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親友

作者: 直江正義

       序


 大学時代私が住む下宿先には、私と青井君、そして安藤の三人が部屋を借りていたが、ともに同学年で同好の士であった。学科こそ違うものの、我々は深い友情を築き、頻繁に互いの意見を交換し合い、また互いの制作物を忌憚無く批評しあうことの出来る仲であった。

 国立大学といってもピンからキリまである。それは入学の困難さという観点からいってもそうであるし、また生徒の質という観点からいってもそうである。もちろん、一般論に従い、組織の上位と下位一部にはさほど大きな質の違いはないのであるが、私達の通っていた富山大学生協では、富山大学学生の平均読書数が、年間五冊に満たないといった事が書かれていた。果たして漫画ばかり書いていた私は、やはりこの中の一人であった。読むのは漫画とライトノベルばかりで、新聞すら読むことは稀であった。

 私は幼少より絵を描くことが好きで仕方の無い性分だった。父の転職に従い愛知から母方の実家があるここ富山へ引っ越してきたのが四歳の頃だった。共働きの家庭に育ち、また兄弟の無い私は一人で絵を描くことが次第に多くなっていった。だがそれは、少なくとも私の自覚する限りは不幸ではなかった。両親は彼らの罪悪感を覆い隠し、また私をあやし手間を省く格好の材として、漫画やアニメのビデオ、そして色鉛筆とノートを私の望むままに与えてくれた。それらは私にとって、何よりの友人であった。父よりも母よりも、また昔日の友人よりも、彼らが私の人生に色を与えてくれた。事実私は、両親や学友との思い出などは皆無に等しいのである。そうして自然に私は、私の大切な友人達の美しい姿や愛らしい姿、格好良い姿を、ただ見て喜ぶのではなく、自分で描いて生み出すようになっていった。その巧拙如何は問うまでもない。だが幼い私は、私の世界が広がり、色鮮やかに輝きだすことが嬉しくて仕方なかった。その一事に夢中になって、毎日飽きもせず絵を描き続けた。そうして次第次第に、漫画やアニメの世界に対する憧憬は深まっていった。その想いに比例するように、両親や学校の教師が強要する「思い出作り」に面倒くささと胡散臭さを感じるようになっていった。

 この様な場合には通常、その子供の社会適応能力が発達しないものと想像されるものである。そうしてそれは、確かに懸念されるべきもので、事実として子供の頃の私も、そのような萌芽を随所に見出すことが出来たと思う。勿論、根本的な問題は、両親の教育方法と熱意にあって、アニメや漫画が私に有害な影響があったとする論は当たらない。これに関しては述べるべき機会ではないからこれ以上は立ち入らない。ただ幸いなことに私は、人よりも大柄で、運動を得意としていたから、性質を過度に陰へと貶めることもなく、ただのものぐさとして成長していくだけで、決して人間関係で思い悩むことはなかった。だが、考えようによってはそれは損だったのかも知れない。何故なら、結局私の青春は、厭世的で衝突の無い・激動の無い・面白味の無い、平淡な時代であったことを意味するからである。そうしてそのことが、私の創作に対する限界となって、大学時代の懊悩に繋がったのである。

 私は余りにも長い期間、創作を孤独な楽しみに留めておいてしまったのである。例え孤独な創作であろうとも、それが現実との葛藤であったり、自己の表明であったり、人格の完成であったならば、話は違ったのだろう。しかし私の姑息な厭世観が、これらを決して許さなかったのである。倫理などはつまらぬもので、よりよく生きる道を求めるなどは全くのナンセンスだと断じた過去の私は、畢竟臆病な自尊心を守るために、自分の目を覆い隠してしまっていたように思われる。虚栄心は孤独とともに次第次第に高まっていき、遂に大学生となり、得がたい親友を得るに至ってもなお、私は私を曝け出すことが出来なかったのである。いや、むしろ、矮小な自己を発見されることを恐れ、私は努めて虚勢を張ることで身を守ろうとしたくらいであった。

 私と安藤は正反対であった。彼ははじめ、明らかに私よりも劣る創作者であった。画力にしても漫画の技術にしても、殆ど素人に毛が生えた程度のものであった。そんなことは当たり前で、彼が漫画を描き始めたのは、高校三年の春からだという。頭脳明晰な彼は本来もっと上位の大学を受験してしかるべきだったのだが、地元志向が強かったため、富山大学で史学を学ぶと決めていたのである。それ故時間に余裕があり、娯楽と勉強を兼ねて歴史漫画を読み漁るうちに、青雲の志を抱くに至ったと言う。如何にも単純で驚くことだが、その純粋一途で直向な様は、学歴に拘らぬ解脱さと相まって、非力で小心で俗物な私にとっては苦痛だった。彼ははじめから、私よりも高い志を持ち、明確なテーマを抱いて漫画を描き続けたのであるから、急激な成長を遂げ、拙くも魅力的な創作物を生み出すようになったのは当然である。その事実もまた、私には辛かった。だが、精力旺盛で何をするにしても腹の底から挑戦するこの男は、特有の朗らかさと気前の良さがあり憎めない男だった。私と青井君はしばしば彼を、親友特有の遠慮不要な風に任せて「鉄人」だとか「巨人」だとかと呼んでいたが、私はそこに多少の棘を忍ばせていた。それに全く無頓着なこの男は、私よりも二回りほど小さい短足小躯の土人のなりで、常に皮肉を受け止めていた。

 青井君は青井君で、私と安藤の敬愛と親愛を獲得するに充分な人徳のある優しい青年であった。体が弱く、人の良い彼は、よく酔うと、「昔は青い信号なんて言って馬鹿にされたんだけど、子供はやっぱり残酷だなぁ。」などとケタケタ笑いながら自分の過去を我々に晒していた。「青井真吾」が「青い信号」となるのだから、なるほどトンチだと言えなくも無いが、実際のところ繊細な少年がトンチとして受け止められたかどうかは疑問である。ただ彼の語る節々から、オタク趣味でひ弱であったことが、かつては幾分にも災いしたことが明白にうかがえた。最もその経験が糧となって、穏和な人柄を作ることになり、延いては温かい彩色と丸みのある優しい画風の魅力ある抽出をもたらしたのであるから、ある意味では彼にとって良い過去になったとも言えなくもない。だが、例えそういう見方が出来るにしても、私は過去の辛い経験を、現在の徳に変える彼の偉大な精神を大いに敬服する。それは、決して言葉にはしなかったが、学生の時もそうであった。そうしてそれは、安藤も同じだったろう。

 今の私は大学を卒業し、自分の道を進み、志しを遂げることが出来ている。卒業後二年間は自由な同人活動を行った。その後は著名な漫画家のアシスタントとして働き、途中漫画賞の受賞と三度の読み切りを経て、三年後には連載の獲得に至ったのである。こう書くと順調なキャリアに見えるかも知れないが、実際のところは、こうして経歴として現れるほどに順調な道ではなく、また現在の成功は、努力はあったにしても、才能によるところではないのである。そうして努力にしたところで、元来私は怠惰で生意気で、偉そうなことを考えるばかりで実際が伴っていないような、眼高手低の口達者なのである。そんな私が努力を続けられたのは、この二人との、永遠と疑うことの無い友情にあると答えたい。

