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1cmの魔法  作者:
9/10

断章 ~また会う日を楽しみに~

小さな空き地。ここは、毎年この時期になると彼岸花が咲き乱れ、冷たい風が吹き降ろす。

観客のような目の前の森と、芝生しか生えていない斜面の空間。幕のように連なる彼岸花の群れが、開幕のベルが鳴り響く演劇のステージのようで、僕らがまるで、そこで演じる役者になったような錯覚を覚える。

 「え?」

瑠緋は意味が分からない、というように小首を傾げた。呆けた表情で、小さく開いた唇から声にならない言葉を呟いている。

どうやらかなり大きなショックを与えてしまったらしい。仕方がないこととはいえ、のしかかるような罪悪感が胸を圧迫する。

僕は胸の痛みを抑えながら、もう一度、親が子供に言い聞かせるように、ゆっくりと言った。

「大学に行こうと・・・思ってるんだ」

初めてここに来た時から季節は巡り、三度目の秋が訪れた。僕と瑠緋は十八歳になり、本来なら受験勉強に追われる日々を送っているはずの年齢だ。こんな場所に住んでいなければ、の話だが。

「主任の許可は出てる。高等学校卒業程度認定試験も受かった。学費も出してくれるらしい。後は、受験に合格しさえすれば良い」

「で・・でも、この近くに大学なんて・・・あったっけ?」

呆けたまま混乱しているのか、その声はひどく頼りない。

「いや、ここからじゃあ通えないから、寮に住む予定」

呆けていた瑠緋の顔に感情が戻ってくる。怒りと、悲しみと、混乱が入り混じった顔だ。

「どうしてっ、どうしてよ!ずっと傍らに居るって、守るって言ったじゃないっ」

瑠緋は手足をばたつかせ、ヒステリックに叫ぶ。振り回した右腕に、群れから少し外れて咲いていた彼岸花が当たり、ぱっと赤い花弁を散らせた。

「落ち着いて、落ち着いてよ瑠緋っ」

僕は瑠緋を落ち着かせようと、必死に両手を掴んで叫ぶ。

瑠緋はいやいやをするように首を振り、僕の手を逃れようとする。

「聞いてっ」

僕は強引に瑠緋を引き寄せて抱きしめた。そして良く聞こえるように、誤解なく伝わるように、口を瑠緋の耳元に近づけた。

「良い?これは、ずっと一緒に居るために必要なことなんだ」

「ど、どうして?」

動きの止まった瑠緋から、震える声がこぼれる。

僕は瑠緋を落ち着かせるために一拍間をあけ、出来るだけ優しく語りかけた。

「このままじゃ駄目なんだ。僕が今ここに居るのはあくまで”お情け”。瑠緋がここに来る条件として出した、ただの”でくの坊”。それが僕の立場だ。こんな不安定な足場じゃあ、いつどんな理由で追い出されるか分からない。だから、僕は大学に行って、そして・・ここの研究員になる」

瑠緋は、ぱっと顔を上げ、僕の目を凝視した。瞳を丸くし、重力に引かれて軽く落ちた唇。その表情には驚きの色が濃く出ている。

この二年間で世界中の超能力者の数は、確認されているだけで五十人近くにまで増えた。このまま増え続けたなら、いずれ瑠緋は実験サンプルとしての価値を失うだろう。瑠緋はもう、唯一という絶対に無くしてはならないものではないのだ。

だから今までは大事に大事に扱われていた瑠緋も、いくらでも代えの利くモルモットのように、何か無茶なことをさせられるかもしれない。

そんなことをずっと考えていた。それは、とても怖い想像で、ただの可能性にしか過ぎないことを、まるでもう起きてしまった出来事のように思わせる。

僕は驚きのあまり呆けてしまった瑠緋の頭を軽く撫でながら続ける。

「僕がここの研究員になれば、ずっと一緒に居られるし、いざという時瑠緋を守ることも出来る。遠くない未来、超能力者が増えて瑠緋の希少価値が薄れたとしても、暮らしていける」

「希少・・・価値」

ひどい言い方かもしれない、でもここで、瑠緋には自分達の足場の不安定さを認識してもらう必要がある。最近の研究員の瑠緋を見る目。それが、始めの頃の期待と好機と恐怖に満ちた目から、だんだんと実験動物を見るような目になってきている。とても”危険なことはしない”とは思えない。

だから、どうしても今説得しなければ・・・

「瑠緋、絶対ここに戻ってくる。今度は頼まれてじゃなく、僕自身の意思で、ずっと一緒に居るために」

そこまで言い切って、瑠緋の言葉を待つ。

瑠緋は何も言わず、ただ僕の腕の中で俯いている。

しばらく無言の時が訪れた。。

秋特有の少し冷たく、乾いた風が撫でるように斜面を下ってくる。若干の水分を残した木々の葉は、その風の通り道を伝えるようにかさかさと囁き合っている。僕達はその中で二人の体温を互いに分けるようにして、暖め合う。

