魔物の巣窟、それはまさに風紀室
すみません……
一番重要な子犬の彼はしばらく先に出てきます。
保健室の中に四人を連れて入ると保健医の志野芳明に恐怖の目を向けられた。……志野先生には暴力をふるうことはないので(誰でもふるうつもりはないが)安心してください。
私が榊君の手当てを志野先生に頼むと、四人からは驚愕の視線、志野先生からは安堵の視線が向けられた。……ーー。
(ねぇ、そんなに私のイメージ悪い?)
今までの行動を振り返っても、そこまでイメージは悪くならない気がして不思議に思っていると、手当てが終わった。四人の視線はさっきと変わっていて、理解できない、といいたげにこちらを見ていた。その視線の中に恐怖ははっきりとは感じられず、榊君なんて恐怖に彩られた顔から仏頂面になった。 理解できないのは私のイメージに対するあなた達の態度よ、と言いたくなったが、言えるわけがなかった。
廊下をしばらく歩くと、目的の場所が見えてくる。四人の表情がだんだんかたくなっていく。
(……そんなに心配しなくていいのに)
「とーこせんぱーいっ!!」
そう思いながら風紀室に入った瞬間、なにか飛んできた。
私は避けようともせずにそれを胸のなかに受け入れた。
「……加藤、君」
彼は加藤雅紀君。柔道黒帯をもつ、風紀委員会期待のホープだ。身長や体格は小さめだが、その体の二倍はある相撲部の男子生徒を一本背負いして気絶させるほどの力をもつ。顔もなかなかの美少年だが、まだ幼さが残っているので、『かっこいい』というよりは『可愛い』に分類されるかもしれない。性格は少し大雑把なところもあるが、見た目を裏切らない明るさで委員会のムードメイカーとなっている。
「加藤。先輩は取り締まりで疲れていらっしゃるんだ。それなのに無理させて飛びつくなんて……君、頭がどうかしてるのか?」
この子は谷口晃君。今の言葉で分かるとおり、さっき出てきた『毒舌で数多の生徒を不登校に追いこみ、なぜ風紀委員会に入ったのがよく分からない子』とはまさに彼のことである。彼もまた美少年であるが、加藤君の見ているだけで明るい気持ちになってくるあの美しさとはまたどこか違う美しさなのだ。谷口君は精密な人形ように無駄のない、どこか冷たさを感じさせる美しさなのである。しかもにこりとも笑わない顔のせいで余計に冷たさを増長させていた。また、眼鏡が似合いすぎて、コンタクトに変えるかで谷口君が悩んでいた時は大騒動になったこともある。谷口君は確かに毒舌だが、言っていることは正論であるがゆえにだれも反論できない。唯一反論できるかもしれない今までの全テスト国語満点の風紀委員長はまず寝ているか話を聞いていないので、基本的に風紀委員会は彼の独壇場である。……ごくたまに加藤君が反抗するが、あまり勝負になっていない。
「うわ、ひっでぇー……相変わらず谷口はキッツいこと言うよなー。――そんなことよりとーこ先輩、名前で呼んで下さいっていったじゃないですかぁ!また加藤君に戻ってますよ!」
「う……、ごめん、なさい……」
「先輩に無理強いするなんて――君、後輩としての自覚はあるのか? 君の行動一つで風紀委員の名に泥を塗ることもあるかもしれないんだ、しっかり考えて行動して欲しいね」
谷口君の加藤君を見つめる視線にすくみあがり、思わず謝罪の言葉をこぼしてしまった。
「う……、ごめん、なさい……」
その言葉を聞いた谷口君は今までの表情では想像できないほどに慌てた。
「先輩が謝ることではないです!僕が言いたいのは、加藤なんです!
――加藤。先輩に謝りなよ。そして『今後一切、無理強いのような後輩という立場を考えない行動はしません』、ともね。いくら君が馬鹿でどうしようもないほど理解力が少なくても、それくらいならできるだろ?」
「確かに無理強いをしたことは謝るけどよ、それくらい別に先輩後輩のコミュニケーションとして許してくれてもいいんじゃね?しかも馬鹿とか言うなよー!失礼にも程があるぜー」
あはは、いささかも怒りはないように加藤君は笑う。その様子に谷口君は苛立ちを隠しきれずに、靴をコンコンコンコンと床に叩きつける。音だけはリズミカルで楽しいが、靴を叩きつけられている床のタイルが大きくゆがんでいることに気付いたら楽しむ余裕は全くない。
「コミュニケーションは後で個人でやってもらえないか。今は委員会中で、先輩は疲れていて、しかも違反者を連れてきているんだ。それくらいわからないかい?