 今回私がこうやって真実を述べる機会を得たことは実に待望のことである。ただ私事に過ぎるために、また小説と言えぬ体であるから、読者が読後どのように思うかが不安である。ただ、このような疑念は全て創作に付き物なのであって、論じても詮無いことであるから、小説の自由さに意を安んじて書くことにする。

 

       一


 大学三年。ある晴れた日。私はホテルで配膳の仕事を終え、スーツ姿で大学へ向かい、午後の講義に出席していた。この講義には同じ借家に住む親友の青井君も参加していた。彼は生物学部の学生で、強い向学心を持った学生であり、私は経済学部の不真面目な学生であった。青井君の向学心の高さは、地域経済論の講義に、学科の壁を越えて出席していたことからも看取される。彼の真面目さを頼って私は、仕事を終えた疲れから、この講義中に眠ってしまうことが多かった。その日もまた、私は眠気に抗えず居眠りをしてしまうのだった。

 そうしてまどろみからふと目を覚ますと、もう講義終了の五分前になっていた。丁度出席の確認を取る時間であった。私は前の席から回されてくる出席簿に丸をつけ後ろに回し、授業終了とともに青井君の席に向かって行き、「悪い。今日もちょっと写させてくれ。」と悪びれもせずに言った。「はは、バイトの後に授業なんて出るものじゃないよ。」と言って、彼は人の良さそうな笑みを携えてノートを私に渡してくれた。「それじゃ、後で取りに行くから。」と言って、彼は生物学研究科に帰って行った。私は図書館へ行き、ノートを写し、その後帰宅して安藤の部屋に行き、最近彼が熱心に書いている歴史漫画の進捗を確認しに行った。安藤の部屋は一階で、私と青井君とが二階に住んでいた。この下宿先は部屋が三つで、我々より他に住むものはいなかった。

 彼の部屋は、何時も作業をしている円台と布団とがあるばかりで、あとは本棚と酒瓶が転がっている。そしてその本棚も、そこいらに歯の抜けた跡があるし、厚い書籍が円台の周りや上に積まれていて、如何にも乱雑なのが目に付く。私がノックもなしに戸を開けると、彼はこちらをおもむろに見上げて、「お、来たか。」と笑顔で言った。どうやら進展があったらしい。

「ああ、今帰った。で、どうだ?」

「うん、順調だ。思ったよりも筆が走った。この調子なら小説で売れる」

「そりゃよかった。それじゃいっそ小説家になればいい」

「それも考えないではないんだがね。ただ、俺としては、やっぱり漫画を描いてみたいんだ」

 安藤の漫画に拘る理由は二つで、一つは単純に好きであるからとのことだった。実際、彼が歴史に興味を持ったのは、横山光輝の三国志が発端である。彼が高校の頃から文学少年として大変な読書家であったそうだが、所謂エンタメは全く読まなかった変り種である。最も彼に言わせれば、夏目漱石の『坊ちゃん』や『我輩は猫である』はエンタメだし、芥川龍之介にいたってはエンタメ以外は殆ど無いという。私は小説を読まなかったから、そのあたりのことはまるで分からなかった。

 安藤が漫画に拘るもう一つの理由は、漫画には現代的な価値があるからだそうだ。安藤は明治・大正の文学小説を愛するのだが、その良さは殆ど現代人に顧みられないと嘆いていた。だがそれは、当然のことだと彼は言う。例え優れた小説であっても、時代が移ればどうしても読まれなくなる。そうして創作は読まれなくては価値が無いという。そして、現代の小説よりも優れた無名の大作(最も、当時は決して無名ではなかったもの)は歴史上いくらでもあるという。にも関わらず、現代の小説が読まれてそれら無名の大作が読まれないでいるのは、現代的な価値を持っているかいないかによるのだという。

 私のように、単純に小説を好まない人間は、もっと簡単で低俗な理由があると思うのだが、安藤は私の論を認めなかった。彼に言わせると、それはあまり人を低く見すぎているという。低く見るも何も、私の率直な考えだったのだが、それを言うと多少惨めな気がするので言わなかった。

「漫画のプロットを描いていると、何だか戯曲を勉強したくなってくるな」

 安藤は漫画を描く前に、必ず物語の大筋を文章で起こすことにしている。それも殆ど小説と読んで良いくらいに綿密に書き起こすのだ。私などは大筋を頭に描いた後は、台詞だけ文章に起こすくらいだ。どちらが主流ということもないだろうが、安藤ほど丹念に文章で筋書きを書いて起こす人は少ない。

「戯曲の作法を勉強する時間があったら、幾つか漫画が描けそうだな」

「違いないな。三つか四つ描けるんじゃないか?」

「じゃぁ、俺なら漫画を描くな」

「だが、作法を学べば質は高まるぜ」

「多く描いても質は高まるな」

「そうか? 描けばよいってもんでもないと思うんだがなぁ」

 そうしてお互いに漫画論を戦わせていると、「ただいまぁ。」と青井君が帰宅する。安藤が「おう、お帰り。」と言って青井君を部屋に呼ぶ。すると対談は鼎談となって議論は益々熱を帯びる。そうして気がつくと夕飯時になり、腹が減ったと私が言うと「そういえば叔母さんがカレーを作ってくれたぜ。」と安藤が答える。それは助かると喜んで、じゃぁっと青井君がカレーを温めに行く。下宿先は安藤の叔母さんが管理する貸家で、近所に住む叔母さんはよく掃除をしたり料理をしたりして面倒を見てくれた。そのため、私達は身辺の雑事に気を病まずに済み、時間をどれほど有効に使えたか分からない。また家賃の安いことは格別で、管理費に電気代と水道代、そしてインターネットの使用料を込んでも一人三万円で済むのだった。


     二


 数日後、或る非常に晴れた日であった。富山は日本一曇りが多く、逆に晴れの少ない地域であるから、日本晴れと言えるような天気の日は、年に十日もない。しかしながらその曇多きことが、冬季大降雪を招き、豊富な雪解け水をもたらすのであり、それが郷里の豊かな自然を育む道理は、中学生にもなれば誰でも両親から、或いは祖父母から、また或いは学校の先生から教わるところである。かく言う私も、大学生になるまでに、先生からこの話を聞く機会が三度はあった。

 その日は、私の企画した合同誌の原稿が集まったので、安藤と青井君を呼んで一緒に見ることにした。

 同人漫画の世界というのは、基本的に二次創作が主流である。二次創作というのは、ゲームやアニメ、小説・漫画の原作があり、そこから派生する物語を他の作者が考え、創作するものである。オリジナルに比べると読者がその作品の設定・世界観を了解しているために理解が容易で、そのために書き手も苦労が少ない。そうして読者のほうでも好みが判別容易なために買い易い。好きな漫画の、好きなキャラクターに関する漫画が読みたいという要望が適うのである。

