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2・その吐息はイチゴ味!?


 龍泉寺と書かれた表札のかけられた木戸をくぐる。

 たたずむ家は築百数十年ものの古めかしい木造の日本家屋で、表の木戸をくぐってから玄関までは数メートルほどの距離がある。五月の今はさつきの花が灰色の石畳に紅の色を添えている。

 ご近所さんから「お屋敷」と呼ばれているこの家が俺の居住する空間。

 ただ古いだけでなく、広さもそれなりにある。

 庭なんて小規模ではあるが鯉を放っている池がある。その周囲には自然の調和を示しているという灯篭や大きな石に植栽などが置かれている。配置の意味はばーさまに聞いたことがあるが忘れた。定期的に植木屋が呼ばれて庭の手入れがなされていることだけは知っている。

 

「すげー、お前んちって金持ちだったんだな」

 ここに来る友人の初めの感想で一番よく聞かされる台詞だ。

 実際に住んでいる身としては、「これだけの家を建てられるくらいなんだから小遣い増やせ」が一番にあげられる。切実な問題だ。


 うちが立派なお屋敷を建てられているのは、代々続いている家業のたまもの。

 八十三歳のばーさま、龍泉寺 梅子を当代とするうちの家業は『護符屋』。聞いただけでは何をするのか分からないだろうが、文字通り護符を売って生計を立てることを生業としている。これだけでも分かりづらいかもしれないか。大丈夫。俺もよく分かっていない。


 ごにょごにょとミミズがのたくったような文字が書かれた護符と名の付く紙切れが最低五千円とか、俺だって耳を疑う。

 どんだけぼったくってんだよと思うが、結果がこの広いお屋敷なので、ばーさまの作る護符は相当売れているのだろう。小遣い増やせ。実際に言ったら一晩外に放り出されたあげく、翌日には新聞配達のバイトを入れられる。気を付けなければならない。 

 護符はかなり需要のある代物らしい。黒いスーツを身に纏ったおっさんたちがちょいちょい家にやって来るので、護符屋は庶民よりも富裕層に人気の商売らしい。やつらは金を持っている匂いがする。綺麗な金か汚い金かは知らないが。

 荒稼ぎしてんだろうな、とは思うが実際の収益云々に関しては俺はノータッチなので分からない。

 そう、俺はノータッチ。何故なら、跡継ぎは俺ではないからだ。


 当代、龍泉寺 梅子の跡を継ぐのは――


「帰ってきたのか、宗介(そうすけ)。今日はちゃんと護符を持っていっただろうな?」


 壁に寄りかかり、ダークブラウンの長い髪とデカい乳を揺らして俺を見下ろす人物。ショートパンツから伸びている足はすげー長い。俺は普通の長さ。同じ両親から出てきたのにこの違い……。

 この上から目線バリバリの高圧的な人物、俺のねーちゃん龍泉寺 麻耶こそ、正真正銘次代の跡取り様であらせられる。ははーあ。

 跡取りであることを公言しているので、黒スーツのおっちゃんたちもねーちゃんにはバカ丁寧に接している。ちなみに俺には会釈だけ。こういったところからも俺たちの上下関係は成り立っていたりする。下剋上を図るつもりはないが、待遇の差には文句を言いたい。


 ねーちゃんは手に持っていた一リットルの牛乳パックをぐびぐびと飲み干し、また同じ質問を繰り返した。

「で、護符は?」

「持ってるって」

 シャツの胸ポケットから護符入りのお守り袋を取り出す。そうやって出して見せたことでようやく納得したのか、ねーちゃんは目を細めて空になった牛乳パックを俺に向かって放り投げた。


「ならいい。おかえり、宗介」

「ただいま、ねーちゃん」

「牛乳パックは洗って乾かしておけよ。貴重な地球の資源だ」

「分かってるって」

 ねーちゃんは豪快なわりにこういったことには細かかったりする。

 それにしても女が牛乳パック一気飲みとかすんなよ。男女平等な社会を達成しつつある日本でも、それはやめておけ。肉食系は嫌煙されるぞ。


 スレンダーな生足を惜しげもなく晒しているねーちゃんの一日の牛乳消費量はかなりのもの。今は一日二本のペースだが、夏場になると朝昼夕と三本は固いし、冬でも一日一本は必ず飲み干す。

