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03

「ご飯でも食べに行こう」と僕が言う。

 「もう食べたよ」と息子が言う。時間は12時に近い。

 「それじゃ、付き合ってくれ」

 「二人で?」

 「何が」

 「二人で行くの?母さんは?」

 「二人でだよ」と僕は強い口調で言う。

 僕はそのまま黙って玄関で靴を履き始めた。息子はリビングのドアの隙間から妻の顔を見ている。妻は首をかしげた。クロスワードパズルの雑誌を膝に置いて奥に腰掛けている。彼らは言葉を使わずにやりとりして一つの答えを導き出す。「わかったよ」と諦めて息子が言う。「服を着てくるよ」

 外は暖かかった。静かで怠惰な空気が満ちている。湿気が多いせいで肌に嫌な感じが残った。風が吹く度に遠くで森が揺れる音がした。近所の住民は眠りにつき、枕とベッドに安心を差し出している。僕が車を駐車場から出す間、息子は玄関の階段の上に立ち、軽蔑したまなざしで眺めていた。彼の柔らかな若い髪は風で形を幾度も変えた。

 「お酒飲んでいるんでしょ?運転しても良いの?」

 運転している僕に息子が言った。

 「構わないさ。どうだって良い」

 「どうしたんだよ?」

 「こんな時に捕まえる馬鹿な警察がいたらぶん殴ってやる」

 「どうしたんだよ?」

 スピードは出さなかった。景色が見たかった。僕の住んでいる住宅街を抜けて、国道を越えた。暗闇の中に、時々コンビニや深夜に起きている人々の部屋の明かりが見えた。街灯の鈍い赤い光、電信柱に巻かれたオレンジの帯、道路の白線、止まれの掠れた文字。白く薄い薄情な雲の流れる空の向こうに隕石があるはずだった。暗く深い夜の哀しい空は白い雲を映す景色になり何も見えず、ただ、僕は暗闇を見た。事実は進行しているのか?冷徹で確実な事実は?

 「ファミレスに行くんじゃないの?」

 「そうだよ」

 「また過ぎたよ」

 「そう」

 「これで三つ目だよ」

 「そうだ」

 穏やかな湖の側にやってきた。道路の左右に街路樹が生え、片方に無害で広大な畑が、もう片方には無邪気な湖が広がっている。月が出ていた。湖の向こうにラブホテルが輝いている。それらの光が湖の微かな水の揺れに反射している。光の断片を湖のあちこちで取り合っている。

 「今日がいつかわかるか?」と僕が聞いた。

 「何の話?」

 息子は緊張した顔で僕を見た。なんらかの重大なニュースを与えられると思ったのだ。彼の頭によぎったのは、僕と妻の離婚か、それとも僕の退職か、そんなところだろう。

 「もうすぐ地球が終わるんだよ」

 「なんだ」と息子が言う。緊張を解き、再び前を見る。

 「もうすぐ地球は終わるんだ」

 「終わらないよ」

 「わからないさ」

 「わかるよ」と息子が言う。「終わりっこないんだ」

 彼の顔は自信で溢れている。それと、思い出しつつある軽蔑と。呆れと退屈さが徐々に染み溢れつつある。座席に深く沈み、怠惰を身体で表そうとする。

 「わからないさ」と僕は言う。

 「上村が言ったんだよ。上村は成績が良いんだ。科学についても詳しいし、趣味でよく空を眺めている。子供の頃、海外に住んでいた経験もあるから、時々はアメリカのサイトも読むんだって。米軍がなんとかしてくれるんだよ」

 「米軍がなんでもなんとか出来るわけじゃない」

 「上村の親は弁護士なんだ。母親は大学の先生だし。すごく頭が良いんだよ。上村が言ったんだよ。米軍がなんとかしてくれるんだ」

 車を路肩に寄せて止めた。エンジンを切るとちりちりという音が車の底から聞こえた。ブルーの世界。湖の青い揺れと空の深く濃い青。ガソリンスタンドと傾斜のふもとにあるデザイナーズマンション。一台の車がサイドミラーに映り、やがて横を過ぎていく。灰色の塊が一つの線となり過ぎていく。運転手は僕らを少しも見たりしない。眠たそうな彼の眼は車の行き着く先にある一点に向いている。一瞬だけ聴こえる車内の音楽。息子は僕を見ていた。

 「ファミレスに行くんだろう?」

 「少し歩こう」と僕は言った。

 「どうして?なんのために?」

 「タバコが吸いたいんだよ」

 「車で吸えばいいじゃないか」

 「タバコが切れたんだよ。側に自動販売機がある」

 「コンビニに寄れば良いじゃないか」

 「自動販売機で買いたいんだ」

 僕が車を降りると、息子は頭を掻いて外に出た。

 外は湖の向こうから風が吹いて心地良かった。服をなびかせるバタバタという音が鳴り続けた。街路樹が身体を揺らせている。息子は風に背を向けて額を押さえている。自慢の髪を風に自由にされるのが気にくわないのだ。遠くまで続く地球の陸を感じた。少なくとも湖からガソリンスタンドの向こうにまで続くなだらかな陸地を。

 僕らは湖のほとりにある公園の先に立ち、空を眺めた。ベンチにはカップルが腰掛け、互いに手をとりあって夜の空に平和を見いだしている。湖の向こうに夜の国道が横たわり、ガソリンスタンドがドライバーに中継地点を提供する。

 「期待しても何も起きないよ」と息子が言う。

 「わからないさ」と僕が言う。

 「気づいたんだよ。何も起きないんだ。これまで何も起きはしなかったし、これからも何も起きないんだ」

 「お前の言いたいことはわかるよ」

 「これを見なよ」

 息子は携帯を僕に向かって差し出す。そこにはニュースの文字が並んでいる。米軍は隕石の破壊に成功し、大統領は平和を宣言した。ニュースの文字は淡々と、無感情に、事実を伝えている。

 「ほらね」と息子は言った。「何も起きないんだよ、今回も」

 息子はそう言ったのだ。落胆したように。

 










おわり。

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