 私が当時主催した二次創作の合同誌は、あるパソコンゲームが原作で、一大ブームを巻き起こしたと言っても良いくらいに勢いのあるジャンルだった。今日でも大きな規模を持つジャンルとして多数のファンを抱えている。この合同誌に青井君は二ページ寄稿してくれたが、安藤は描かなかった。最も、安藤は合同誌には一切寄稿することが無かったので、特別異なことではなかった。

 私は大阪のある合同誌参加者の原稿を二人に見せ、意見を求めた。私はその創作者の才を高く評価しており、また好みの合う友人でもあったから、二人の率直な感想に興味があったのだ。

 青井君の感想は、全く無難であったと覚えている。そのため仔細覚えてはいない。ただ安藤の批評は厳しいものがあった。まず安藤は一読して彼も作者の才を認めたものの、読み難い・コマが小さすぎる・展開が急だ・総じて雑な印象を受けると、かなり手酷い評価だった。青井君が、同人誌では良くあることだと擁護し、また私も、合同誌では頁の制限があるために仕方の無いことだと釈明した。が、安藤の真意は別にあり、彼の言いたかったことは、この作者ほどの力量があるのであれば、もっと良いものを描けたはずであるとのことであった。そうしてそれは、畢竟読まれることに対しての配慮が足りないからであって、心構えとして良くないとのことだった。

 なるほど、確かにそうだろうと思う。が、所詮これは同人であって、商業ではないのである。また同人の漫画家が、皆プロを目指すわけでもない。ただ純粋に漫画が好きで、趣味として描いているに過ぎない者も多数ある。ただその趣味が高じて、アマチュアとしては白眉の作が出来上がることもあるに過ぎないのである。それ故、私や青井君は、安藤の論を認めること出来ても賛同は出来なかった。

 誰もが安藤のように勇往邁進、絶対の気魄で事に当たるわけではないとする私達の反論を受けて、安藤は憮然としていた。そうして彼は、我々同人漫画家の漫画に対する情熱が薄いことを不満に思っていることを吐露した。当時の私はそれほどの情熱を抱いてはいなかったし、また彼の論を極端として簡単に片付けてしまったために、相変わらず安藤は「鉄人」だなぁっと、内心ではむしろ彼を嘲っていたのである。

 最も、彼に対する嘲りは、純粋に愚人を見たときの嘲りとは異なっていた。それは、安藤の博学才英ぶりを私は知っていたからである。少なくとも教養の観点から言って、安藤に勝る人物はそう簡単には見つけられなかった。今日に至って出会う人物は、当時に比べて遥かに多数であるが、それでも一書生安藤の識見に及ぶ人物は殆どいないくらいである。

 私の彼に対する嘲りは、多分に彼の不器用さ・バランスの悪さ、それは即ち、非常な才能があるために、尋常の感覚からよっぽどかけ離れていることへの滑稽さにあったのである。しかしその嘲りもまた、今になって思えば、臆病な自尊心が生み出したものであったのかも知れない。


       三


 若い創作者である我々三人は、必然互いの創作を志す動機について語り合うことがあった。

 安藤が創作を志した理由は、大学受験の合間に読んだ歴史漫画が頗る面白かったことに端を発する。が、ただその一事を以てして彼の邁進は説明されないだろう。それ以前に彼は獏として二つの疑念を持っていたのであって、それがあったからこそ、歴史漫画の面白さに青雲の便りを求めたのである。

 安藤は幼少より秀才の聞こえ高く、小学生の時分から非常な読書家であったという。その読み物が普通ではなく、平家物語だとか里見八犬伝だとか東海道中膝栗毛だとか、古文に類する書物ばかりを読み漁っていたというが、これは教員であった祖父が、退職後暇を持て余して、孫に古典を読み聞かせて育てたからだという。このことが結局は、漢文・古文と歴史に対する興味を引き起こしたらしい。そうして基本的に、彼の読んできた小説は、児童向けであればロビンソンクルーソーだとか宝島だとかの所謂世界的名作を、また日本の小説家では夏目漱石や芥川龍之介、森鴎外といった誰もが知っているがややもすると縁遠くなりがちな小説であったという。

 ところが、である。安藤が言うには、以上の読書歴を持つ彼が高校に進学するや、まず以て彼はそれらの小説の素晴らしさを同輩に説き、趣味を共有したいと思ったのであるが、一向それは共感されなかったという。いや、共感されることはされたにしても、積極的に読む気持ちは殆ど起きなかったと見えて、どうにも曖昧でややもすると困った顔をしたのだという。

 このような試みは、彼が小学生や中学生の頃にもあったようだが、それは学のない者達を相手にするからであって、進学校で学ぶ学業成績優等な人物には当てはまらないと期待していたのだそうだ。どうしてそう思ってしまったのかという疑問はあるが、このあたりの思い込みの激しさと簡単に結論をつけてしまう単純さとは、恐らく安藤の天性なのだろう。あるいは、人を低く見ないという彼の持論であったのかも知れない。

 さて、こうして意外に出会った彼は、不思議だ不思議だと悩んで原因を究明してみると、どうもライトノベルのような小説は読む者が大分あったのだという。それで如何ほどのものかと読んでみると、これがまるで読み応えが無い。面白くないことはないが、読んで余りの空虚さに驚きがあるほど中身が薄っぺらく、何も自分に残らなかったのだという。このような彼の驚きは、私などにとってはむしろ逆に驚くものであるが、安藤にとっては大変な懊悩の種になったらしい。それ以降、知人に小説を勧めることも無くなったという。

 もう一つ彼の経験したことは、歴史小説の詰まらなさであった。これがどうしたことか、彼の性にはあわなかったと見える。三四冊読んで彼はすっかり失望し、ふと興味本位で史記の原文に当たってみたら、これが大変面白かったという。そうして気がつけば、高校二年の冬までに、史記(列伝)・論語・老子・孫子を原文で二度読み、古文では雨月物語・春雨物語・枕草子を読み、「歴史小説を読むくらいなら歴史上の文書を読んだほうが百倍面白い」と吾悟って得意になっていたというから、よっぽど凄い。最初はホラ話かと疑っていたが、事実彼の本棚にはこれらの書物が並べられており、あちらこちらに横線が引いてあるのだからどうも本当らしい。

 この様な経緯があって、得意満面になっていた少年安藤が出会ったのが横山光輝の三国志だった。歴史小説と違って、歴史漫画は素直に面白いと感じられた。またこのように面白いものであれば、同輩たちにも共感してもらえるに違いない。そう思って、彼は友人に三国志が大変面白いと語ってみると、その友人は知己を得たの感があったらしく、俺も好きだと意気投合して、安藤は信念を固くしたのだという。

 こんな一本筋の通った、剛直に過ぎる経緯を持った漫画家の卵は安藤だけに違いない。流石に私も、ここまで堂々たる歴史を語られては、毒気を抜かれて驚嘆した。むしろ、よくもそんな単純に育ったものだと感心したくらいである。

