庭を歩いてて……。確か、髪に飾ってた花飾りが飛んで……それを目で追ってたら、落ちたんだわ」

「いつだ?」

「ついさっきよ」


 落ちるという表現は間違って使っているのだろうと推測したが、その他にも、娘の言葉はおかしなことばかりだった。

 今日の昼は土砂降りの雨が降った。ぬかるんで水たまりが出来ているだろう庭を貴族娘が散歩したがるとは考え難い。

 しかも彼女は少しも濡れておらず、衣服の汚れも少ないようだ。軽く土埃はついているようだったが、実際にあの通路を通ればこれくらいですむとは思えない。


「そこから降りろ」

「もしかして、これ、貴方のベッド?」


 男が答えないでいると、娘はまたコロンと横になった。

 むっと男の眉間に深い皺が寄る。


「私のベッドと交換しましょうよ。これ、すごく柔らかくて快適。シーツも肌触りがとてもいいわぁ」


 彼女はシーツに頬ずりして、その感触を堪能している。こちらの手に剣があることをすっかり忘れて。呆れるほどの軽さだった。


「ケチね。女性に譲ってくれてもいいでしょう? もしかしてお願いするのに、愛想が足りなかった?」


 男が黙って答えないのを正解だと解釈したらしい娘は、胸に掌をあて満面の笑顔を浮かべて首をかしげた。


「お・ね・が・い」


 作った可愛らしい声でそういう彼女は顔こそつくっているものの、相変わらず寝そべったままだった。

 それを冷めた目で見ながら男は娘に尋ねた。


「お前は、ここがどこだと思っている?」

「うちの地下でしょ?」

「お前の家とは、どこだ?」

「ツィウクに決まってるでしょ?」

「ツィウクという領地をもつ貴族の娘か」

「そう、よ? あなた、ツィウクを知らないの?」


 娘はおかしな質問をする人だとさも当然のように答えていたが、しだいに困惑した表情を浮かべるようになった。

 ツィウクの名は、彼女の中ではとても有名な名であるらしい。タラント語を話していたくらいだから、ツィウクはタラントの国の領地なのか。男はそう考えていた。


「知らんな。ここはツィウクという場所ではない。ハラディルフだ」

「……ハラディルフ? ハラディルフって、ハラディルフ王国のこと? そんなはず、ないわ……」


 そう言ったものの娘はようやく自分の認識がおかしいと思いはじめたようだが、状況を理解しているとは言い難い。


『……ここ、うちの屋敷じゃないの? ハラディルフ王国? よその国? 何、それ。え? いや、ありえないよね。本気で言ってる? っぽいわ。え? だって、そんな……。ありえないでしょ』


 娘は目を見開き、ひたすら何かを口走っていた。戸惑っているのだろう。

 だが、ベッドで横になったまま腰に片手を乗せ、もう片方は肘をついて頭を載せており、本当に真剣に考えているかは甚だ怪しい態度だった。

 娘はそのポーズで独り言をぶつぶつと呟いている。多少、顔はひきつっているが、なんとか笑みを保っており。


『だって……え?……でも……え?……』


 男は動かない娘の身体をベッドから抱き上げると、床に降ろした。

 放っておくと、彼女はいつまでも動かず居座りそうだったのだ。よほどベッドが気に入っているのかもしれない。


「さっさと出ていけ。動かないなら、外の者を呼ぶが?」


 床におろした彼女のそばで上から見降ろし、男は極めて低い声で告げた。

 娘は唇を突き出し不貞腐れた顔で男を見上げたが、観念したのか四つん這いで移動しはじめた。

 何をしようとしているのかと思えば、どうやらベッドへ行き着くまでのもときたところを戻ろうとしているらしい。

 彼女は何度も手触りと背後のベッドを確認しながらずりずりと進んでいく。

 開いたままの隠し扉の方へと。

 彼女が逃げるのか、逃げるとすればどこへ行くのか。男はそれを見届けるつもりだった。娘一人、いつでも簡単に捕えることができると考えていた。

 通路へと四つん這いのまま彼女は進んだ。止まることなく。

 そして静寂が戻った。


 男は扉の中へ入って、正面の壁を手で触れた。そこには固い石の感触しかない。

 足下を見れば、通路入口の土埃には壁からベッドの方へとまっすぐこすれた跡が残っていた。

 壁の左手へとのびる通路の土埃は長い間の蓄積を保ったままで、そこに侵入者の痕跡はない。

 少し前、確かに彼女は壁へ向かって這っていた。

 男はその壁に自分の知らない仕掛けがあるのかと念入りに何度も調べたが、何も見つけることはできなかった。

 そうしながらも壁に何の仕掛けもないことは彼にもわかっていた。目の前で石壁の中へ消えていく彼女を見ていたのだから。

 突然現れた娘は、通路正面の壁に姿を消した。


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