成功論信者の物語
ゴブ伝 序文
ゴブは、誰よりも大きな夢と、野望と、ビジョンとアイデアを持って渡米した。彼は窮屈な島国が嫌になって飛び出してきた、と本人は言っている。
私から見るに、彼が成功するに足りない物は、わずか三つであった、一つめは教養、二つめは知能、三つ目は努力であった。
ゴブという名の由来は、本当のところ誰も知らない、マサユキならMasa、ヨシノリならYoshi、というように呼びやすいあだ名をアメリカ人の前で名乗ることは良くあるのだが、運悪く彼の前に名乗った日本人の名前は、ゴジョウジ、だったのだ、彼は覚えて貰いやすいようにジョージと名乗った。ゴブの目が輝いた、彼の決して明晰ではないが判断だけは速い頭脳は、以下の結論を見いだしたのだ。
ここでは自分と違う名前が名乗れる→それがアメリカンネームになる→格好のいい名前が名乗れる
そして彼は名前を聞かれてから5分間ほど黙り込み、皆が不思議そうな顔をしている前でついに軽い口をぽっかり開けて高らかに宣言した。 「俺はゴブだ」 (I am a GOB)
彼の良いところは、決して失敗を恐れないところであり、悪いところは失敗に気付かないことであった。人の名前に冠詞をつけるという文法上の些細な問題は、たちどころにわき起こったその全く日本人らしくない名前の由来についての疑問にかき消された。その場に居合わせた面々、といっても7割語学留学の日本人で、他がその他アジア人であったが、一様英語の練習のために皆一様に英語で彼に質問した。
だが、彼らも彼も、英語で意思疎通が出来なかったので、山田という学生が日本語で尋ねた。ゴブは答えた、グレート、オブ、ブラザーの略らしい。あまりに意味不明な単語の羅列であった。その後も幾人もの人間が名前の由来について彼に尋ねたが、ゴブは毎回違う単語を並べたので、本当のところは誰も知らない。ただ解ることは、渡米当初はグレートとオブとブラザー程度の単語しか知らなかったということであり、その後彼は新しくGもしくはOあるいはBで都合の良い単語を見つけるとすぐに彼の名前の由来は変ったのだ。
ゴブは、すでにロサンゼルス空港に降り立った瞬間から、アメリカンドリームを掴んだあるカリフォルニア大学バークレー校卒の実業家になっていた。彼の脳裏に、高校までの学生生活を通して唯一読んだ文字だけの本であったある自伝がよみがえった、その自伝の著者は、ある電機メーカーを創業し、今や大企業として名をはせているどこかの企業だそうだ。
突如として、彼は不安に襲われた、自分はうまく自伝を書けるのだろうか?という重大な問いに、である。
まずは、タイトルを決めなければならない。孔子は深い知識と思索の元に名が正しくなければ中身が正しくならないと言ったそうである。そして魯迅は阿Q正伝において滑稽な存在を見事に描くために「正伝」という名前を深い思慮と教養の元に選んだ。
ちなみに、その社長は、確か「・・小伝」と名付けていた、その社長は謙遜の意味で名を付けたのだろう。
だが、ゴブにそのような知識はなかった。自分は”小”でしかないのか、と怒り始めた。ゴブの辞書には謙遜という言葉は存在しなかったし、漢字を見ても読むことも出来なかった。ついにゴブは三つの候補を選んだ。すなわち、ゴブ外伝、ゴブ伝、ゴブの物語、である。彼は「正伝」と言う言葉を知っていたら、確実にそれを選んだであろうし、「外伝」に至っては一体何が正伝なのか、という問題に直面するが、彼はその問題に気付くまでに三日を要した。
その間、彼は食べ物が喉を通らず、水しか飲む気になれないほど悩み抜いた。
彼の頭にはその自伝がベストセラーになり、テレビやラジオに出演する自分の姿が浮かんだ、その場面では、「この題名は学生の頃から決めていたんです!」を言うことにした。
さらに彼は人生についての哲学を新しく夢を見ている青年たちに教える役割について深く考え始めた。彼は長い長い演説文を練り始めた。そして、二三行書いたところでネタに詰まった。
気分をひとまず切り替えることにして、彼は夕日を窓から眺めた、彼はそのときすでに日米欧に拠点を置く複合企業体の主の気持ちになっていた。
そして、彼のサクセスストリーが今始まったのだそうだ。