 青井君などは、すっかり漫画の世界の英雄が出てきたと大喜びで、自分の過去を語るのが恥ずかしいくらいだと照れていた。しかし青井君の純朴さもまた、中々どうして稀有である。その純朴さが平凡で、また親しい友人であるから、逆に私は青井君に対してもまた負い目を感じてしまったくらいである。

 青井君はかつて、ある月刊誌で連載していた、独特の雰囲気と世界観が魅力的な漫画に大きな感銘を受けたそうだ。この漫画を読んだことが、彼の哲学や思想に対する強い興味を育んだのだという。その作者の三部作には、確かにある種の思想上の投げ掛けがあって、読後一考せざるを得ないような、そんな力が宿っている。だが残念なことに、この三部作は未完に終わってしまったのだった。

 このことは、青井真吾という一人の創作者にとって、未完の典型を抱かざるを得なかった点で非常に不幸なことだと思う。さらにこの漫画家が、創作をすることが出来なくなった理由が、インターネット上の掲示板でなされる無遠慮で過度に声高な批判にあるという後味の悪いものであるため、なおさら暗い影を投げ掛けざるを得ない。

 しかしながら、例え未完成であっても、創作上目標にすべき麗しい典型を得られたこと、そう思える作品に早くに出与え事は、間違いなく彼にとって幸運であった。彼の作風には、その作者の痕跡を多く見出すことが出来る。それはストーリー展開においても、また絵の雰囲気においても、それのみならず、きっと彼と言う人格形成においても。

 では私はどうなのだろうか。実のところ、私にとって絵を描くということは、またその延長として漫画を描くということは、別段特別な理由を必要としないことであった。あたかも息をするように、自然と絵を描き漫画を構想するのであったから、創作の動機を求められるとむしろ窮する次第なのだ。むろん、創作に大きな影響を与えた漫画家、アニメ、ゲームなどは多数ある。だがどれか一つが決定的な影響を与え、運命の邂逅とでも呼ぶべき大きな存在になったという過去は何処にも見出し得ないのである。

 私は彼らと創作の動機について話をしたとき、どうにもこれといった明確な答えを返すことが出来なかった。このことは、あまりにも創作が身近なものとなっていることが原因であって、むしろ答えに窮することが、一つの解であると彼らは好意的に捉えてくれた。しかし私は二人との談話が済み、一人部屋でぼうっとしていたとき、どうにも明確な動機がないこと、つまりそれは原体験の欠如とでも言うべきものに対して、言いようの無いコンプレックスを感じたのであった。しかし何故コンプレックスを感じなくてはならないのかという、一種の不平をも同時に感じたのであった。そうして考えれば考えるほど、私自身に対しての不信感を強めることになるのだった。

 なるほど私の絵は巧いかも知れない。また私の描く漫画はおもしろいかも知れない。だがしかし、それだけにしか過ぎないのではないだろうか。私の絵は、少年漫画的な絵として、多分に完成はしているものの、それは一般の好みを凝縮させたものでしかなくて、個性の無い・面白味のない・作者が見えない画風、つまり没個性ではないだろうか。また、私の描く漫画は、結局私が世間一般の好みを把握しているだけのことでしかないのではあるまいか。そしてそれは、私が世間一般と等しい・つまりは究極の没個性に陥っているということを意味するのではないだろうか。それに比べれば、安藤や青井君の作品は、私の漫画ほど多くのファンを獲得していなくとも、特別な価値を持つ漫画ではあるまいか。そうしてその特別な価値こそが、創作において最も大事なエッセンスではないだろうか。

 こんな発想に陥るのは、もしかすると真夜中の仕業なのかも知れない。そう思って、思考を振り払おうとしたが、どうしてもこのネガティブな思考は、私の頭にまとわりついて離れないのである。

 そうしてこれ以降、すっかりこの考えは、私の脳裏に居座って離れなくなったのであった。


       四


 「何故、オリジナルを作らないんだ。」そう安藤に問われたとき、私は「やっぱり二次創作のほうが楽しいからね。」と答えた。「まぁ、それは分かるよ。やっぱり好きなキャラクターを動かせるのは気持がいいからな。」そう彼は答えて、話はそれっきりになった。

 私はその時、私がオリジナルを作らないのは、私の臆病な自尊心がそれを許さないからであることを自覚していた。が、私はそれを決しておくびにも出さず、平生通り取り澄まして、尤もらしい答えで返した。

 その数日後、安藤は物語とは、「性格」と「事件」と「背景」とで構成されるという夏目漱石の論を紹介し、それを漫画にも敷衍して彼なりの創作論を私達に語った。

「じゃぁ、二次創作は、その論に従えばどう説明出来るんだろうね」

 無邪気にそう尋ねる青井君を私はちょっと馬鹿にした。が、そこには少なからず羨ましく思う気持ちもあった。

「事件さえあれば、二次創作は作れる……」

 安藤の論を私は、言うまでも無く理解していた。

 

       五


 青井君が熱心に支持する同人漫画家がオリジナルで描くということで、それを知ってからずっと、青井君はどんな漫画が出来上がるのかを楽しみに待っていた。

 私はその人の漫画を詳しくは知らなかったが、それでも一つ二つ読んだことがあった。この作者の漫画に対する感想としては、まず独特の絵柄が高い次元で完成しており、秀でた画力に驚かされた。特にその人は、人ならざるものを書く能力においては白眉であり、それを活かす事が出来るジャンルを主な活動場所に選んだことで、その能力が遺憾なく発揮されていた。また、二次創作でありながらも一次創作に近いものがあり、むしろ題材を二次創作に求めたオリジナルであると見るも可であった。

 こういった印象が強く残っていたため、この作者がオリジナルに挑むのは当然と思われた。青井君のみならず、私も大いに楽しみにしていた。

 昼過ぎ到着した新刊は、講義の無かった安藤が預かってくれていた。帰宅後、直ぐに私たちは新刊を受け取りに行ったが、安藤も興味を持ったため、彼の部屋で新刊を見ることになった。

 まず、青井君が新刊を読み始める。その間に、一緒に購入した他の同人誌を、私と安藤は確認し、軽く読み始めた。安藤は比較的二次創作に興味が薄いのだが、それでも青井君の活動するこのジャンルはある程度関心があるようで、彼も数人の同人作家を評価し、その同人誌を購入していた。その中に、青井君の支持するこの同人作家の作品も含まれていた。

 青井君が新刊を読み終えると、その同人誌を私達に渡した。私は、先ず安藤から先に読むよう勧めた。彼は「じゃ、先に。」と言って読み始めた。するとすぐに眉をひそめて難しい顔をし始めた。今回は外れだったろうかと私が思っていると、安藤は「正直、見損なった。」と答え、私に同人誌を手渡した。