丁度十度目の風が通った後、瑠緋の手が僕の背に回された。そのままぎゅっと力が込められる。

「ティラミス」

「・・・へ?」

「今度・・・ティラミス作るから・・食べて」

突然何を言い出すのだろう。不思議に思いながらも、好きなケーキなので断る理由はない。

「あ・・・ああ、わかった」

その言葉の意味も分からないまま、相槌のように返す。

そういえばここに来て瑠緋がケーキを作っているところを見たことがない。頼めば調理器具など簡単に手に入るだろうし、昔は休みの日になる度に作っていたのに・・・

そこまで考えて首をふる。違うそうじゃない。おそらく、あきらめてしまった夢を思い出すのが辛いからだろう。

やっぱり、瑠緋にこの研究所は似合わない。小さな店で穏やかにケーキを焼く日々を送るのが一番似合っている。改めてそう認識する。

「・・・ティラミスには・・ね」

瑠緋は途切れ途切れに、無理やり言葉を紡ぐようにして続ける。

 「私を元気付けてって・・・意味があるの」

 そこまで言うと、僕の背に回していた腕を首に巻きつけ、正面から覗き込むようにして見つめてくる。

その瞳には雫となった涙が溜まっていて、少しでも揺らせば弾けてしまいそうなほど大きくなっている。

唇は微かに震え、その表情は橋の下に捨てられた子猫のようだ。

これは・・・大学行きを認めてくれたと解釈して良いのかな?

僕は困ったような顔を浮かべながらも一度強く抱きしめ、ゆっくりと唇を合わせた。

 


それからの数ヶ月はほとんど部屋に引きこもるようにして勉強した。なにせ学生服というものを着なくなってもう三年近くになる。学校に通っていた頃は成績に多少の自身があったが、当然世の学生並みに勉強していたわけではなかったので、何のアドバンテージにもならない。

瑠緋は暇さえあれば僕の部屋に来て何かと世話を焼く。砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーを差し入れてくれたり、部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり。随分ご無沙汰だったケーキ作りも再開したらしく、よく持ってきてくれる。

 なんだか夫婦みたいだね、と言うと瑠緋は嬉しそうに頬を上気させて、そうだね、と返す。

季節感なんて何も感じないまま、白く無愛想な電子の檻の中で淡々と繰り返す日々。退屈ではあるけれど、なによりも幸福な暮らし。きっと僕が生きていた中で最も幸せな時間だっただろう。

この時を、この空間を、この日常を永遠のものにしたい。そう、強く思う。

どんな参考書でもそろう環境ゆえか、それとも元から才能があったのか、はたまた瑠緋の世話のお陰か。成績は模試の予想上昇率をはるかに上回る勢いで伸び、旧帝国大学でA判定が出るようになった。

僕の成績が上がり、受験の日が近づくにつれて沈んでいく瑠緋の表情を見ながら、ただひたすらに勉強した。

そうして迎えた共通一次試験では過去最高点を取り、続く二次試験も十分すぎるほどの点を取った。

三月になり、合格発表を瑠緋と一緒にネットで見ると、さも当然のように僕の番号があった。それを見た途端に瑠緋は涙を流し、それでもおめでとう、と無理やり笑顔を作った。

送られてくる大学の資料を受け取りながら、本当にこれでよかったのか分からなくなる。何度も自答し、そのたびに同じ結果に帰結する。

それから別れの日が来るまで、瑠緋は思い出を溜めておくように、時間がある時はずっと傍にいた。



三月末。とうとう別れの日が来た。

研究所を囲む森はその深さを増し、鬱々とした緑ではなく、清々しいほどの若葉色でその体を染めている。どこからか雀の声が聞こえてきて、絵に描いたような爽やかな朝を演出する。

僕と瑠緋は他の誰も見送りのない正門で、静かに別れを惜しんでいる。

本来重要機密であるこの研究所に、そう安易に出入りをすることは出来ない。それゆえに、卒業するまでここに来ることは禁じられた。

研究はここで出来るから、院は出なくても良いと言われたのがせめてもの慰めか、ここに戻ってくるのは四年後となった。

 「忘れ物ない?」

瑠緋は顔を俯かせ、ぼそぼそと呟くように言う。手には風呂敷に包まれた弁当を抱えている。

「これ、行く途中で食べて」

そう言ってその風呂敷包みを差し出す。

僕は何かを言おうとして、でも、なにか言葉を発したら泣き出してしまいそうで、なにも答えることが出来ずに、ただその包みを受け取った。

「荷物、もう届いてるはずだから・・・」

 衣服や日用品は昨日の内に全て寮に送ってある。だから今持っているのは財布の入ったバッグと弁当、という身軽なものだ。

僕はこくりと頷くことしか出来ない。

「電話、するから」

これにも頷くだけだ。

「あとこれも、持っていって」

そう言うと瑠緋は、赤い手のひらほどの大きさの花を差し出した。僕はそれを受け取ってまじまじと見つめる。

彼岸花、赤い布と針金で作ったらしきその造花は、花の部分だけが腕を広げるように、赤く花弁を伸ばしていた。手作りなのか、所々から針金が覗いている。

僕は弁当箱をバッグの一番下に入れ、その口を閉めてもつぶれないような空間を作った。その上にそっと彼岸花を置く。曲がらないように、つぶれないように、そっと収めると口を閉じ肩に掛けた。