あと馬鹿といった事については訂正はない。本当のことだしな」
「はあー!?馬鹿じゃないぜ!」
加藤君と谷口君が言い争いを始めてしまい、おろおろとする。榊君たちも困ったように二人を見ていた。
はあ、大きな溜息が風紀室に響き渡る。……それほど大きい音ではなかったが、その場にいた全員に届いた。言い争いに夢中であった二人でさえも。
「加藤、谷口。いい加減にしろ。今はなんの時間だ?ここはどこだ?おまえらは何歳だ?――答えろ、谷口」
谷口君はついさっきまでせわしなく動いていた口を閉じたあと、ゆっくりと開けた。
「……今は委員会中で、ここは風紀室で、僕たちは十三歳です……」
「わかってんじゃねえか。おい、加藤。テメェらは人に止められなきゃ真面目にやらない小学生か? 俺がテメェらに一から教えねぇとなにもできねえガキか?」
加藤君は顔をあげず、床のタイルを見つめ続けている。ようやく絞り出した声からは、明るさは感じられなかった。
「……すみません」
「答えろっつってんだけど」
「――僕らはは人に止められなきゃ真面目にやらない小学生ではなくて、委員長が僕らに一から教えないとなにもできない子どもではありません……」
「で?それなのにこの有様はなんだ?できてねぇじゃねえか。加藤、テメェは言ったな?人に止められなきゃ真面目にやらない小学生じゃねえってな。できてねぇだろ」
「はい…」
「はい…じゃねえよ!テメェはできるっつったのにできてねえだろ、どういうことだ、ってきいてんのによ……返事しろつった俺?」
怒鳴られたところで、加藤君はびくりと肩を震わした。
「言って、ません……」
「だよなー。これからは無駄口叩くな。……で?どういうことだ?」
「すみ、ません……」
「あやまりゃなんでもすむとでも思ってんのか?それはどういう意味の謝罪だ?」
「……中学生であるのに、人に止められなきゃ真面目にやらない小学生のような態度をとってしまったことです……」
「そうか。で、谷口。テメェはここは風紀室だって、委員会中だって分かってやってるんだよな?――つまりやる気がねえ……って、そういうことだろ?」
その問いに、谷口君は焦りながら否定した。
「ちっ、違います!」
「じゃあ、どういうことだ?」
しかし谷口君は、言葉が見つからないように俯いた。
「…、」
「答えられねえ……っつーことはやる気がねえ、ってことを肯定してるわけだよな」
「すっ……すみ、ません……。気が緩んでて、頭になかったです。以後気をつけます。」
「そうか。……そんな言い訳、二度と通用すると思うなよ」
「はい……」
しょんぼりしながら二人は席につく。なんだか同情を誘う姿だ。
「北条。テメェもだ。先輩なら後輩の世話をしろ」
「すみ、ません……」
乱暴な口調の男――風紀委員長、清水望は透子にも一言言った後、その端正な顔を歪め、「めんどくせー……」と呟く。
清水先輩は日本とイギリスのクォーターであるがゆえに地毛が金髪だ。学校では染髪は禁止なので彼の髪は金色に輝いている。その金と瞳の黒のミスマッチさが彼の魅力を醸し出すのだ。一見すると不良に見えるが、彼は断じて不良ではない。あくまで校則や法律は守るのだ。不良ではなく、彼は暴君なのだ。【暴君】という言葉は清水先輩のためにあると思わせるほどにぴったりとあてはまる。しかし、たまにまともに戻る。今がその少ないまともな時間だ。いつもだったら武力で黙らせる。面白げに上がっている口角や挑戦的な目は彼の異質な雰囲気を引き立て、それら全てが彼の魅力となるのだ。――クラスの女子談。ぶっちゃけ理解できない。
清水先輩は非常にだるそうな表情をしながら「そいつらの違反は?」ときいてきた。とくに戸惑うこともなくスラスラと答えると、清水先輩は『染髪』の部分で四人を睨みつけて(自分でも地毛の金髪は気にしているのだろう)、四人の処罰はどうするか悩み始めた。
風紀委員会や先生が与える代表的な処罰は、一週間トイレ掃除や草むしり、先生の手伝い(パシリ)、倉庫掃除など――レパートリーは結構ある。……さて、彼らはどうなるか。