 読み始めると、なるほど、彼が見損なうのも分からなくなかった。どうにもその漫画は、唐突にクライマックスシーンを挿入し、そのまま設定上の説明なしで終わってしまうという、二次創作で有り得ても、オリジナルでは到底通用しない話の進め方をしていた。

 しかし私は、確かに拙い失敗ではあると思うのだけれども、二次創作に慣れた者であればこういうこともあるだろうと考え、「見損なうというのは少し言い過ぎじゃないか。」と安藤を諫めた。すると安藤は、「これが失敗であれば俺も見損なわない。」と答えた。「それじゃ、何だって言うんだ?」と問えば、「手抜き以外のなにものでもない。」と返ってきた。私は青井君の方を見た。どうも青井君も安藤に賛成であるようだった。

「俺は、所詮同人なのだから真面目にやらんと言うのを感心しない。むしろ商業であれば、真面目にやらんと言うのも許されると考えるくらいだ。同人は、其の人なりに、良いと思うのを自由にやる場所だと思ってる。だからあくまで、良いと思わなくっちゃだめなんだ。それなのに、こんな本人も良いと思っちゃいないような、いい加減なものを創作として出すのは許し難いんだ。創作者として人格を疑うよ。自分の、しかも初のオリジナルに、こんなふざけたものを出すなんて。それがある程度、同人の世界で地位を得ている人間だからなおさら悪い。おれはすっかり軽蔑した。もうこの人の作品は読まん。作品とその人の人格を結びつけて考えるのは良くないと思うが、それでも俺は買わん。これで嫌いになった。」

 私は青井君は、お互いに顔を見合わせながら、しばしば見せる安藤の一方的に決め付ける性格が、これまた極端に出たなと思い、口をつぐんだ。

 だが一方で私はこう思った。これほどに、誰かの作品を断言することが私には出来るのだろうか、と。そして到底、その当時の私には、そんなことは出来なかった。


       六


  ある日安藤が、詩を書いたんだがどうだろうかと言って持ってきたことがあった。そのときの詩は大海という題で、波に抗ってひたすら泳いで沖に出るというものであった。巧拙如何は問わないとしても、とにかく非常に単純で力強く、この詩が如何にも彼らしいと言うことだけはわかった。

 安藤という男は農家の長男で、野山とともに生まれ育った生粋の土着民であった。頻繁に実家の農家を手伝って、小遣い稼ぎをしてくるのだが、そのたびに私達に酒をおごってくれた。実際のところ彼が家の手伝いをするのは、金が欲しいというよりは土と汗にまみれたかったのだと思う。安藤は頻繁に近くのプールへ行って、一年中水泳をしているような男だった。

 端から見れば意外なことだが、実は人付き合いに悩むところが彼にはあった。安藤は極端な交友感を持っていて、すっきりとして後腐れの無い上辺だけの友人関係か、いっそ衆道的連帯感で懐中深く互いが結びついていなくては納得できないたちであった。この交友感は、極めて篤実な彼の性格から来ていた。上辺だけの友人関係も、それはお互いに不快がないように気持ちよく交友したいという考えから来ているのだった。それがために安藤は、現代人の大半とは社交感を異にする困難を持っていたのであった。彼に言わせると、現代人の大半は、自分のために上辺だけの交友を行うか、自分のために相手と深く通じ合いたいと願っているのだそうだ。そうしてそれは、不誠実で押し付けがましいのだという。それを充分自覚していたからこそ、彼は積極的には友人を作ろうとはしなかったし、実家の手伝いより他に仕事をすることはないのだった。だがこれは今だからこそ知っているのであって、当時の私は知らないことであった。

 青井君は大学近くの絵画教室でアルバイトをしていた。もともと彼は小学生の頃から美術教室に通っていたらしい。特にデッサンと水彩画の技術に長けており、小中高と数度、県のコンテストで受賞経験がある。大学に入ってから、私達の影響もあったのだろう、漫画を描き始めた。最初は、キャラのデフォルメが慣れなくて難儀していたが、自分なりのカワイイを追求できるのが楽しいと言って、段々と個性を獲得していった。それが実に、女性受けするものであったから、Pixivでは、すぐに熱心なファンがつくようになった。

 青井君が絵画教室でアルバイトを始めたのは、大学一年の夏であった。多くの学生同様、大学生活に慣れてきたこともあり、社会勉強を兼ねて、また自由になるお金を求めて、彼は大学生協の掲示板でアルバイトを探していた。はじめは家庭教師でもやろうかと思っていたらしいのだが、丁度夏休み限定で、絵画教室の講師を手伝う仕事があり、経歴に鑑み相応しいと判断して募集したのだった。そこで長く働くうちに職場の上司に見込まれて、彼は臨時ではなく、常時講師の仕事を手伝うことになった。

 絵画教室でのアルバイトは、彼にとって多いに満足できるものであり、また多くの得難き経験を積むことが出来る場であったようだ。どこか懐かしい、純朴な青年の彼は、絵画教室の先生からも、生徒からも慕われていた。またそれに大なる喜びを見出すことの出来る、やさしさと素直さを彼は持っていた。平生から笑顔の絶えない彼ではあったが、その微笑に満足を増したことを私と安藤は認め、喜んだものだ。

 絵画教室で学べるものは、絵と指導の技術だけではなかった。というのも、この教室の先生を介して、彼はプロのイラストレーターに教えを受けることが出来たからだ。最もこれは、彼が絵画教室でアルバイトをしていた時分には知らないことであった。

 安藤の絵画教室でのアルバイトは、大学三年の夏休みまで続いた。彼が四年生になってから告白してくれたことだが、彼はプロのイラストレーターになりたいと考えていたのだという。だが、その夢を諦めることにし、就職活動に専念した。その理由は、プロのイラストレーターにアシスタントをして、到底彼はプロになれるほどの精神的タフさがないことを知ったからだという。

 最近、青井君から、この当時の彼について改めて聞く機会があった。そうして彼がかつて書いた日記を読むことを許された。それを題材にして、少し小説をやってみようと思う。


       七


 或る日、僕はまた先生のところへ行って、お仕事を手伝わせて貰っていた。

 絵画教室でのアルバイトとは別に、プロの漫画家の下で学ぶ絶好の機会を活かしたいと思った僕は、先生に無理を言って、アシスタントの仕事をさせて貰っていた。最も、アシスタントと言うよりは、雑務とでも言うべき仕事が割り当てられるのが専らで、先生の作品に直接触れる機会は余り多くはなかった。それでも、プロの技を傍で見て、休憩の合間に先生の論を聞く機会が得られ、多数ある一流の資料(例えば、十万円もする小磯良平のデッサン集)を読ませて貰え、何よりもその雰囲気を感じるだけで、僕のモチベーションは自然と高まるのだった。

 手伝いをはじめてから一時間ほど、先生に頼まれて資料を集め終えた僕は、いつもどおり、棚にある美術資料を読ませて貰っていた。すると編集の方が来たので、僕は邪魔にならないように別室に移動し、いつもどおり珈琲を淹れて持って行った。先生はやたらと珈琲に拘るから、わざわざサイフォン式のコーヒーメーカーを持っている。お陰で僕は、すっかり珈琲作りがうまくなってしまった。