 飲み干した牛乳の栄養素はその身長とデカイ乳にすべて注がれている気がする。足は細いくせに、ねーちゃんは出るところは出ているのだ。


「俺の分の牛乳は?」

 俺だってまだまだ成長期。ねーちゃんほどではないが、牛乳は大事な栄養源だ。

「冷蔵庫にまだ一本残ってるが。暇なら後で買ってこい」

 この調子なら夕食時には俺の飲む分は残っていないに違いない。飲み干すのは確実にねーちゃんなので、文句を言ってみた。

「えー、ねーちゃんのほうがいっぱい飲んでんじゃん」

 弟の可愛らしい文句ですらねーちゃんには反抗的に見えたらしい。ギラリとこちらを見る目が鋭い光を放ってきた。

「文句を言うな。弟の分際で」

 すいません。ちょっと文句を言っただけなのに睨まないでください。ねーちゃんの一睨みで俺は口を閉じる。これ以上反論すると池に鎮められる。

 所詮は年下は年長者のパシリにすぎないのだ。




 着替えを終えて、出がけにまた声をかけられる。

「宗介、護符は持ったか?」

「しつこいな。持ってるって。忘れたのはこの間の一回だけだって」

 ズボンのポケットからお守り袋を取り出して掲げた。


 このお守り袋に入っている護符は、ばーさまではなくねーちゃん直々のお手製の護符だ。

 跡取りとはいえねーちゃんの作る護符は立派に商品に成り得るものなのだそうだ。普通に購入するとしたら数万円は下らないから絶対に失くすなと脅されている。失くしたら弁償させられる。

 これはねーちゃんの厳命により、家を出る際は必ず身に着けることになっている。俺の身の安全をまもってくれる護符なのだそうだ。

 家の敷地内はまだ良いが、それ以外は肌身離さず持つようにと拳で教え込まれている。


 この間はたまたま忘れたのだが(寝坊して遅刻しかけていたので慌てていたのだ)、そのときの怒り様は凄まじかった。

 護符を持っていかなかったことは学校から帰ってすぐにねーちゃんにバレた。

 学校から帰ってすぐの俺に近付いて鼻をスンと鳴らしたと思ったら、胸倉を掴まれて壁にドンされた。勢いがありすぎて息が止まるかと思った。


「宗介……お前、獣の匂いがするぞ。護符を持っていかなかったのか!?」


 肝が冷えました。鼻の利きすぎる姉が恐かったのと、散々拳で教え込まれてきた護符を忘れて家を出てしまったことに対する罰を受けることへの二重の意味で恐怖心を感じて身が震えた。

 

「き、きき気のせいだって」

「私に誤魔化しが通用するとでも思っているのか?」

 

 ねーちゃんに勝つことなんて幼少時にとうに諦めているので成すがままだった。

 それでもヤバかったね、あれは。死ぬかと思った。五本の指で頭部を掴まれてギチギチしめられたもん。


「あ、ああ、ごめん。野良犬から小学生を守ったんだよ。俺ってすげー正義感。あはははっ」


 金田のことはなぜか言えなかった。言ってはいけない気がした。怒髪天くらいの怒りを被りかねない予感しかしなかった。


「護符を持っていればそこらの獣なんぞ寄ってこないはずなんだがな。ふん、まあいい。今回は許してやる。次はないぞ」


 やっと解放されたときには心臓がバクバクと音を立てていた。後で鏡を見たら、おでこに指の跡が赤く残っていた。女子なのにこの握力……我が姉ながら本当に怖い人だ。

 

 


「十本」

 数だけの指令が俺に下る。要は牛乳十本買ってこいということなのだが、

「十本って、多くない?」

「これから暑くなる季節だからな。それくらい買っても賞味期限内には飲みきる」

 だそうだ。ねーちゃんなら確実に五日で飲みきる量だが、牛乳十本って結構重たいんだよ?

 だが先日の一件を思い出し、消えたはずの痣の疼きを感じて反論するのは控えておいた。

「へいへい。行ってきまーす」

 長年履いてきて踵の部分がよれよれになっているスニーカーをひっかけて家を出た。


 最寄りのスーパーへの近道として近所の公園へ入る。

 この公園は子供向けの遊具はもちろん散歩道と区切りをしてジョギングスペースまで完備されているご近所さんに愛されている公園だったりする。

 遊具では帰宅途中の小学生がランドセルを放り出して駆け回っていた。学校で疲れているだろうに放課後まではしゃぎまわるなんて元気なことだ。俺だってあの頃は走り回っていたけれど、今となっては帰ったら寝ていたいほうが勝つ。まあ、こうしてお使いに駆り出されてはいるけどね。

 それを横目に散歩道を奥へと進む。土の道に業者によって植林された木々がやわらかい影を落としていた。

 

 木々の隙間から金色の太陽が照りつける。その光に金田の金色の髪を思い出した。

 あれから一週間。俺も金田もお互いにコンタクトをとることなく日々が過ぎていた。

 俺としてはあの耳は不思議だなぁとは思うが、べつに取り立てて追及するほどのことではないと考えていた。

 世の中人の思考では追いつかない不思議がごまんとあるのに、いちいち追求するとか面倒くさい。

 それに金田に近付くとまたねーちゃんに「獣臭い」とボコられる気がする。あの人、鼻がよすぎるんだ。

 また以前のように、顔と名前は知っているけど話をすることも目を合わせることもない状態に戻っても構わなかった。

 だからあえてあの日のことには触れずにいつも通りの日常を過ごしていたのだが、俺とは別に金田のほうは意識して俺を避けている様子だった。

 