 「約束の証、花言葉は覚えてる?」

僕はまたこくりと頷く。今回は、頭を下げた拍子に水滴が一粒落ちてしまった。慌てて拳を作りそれを拭う。

それから、無言になる。

頭上に浮かぶ雲は、緩やかにその巨体を流している。それが、四年という月日がとても長いものだと暗示しているようで、気が滅入ってくる。せめてその流れだけでも速ければ良いのに、と思う。そうしたら、時の流れも早くなるような気がするから。

沈黙に耐えられなくなったのか、瑠緋はゆっくりと近づき、傘を壁に立てかけるようにその体を僕に寄せた。

僕はその体を軽く抱きとめる。その体温を記憶にとどめ置くために、その感触をこの身体に刻み付けるために、その尊さをずっと忘れないために。

そうしてしばらく抱き合い、軽く口付けを交わしどちらからともなく体を離した。時計を見なくとも、出発の時間が近づいていることは分かった。

 「絶対、戻ってくるから」

 震えて、かすれて、自分でもみっともないと思うような声だったけど、やっとこれだけ言うことが出来た。

「うん。また会う日を楽しみに」

 そう言って瑠緋は綺麗に笑った。あきらかに不自然で今にも泣きそうな無理やり作った笑顔なのに、彼岸花がその蔓のような細い花弁をいくつも折り合わせて鮮やかな花を作り出すように、その複雑な内面を絡め、紡ぎ合わせたようで、とても綺麗だった。


  -------------


 ぎぃ、と金属が軋む耳障りな音がして目が覚めた。

 どうやらまた居眠りをしてしまったようだ。やはり疲れているのだろうか、最後に休みを取ったのはいったいいつのことだったのか。

 少し考えて・・・やめた、あまりに不毛だ。自分でやると決めたのだから泣き言を吐くのはなしだ。幸いここは自分の部屋、仕事中に居眠りしなかっただけまだましだ。

 傾いでいた体を起こす。椅子の上で背もたれに体を預けて仰向けに寝ていたせいか、背中が引きつったように痛む。首も重力に引かれてぶら下がっていた為か、横を向こうとするだけでびきりと痛んだ。

 煌々とその存在を主張するように光るディスプレイを眺める。意識が落ちる前まで書いていた文書が、資料と平行に映し出されている。寝ぼけて書いたため、支離滅裂になった文章を見て思わずため息を吐いた。

 ・・・もう今日は終わりにするか。

 私は寝ながら書いたであろう部分を丸ごと消去し、ファイルを保存するとすぐにシャットダウンさせた。

 首や肩を動かしながら席を立つ。そのまま軽くストレッチをする。寝るにしてもこう体が固まっていたんじゃあ疲れもとれない。

 十五分ほど続け、大分体がほぐれたところで布団に入る。すると、なぜだか先ほど見ていた夢が脳裏に浮かんだ。

 最近昔の夢をよく見る。もしかしたら私なりにこの施設との別れを悲しんでいるのかもしれない。瑠緋と過ごした、最後の場所の。

せっかく夢にまで見たんだ。どうせなら郷愁に浸ってみるのも悪くない。そう思って、久しぶりに追憶してみる。世界がまだ、色鮮やかに見えていたあの頃を。

 そういえば瑠緋が別れ際に言ったあの言葉は彼岸花の花言葉をなぞっていたのか、今更気づいた。ティラミスといい、彼岸花といい、本当に暗示が好きだったんだな。思い返してみると意外に新しい発見があるものだ。

記憶が鮮明な部分はそのとき感じた匂いすらも思い出せる、まるであの頃に戻ったみたいだ。

 そうそう、昔はこの研究所の外部からの電話は禁じられていたんだ。電話は瑠緋からかけてもらうしかなくて、大学時代。それで随分やきもきしたな。

どこからか、ふ、と息が漏れるような音が聞こえた。何の音だろうと身を起こそうとして・・・それが自分の笑い声であることに気づいた。

 もう随分と笑っていなかったせいで、自分がどうやって笑っていたのかも忘れていたようだ。それにしても、久しぶりに笑ったかと思えば過去につられて、か。

 そう考えると、唐突に虚しさが襲ってきた。

 過去を夢見、過去を追憶し、過去に想いを馳せる。決して悪いことではないだろう。しかし今の私には足枷になる。

思い出という名の光は現在という闇を浮き上がらせる灯りだ。その光を浴びている間は確かに安心するが、今度は闇に踏み出せなくなる。それでは駄目だ。まだ私は何も成していない。

 過去に溺れるのは全てが終わってからだ。その後なら、緩やかに溺れ死ぬのも良いかもしれない。

私は思い出に浸ることを止め、頭を計画に関することで一杯にする。少しでも隙間があれば、過去が流れ込んできそうだ。

布団を深く被り、目を瞑る。思い出の奔流に流される前にもう寝てしまおう。

 アナログ時計の一つもない部屋は、その秒針の音すら聞こえず、染み渡るほどの無音と耳鳴りがするほどの静寂で、ゆっくりと意識を奪っていった。



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