 そうして三十分ほどで編集の方は帰られた。今日は短かったなと思って先生のところへ行き、コーヒーカップを戻しに行くと、先生は「君、ついでだから」と言って私に、「これを捨てて来てくれ。」と、封筒を数枚、僕に手渡した。

 僕は唖然として言葉を飲み込めずにいたら、先生は、「それ、日野君が置いていったやつ。」と言った。その封筒には、宛先に編集局と先生の名前が書かれていた。僕はそれがファンレターだと理解した。

 「え、冗談ですよね?」と僕が先生に問うと、先生は「私は人の評価を聞かないことにしているんだ。」と答えた。

「でもこれって、ファンレターじゃないですか」

「そうだよ」

「それって……あんまりじゃないですか」

「そうかも知れない。でも、良いものを作るには必要なことなんだよ」

 そう先生から言われて、僕はショックのあまり、頭が真っ白になって、体の震えが止まらなくなった。

 しばらくしてから、先生は

「無理なら、もう来なくて良いから。プロを目指すために、私のアシスタントを続けたいなら、それを捨ててきなさい」

 と単調に言って、作業に戻られた。

 僕はどうしても、ファンレターを捨てることが出来なかった。

 そうして僕は、先生のアトリエを出た。

 それから帰る途中、僕は呆けながら、様々な過去の記憶を思い出していた。同人イベントに参加したときのこと、大学の漫画好きの友達と話をしたときのこと、そして何よりも、親友二人と過ごしてきた毎日を。また同時に、僕の一番尊敬する漫画家が、どうして漫画を描けなくなったのかを思い出した。そうして、さっき直面した先生とのあの出来事を思い返した。すると僕は分からなくなって、涙が溢れて止まらなくなった。

 溢れる涙をハンカチで拭いながら、そぞろに歩いていると、一匹の雛鳥が無残に地にふして死んでいた。その小躯に比して大きい頭が前につんのめり、異様に大きい瞳が閉じて苦しげな様は、僕の心を益々憂鬱にさせた。巣の中には、あたかも兄の後を追って飛び出そうとしているかのような、哀れな雛を見ることが出来た。僕はそれを、ただぼんやりと見ているだけであった。

 僕はその時、呆然と、あぁ、きっと僕は、こういう道は進めないのだなぁっと思った。そうして、平凡な道を進むしかないと思った。父も母も、平凡な僕の生き方をきっと喜んでくれるだろう。安藤も小泉も、きっと僕の生き方を認めて、後押ししてくれるに違いない。頑張れといってくれるに違いない。しかし僕は、飛び立つことなく諦めたのだ。それが悔しくて、悔しくて、僕は一人泣いて帰った。体裁も何もかも顧みずに、ただ悔しくて泣き尽くした。帰宅して誰もいなかったから、また僕は泣いた。そうして部屋に入って、また泣いた。どうにか二人には気取られないよう、布団に入り込んで泣いた。それは僕なりの意地でもあった。

 結局僕がこのときの僕と真正面に向き合うことが出来たのは、企業の内定を貰って、進路が定まり、ようやく落ち着いて物事を考えることが出来るようになってからだった。それも、小泉と安藤がいなくては、到底その勇気と機会を持てなかったと思う。そうして自分の過去と向き合って解決するまでの一年と三ヶ月は、僕にとって一番苦しい時期だった。苦しい内面の葛藤と、平生の自分を表面上は保たねばならないこのギャップと、就職のためのキャリア養成と、複雑怪奇な就職活動。思い出すと、辛くなった。


       八


 ゴールデンウィークも終わり、二週間経った。講義も複雑で難解な問題を扱うようになって来た。それを疎ましく思いながら、買い物が終わって近所のスーパーから帰宅する途中、道路脇に連ねられた並木の一つの傍らに、ぼうっと立ち尽くす青井君を見つけて声をかけた。

 すると青井君が、

「これ。雛が死んでいるよ」

 と言って、蟻の群がる鳥の死体を指差した。

「ついこの前もね、死んだ雛がこのあたりにいたんだ」

 と呟く青井君は、彼に珍しく非常な暗さを漂わせていた。

「かわいそうに。巣から落ちてしまったんだな」

 と私は彼に返した。私にとって、雛のことなどよりは、暗い雰囲気の青井君が心配であった。それに気がついたというわけでもないのだろうが、青井君はすぐに、「行こう。」と言って、早足に帰るのだった。肩には画材道具を入れるバッグが掛けられている。絵画教室のアルバイトの帰りなのだろう。その荷物が少し重そうだった。

 そうして言葉無く二人歩いていると、ふと青井君が、

「あれは、本当に雛だったのかなぁ」

 と呟いた。私は判然としなかったので、

「そう言えば、雛というにはちょっと大きかったかも知れない」

 と曖昧に答えた。それだけでは言葉少なく、体裁が悪いので、

「蟻が集っていたし、ちょっとよく分からなかったよ」

 と付け加えた。そうしてまた、無言が訪れる。何だか気まずいので、

「あれだろう。まだ飛べないのに、飛べると勘違いして飛んでしまうというやつだよ。鳥はしばしばそうやって間違って飛んで、死んでしまうらしいよ」

 などと言って、沈黙を続けないように努力した。すると青井君が、

「もしかしたら、飛べたんじゃないのかな?」

 と返して来た。私はちょっと意味が分からず、青井君の言葉を待ったが、中々続かないので、焦れてしまって、

「どういう意味なんだい?」

 と尋ねた。すると青井君はやおら空を見上げて、

「さっきまで飛べたのに、急に飛べなくなっていて、それで地面に落ちちゃったのかも知れないなぁって」

 と答えた。

 私はそのときの青井君の表情に少し驚いた。彼の幼く大きな目が、やけに虚に見えたのだ。

 私は、青井君に何かあったのだろうと思った。そうして一言気の聞いたことを言ってやりたかった。しかし、何も思いつくことがなく、何も言ってやることが出来ず、ただ彼と横に並んで空を見ていた。

 富山の空はどんよりした鉛色をしている。日本で一番曇りの日が多いそうだ。その日もまた、雨が降ることもない、鉛色の空であった。


       九


 前期の試験前、講義が一週間の休みに入る直前、図書館で試験勉強をしていたのだが、どうにも集中することが出来ずにいた。

 先日三人で呑んだとき、青井君はいよいよ創作活動を殆ど自粛し、勉強と就職活動に専念するつもりだと語った。あるいはプロを考えているのかなと思っていたから、多少の驚きはあったが、この考えは当然なもので、また賢明なものであるから、私も安藤も是非頑張れと激励した。ただ、絵画教室の仕事までも、夏休みいっぱいで辞めるつもりだと言うのには驚かされた。最も、このご時世であるからそれも仕方ないことかと思い、少し寂しさを感じた。