 この一週間、ものすごく見られていた。

 だが金田は突き刺さるくらいの視線を俺に浴びせかけるくせに、振り向いてもさっと逸らすばかりだった。

 友人からは「おいおい、金田ってよっぽどお前のことが嫌いなんだな。睨みつけてるぞ。いったいどんな告白の仕方をしたんだよ」と聞かれる始末。だよなあ、周りから見たら俺が金田に嫌われてるふうにしか見えないよな。

 何度もそうされるので、いい加減うっとうしくなって声をかけようとしたら脱兎の勢いで逃げられた。それでもしばらくしたらまた視線を感じるのだ。

 金田よ。俺はどうしたらいいんだ? 無視するのがベストならこっちを見るな。視線をスル―できる能力は俺には備わっていないんだ。見られたら気になるじゃないか。

 俺としては獣耳よりも、俺が金田にふられたというウワサのほうをどうにかしてほしいんだが、それをお願いしようにも逃げられるからそれもできないでいる。

 そんな感じで、互いに気にしつつも近付くこともせずに、気付けばあの日から一週間が過ぎていた。


「しかし、ウワサの訂正は諦めるか。今更否定したところで、またいらんウワサをたてられても困るし……」


 そう呟いたときだった。


「きゃあっ」


 ガサガサと木の枝が鳴る音がして、続いて何か大きなものが目の前に落ちてきた。


「かね……だ?」


 たった今頭に浮かんでいた相手、金田 悠月だった。

 金田の身体には無数の切り傷が刻まれていた。白い肌に鮮やかな赤の線がいくつも付いている。

 その上に数多の黒い羽があとからあとから落ちてくる。それは空気抵抗を受け、ゆるゆるとした速度となって彼女の金色の髪に降り注いだ。


 綺麗だった。


 傷付き落ちてきた金田には悪いが、黒と輝く金とのコントラストが本当に綺麗だと俺は思い、茫然と彼女を見つめていた。

 茫然として十数秒後、ようやく我に返り金田を抱き起す。


「おい、金田。大丈夫か!?」


 顔を見ると、青ざめていたが呼吸はしているようで安心した。医療の知識はないので、息が止まっていたら大いに焦るところだった。


「うっ……」

  

 閉じられていた瞼が開かれる。


「あいつはっ!?」


 金田はがばっと身を起こして辺りをキョロキョロと見まわした。

 周囲には誰もいない。

 そのことに安堵したように息をひとつ吐くと、金田は胸をなでおろした。


「良かった。行っちゃったか……」


 傷は付いているようだが、立ち上がるくらいには回復したようだ。金田は立ち上がると俺に詰め寄った。


「ねえっ。何か見た? 見たなら今すぐ忘れなさいっ! じゃないと」


 いきなり動いたせいか金田の体がふらつき、小さく白い手が俺の腕にかけられる。意識は戻ったが、万全の態勢というわけではないらしい。

 俺のほうも手を添えて体を支えた。


「力を使ったから妖力が……」


 ふらついて下を向いていた顔があげられる。金田の金茶の瞳が俺を捉えた。


「ちょーど良かった」


 えっ、ちょっと、なんでそんな目で見てくるんですか!?


 瞳がきらきらと輝いていた。これは恋する人間の目ではない。獲物をとらえた猛禽類の目だ。ねーちゃんが俺にロックオンしたときにする目と同じ輝きを金田は瞳に灯していた。


「今まで気が付かなかったけど、きみってすごく……美味しそう」


 金田が爪先立って顔を近づけてくる。ピンクの唇が迫ってくる。ここは喜ぶべきところなのだろうが、俺の脳内ではその唇から覗く舌が毒蛇の舌に変換されていた。なんか怖いんですけど!?

 動きたかったけれど、綺麗な金茶の瞳に魅入られて、俺は動きを封じられていた。


「龍泉寺 宗介くん。きみの生気、ちょーだい?」


 生暖かい吐息が唇にかかる。


「むがっ」


 むにっとした触感に俺の唇はふさがれた。

 ファーストキスなのに、初の接吻なのに、……チロチロとした舌が口内に侵入してきた。初なのにディープすぎる!

 こういったことの経験のなかった俺は完全に頭が真っ白。

 思考停止寸前に俺は思った。


 誰だ、金田の吐息はイチゴ味って言ったやつは!?


 侵入してきた香りは甘い花の蜜の味がした。


 フェードアウト。




宗介のファーストキスはフェードアウトで終了。

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