 安藤は以前から主張していた通り、やはり漫画家として身を立てるつもりらしい。少なくとも彼自身はその算段がついていると考えているし、私達も彼は成功するのではないかと考えていた。彼にはそう思わせるだけの閲歴と情熱があった。しかし何よりも、安藤は不思議に何かをやってのけるような、そんな雰囲気を感じさせる男であった。特別多くのファンがいるわけでも、何か賞をとったわけでもない。画力が抜群であるわけでもない。しかしそれでも、生身で接したときの、ある種人間の大きさというのが安藤からは感じられた。何よりも教養が抜群であった。安藤の積み重ねてきた力は、今まではそれを外に出さず、専ら内に秘めてこれを温めていたに過ぎないように思われた。結局、彼の何かをしでかしそうだという雰囲気は、こういうことなのだろうと思う。

 それでは、私はどうするのだろうか。このことを考えると、暗雲とした心持になる。

 私は創作を続けたい。当然続けるにしても、それのみならず、これで生計を立てることが出来るほどに邁進したい。ただひたすらに創作に耽って、場合によっては成功なぞしなくともよいと考えている。だのに、その決意は言葉ばかりで、実際の私は勇気を持てず、自信も持てず、またそれらを培うほどに努力をするほどの心意気もありはしない。結局、青井君の人生に未練を抱きながら、安藤の人生に憧れているだけで、その真ん中をふらりふらりと呆けて歩いているだけに過ぎない。こんな中途半端が一番悪いと知りながら、私はどうしてもどちらかに傾倒することが出来ないでいる。

 そうして何よりも私が私を軽蔑するのは、これだけ自分が分かっている分際で、未だ行動出来ずに迷ってばかりいることであった。それだけはっきりと自分が分かっているのだったら、どうにかしたら良いのだ。どうにかするのは簡単なハズではないか。狂ったように安藤を追うか、未練を断ち切って青井君に続くか。悄然としていては何も変わりはしない。それは結局、変わろうとしないからに違いないのだ。

 その日も雲が多く、湿気の不快な、例年通りの富山であった。


       十


 これは安藤の論である。

 しばしば彼は酒に酔った勢いで、私達にまくしてたてる。

「俺は漫画のためには、是非とも真のエンターテイメントが必要だと思う。また、真の価値ある創作が必要だと思う。それは漫画の地位向上のためばかりではない。多分に後世のためでもあるのだ。

 果たして我々は、漫画を愛する人として、或いは、所謂オタク文化を愛するものの一人として、この文化の隆盛が、俺が平成ジャポニズムと呼ぶところのものは、我々の誉れとして、この文化に対する一般的な見方が偏見によるものである第一の証拠だと、我々の声高に主張するところであるが、本当にそう呼べるほど素晴らしいものを俺達は創って来たのだろうか? なるほど、確かにこの産業は一兆円産業になったかも知れない。諸外国において、ソフトパワーを発揮しているかも知れない。それは日本に裨益するところ少なからざるものがあるだろう。だが、その発展はあくまで資本主義ジャーナリズムの扇動によって作られたものではないだろうか? 私達の志によって生じたものではないのではないか? あくまでそこから生み出される作品は、ウケを狙ったギャグばかりで、芸の積み重ねによる真の価値を有する創作とは言えないのではないだろうか。

 なるほど、真の創作の萌芽は見られるかもしれない。私も幾つかの素晴らしい作品を知っている。しかしそれはあくまで少数だ。そして無意識的な運動だ。俺はそれが生まれるべきものであるならば、無意識的ではなく、意識的にそれを掴み取りたいと思うのだ。そうして、それが何時までたっても無意識的であるから、漫画は芸術の一つとして一般の認知を得られないのではないか。

 だから俺は、俺が意識的に、次の世代に胸を張って受け継がせることの出来る、真のエンターテイメントたる漫画を創ろうと思っている。その一つとして、俺は歴史物語を書くつもりなのだ。歴史物語は、明らかに、あらゆる国で、あらゆる時代に愛される物語なのだから。

 俺は歴史物語を真のエンターテイメントとして挙げた。しかしそれは単なる一例でしかない。俺は少なくとも、もう三つ、真のエンターテイメントの典型を挙げることができる。

 第一に、エロの無い恋愛だ。純粋な恋愛を経験したことがない人間はおるまい。憧れないものもあるまい。このような作品を楽しめないとするのは、如何にも偏狭だろう。

 第二に、グロの無い残酷だ。現実は如何にも残酷なのだ。海は美しい。荒涼たる海ですら、雄々しい美しさを示してくれる。しかし、海は残酷だ。それは海洋生物以外の生存を許さない。そして海洋生物の世界は弱肉強食だ。深くもぐれば、光を失う。そして浮きあがることは許されなくなる。そう、グロの無い残酷とは、現実の残酷さであり、美しさなのだ。例えば、『ごんぎつね』のように。美しくも悲しく残酷な物語がこれなのだ。

 第三に、厭味の無い滑稽だ。ギャグはしばしば、人に嫌悪感を覚えさせしめる。だがそれがなく、単純に笑ってすませられる滑稽があるならば、それはなんと素晴らしいことだろうか! 笑いは幸福に違いあるまい。笑う門には福来るだ。正木って奴がいるが、あいつは間違いなくこの道で第一流の資質を持ってるぜ。だが、無意識的であるのが何とも惜しい限りだ。

 なぁ、君達。先ずは行動だ。拙くとも良い。何よりも実践を尊ぼうではないか! 眼高手低は止むを得ないのだ。嘆くよりもまず行動をしよう。当って砕ければいいじゃないか。そこからまた蘇ればいいだけの話さ。なぁに、人間は案外強いぜ。ハッハッハッハ……」


     十一


 試験休みのことだった。

 安藤はもう昼間だと言うのに起きて来ない。おそらく徹夜をしていたのだろう。かといって、試験勉強をしていたわけではないだろう。大方、漫画を描くか、創作のために資料をあさっていたのだろう。その成果を確認しようと思い、起こさないように静かに彼の部屋へ入った。

 そこには、横向けにあちらを向いて寝ている安藤がおり、その傍らにある円台の上には、整えられて厚みのある原稿と、乱雑に積み重ねられ、付箋が幾つも首をもたげてはみ出している書籍数点と、飲みかけの珈琲とがあった。彼は何時も膨大な量のネームを作る。それは再三にわたって書き改められ、そして蓄積していっている。

 以前、安藤が、「別に漫画を描くことが好きだから漫画を描いているわけではない。」と言ったことを思い出す。また、「平和な時代においては、政治経済よりはよっぽど文化芸術のほうが大切だからな。」と言っていたことも思い出す。将来完成させられるであろうこれらの漫画は、恐らく私とは別の次元で創られるものになるような気がする。そうして彼の漫画に対する姿勢は、あんなことを言っておきながら、全人格的投入と評して過言ではないほどの情熱を帯びている。私にはそれが、私に対する当て付けに思われた。

 彼の書き上げたネームを手に取る。相変わらず理路整然とした博物学的ディティールで物語が展開されている。それを私は苦々しい思いで見た。それでも結局私は、四十ページほどのネームを、読み進まずにはいられなかった。

 しかし、その途中、ネームの上に跡となった滴を見つけたとき、私は手を止めざるを得なかった。はじめ私は、それが涙の跡であることを容易には認められなかった。おそらく水をこぼしたのであろうと思った。しかし何故水の跡があるのだろうか。それに滴が落ちたような跡というのは不自然である。そこまで考えると、私は愕然とした。そうして事実を認めると次第に、鳥肌の立つのを感じた。「何故、それほどに……」と思った。同時に、「そこまでしないでくれ。」とも思った。その直後、私はその余りにも愚かな発想にハッとして、情けなくて情けなくて、涙がこぼれて来た。そうして、どうしても謝りたくなった。それを何とか堪えて、自分の部屋に戻り、ベッドの上に飛び込んだ。そうして、枕を抱えながら、何故、あの時、「よく頑張ったな。」と思ってやれなかったのかと、自己嫌悪に陥った。そうして堪えられなくなって、一人すすり泣いた。そうして、一時間くらいずっと泣き腫らして、ふと顔を上げると、私の机の上には、書きかけのレポートと、とりあえず仕上げたネームと、読み終えた一冊のコミックと、筆記用具が置いてあった。

 

       十二


 試験の最中、其の日は午後からのテストだったため、私は朝早くに起きて、近くのファミリーレストランで勉強をすることにした。自宅ではなく、場所を変えた方が勉強に集中できるというのは私のみではないらしい。もう二組ほど、此処で勉強をする人がいた。

 その後、私は一度帰宅し、仮眠を取ってから試験に挑むことにした。朝の九時過ぎ、帰ると叔母さんが来ていて、良かったらと幾つかのパンを机に置いてくれて、軽く家の掃除をしているらしかった。「なお君は、今ちょっとお休みだから静かにね。」と言って、私に注意をした。安藤は徹夜していたらしく、もちろん私はそれを起こすようなことはしなかった。

 「おい、起きろよ。遅刻しちまうぜ。」そう言って私を起こしに来たのは安藤だった。時計を見ると、もう十二時になっていた。ぼうっとした頭が、事実を把握するのに時間を必要とした。そうして、あぁ、寝過ごすところだったんだな、それを安藤が起こしてくれたんだなと理解した。安藤は最近徹夜続きだ。最低限、単位を落とさない程度に勉強していて、目標に向かって漫画製作も順調なのだろう。そう思うと、実に自分は情けなかった。試験があるからといって漫画は一旦休みにしている。では勉強に集中できているんかと言われるとそうではない。将来はどうするのかと問われれば答えられない。どうにもならない、中途半端だ。それが情けなくて、私は安藤に「すまない。」と言ったきり、どうしようもなく熱いものが込み上げてきた。それをどうにか抑えようとしたのだが、どうにも収まるところがなく、次第に嗚咽さえ湧き出てきた。それを安藤は、決して動揺することなく、ずしりと腰を落ち着かせて、「どうした?」とだけ訊ねて来た。私はどうにか自分の呼吸を落ち着かせ、私の心の中をすっかりと曝け出した。そのうちに、午前でテストが終わった青井君も帰って来て、彼にも私の心の内を聞いてもらった。

「君はバカだなぁ。」

 そう言う安藤の目は潤んでいた。

「俺は、お前達がいなくっちゃ、どうしたってこうまで落ち着いて創作を続けていられやしなかったよ。傍目には随分と落ち着いているかもしれんがね」

 青井君も、安藤に続いて言った。

「親友なんだから、なんでも相談してよ。そんなに溜め込んで、かわいそうじゃないか」

 そうして二人は、私のために泣いてくれた。

 午後の試験は、まるで無視して、私は二人に思うところをすべて話した。二人は真摯に私の言葉を聞いてくれた。そしてまた、忌憚無い言葉を投げ掛けてくれた。そうして気がついたら、もう夕方になっていた。叔母さんが、今日は何か食べたいものはないかと訊ねてきてくれた。安藤は何時ものように、何でもうまいものなら良いと、難しい注文をした。叔母さんは、それなら煮物を作って持って来ようと言った。ハマチを刺身にするから食べなさいと言って、買い物に出かけた。その頃には、私も大分落ち着きを取り戻していた。


 そうして私は、大学を卒業するだけ卒業して、漫画家の道を志すことにした。ゼミの先生にも、その旨を話したら、成績に関しては寛容な態度を示してくれた。

 卒業後東京に出て二年、好きに漫画を描いた後、アシスタントとしてある著名な漫画家の下で修行することになった。その人はアシスタントを取らないことで有名であったが、それもアシスタントの忍耐がないことに端を発していたらしく、君ならばそういうことも無かろうと言って、私の心意気を買ってくださった。その頃安藤は、ある週刊誌で連載を始めることになった。非常に意欲的で、ネームバリューに優れ、また深い研究の跡が見える傑作だ。それにいつか続こうと、私も大いに発憤し、先生の唯一のアシスタントとしての矜持を抱きながら、日々修行の日々を送った。

 それから三年。ようやく私も連載を勝ち取ることになる。その半年前に掲載された読みきりが好評であったらしい。安藤はまだ初期の連載を続けている。そしてまだまだ続きそうだ。青井君は、社会人として充実した生活を続けているそうだ。誠実で実直な彼は、毎日の積み重ねで成果が出る研究者に向いていたのかも知れない。創作も、最近再開し、仕事の合間に簡単なものを作っては合作で発表している。先生は、私が先生の下を離れるとき、残念そうな顔をしていらっしゃった。然しつとめて激励してくださった。その慈しみに、私は胸が熱くなった。奥さんと先生と私の三人だけの送迎会では、滅多に飲めないだろうからと言って、特別なお酒を開けて下さった。奥さんも、良い和牛を用意してくださった。関西風のすき焼きは、富山でも東京でも珍しく、懐かしかった。


 私が今こうして漫画家として、一応の成功を収めることが出来たのは、全て人の輪によるものだと思っている。もし安藤や青井君との出会いが無ければ、漫画家の道には進めなかったろう。また、彼らとの過去が無ければ、私はアシスタントをするきりで、独自の世界を確立するための努力を怠ったのではないだろうか。また、先生の作品に対する真剣さと、厳しくも私の情熱に対して必ず応えようとしてくださった、その本当の優しさがなければ、私は途中で志を忘れてしまったのではないだろうか。だから私は、縁を何よりも大事にして、これからも生きていこうと思っている。初めてのアシスタントが私につくらしい。彼には、技術は当然として、それ以上に大事な人間としてのあり方を、学んでいって欲しいと思っている。

ホームページあります。

http://letusgojustin.web.fc2.com/


この小説は、公募新人賞に出そうと思ったけど没にしたものです。

やや厭味で稚拙なところはありますが、決して駄作ではなかろうと思います。

凡作というか、習作臭が強すぎるというところでしょうかね。

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